4
翌日の夕刻、レイタスは丸一日の
議長のザンヘルがみずから
「ついてきてくれ」
ザンヘルが
レイタスはそれに
ザンヘルが、血で汚れた麻袋を見おろしながら表情どおりの
「バーナーム伯からの返答が、これだ。
麻袋のなかには、和平交渉のために派遣された使者の、胴体をうしなった
ザンヘルがレイタスにむきなおり、バツが悪そうに顔をしかめながら、それでも
「レイタスどの! どうやら貴殿には
「貴殿は、この街を必ず守ってみせると言った。その言葉に、我らは
「その
レイタスは穏やかな
「あなたはすでに答えをだしておられる。だからこそ、俺を
レイタスを釈放したのは、バーナーム軍との戦いが
「・・・・・・なるほど。貴殿は、使者の件のみならず、わたしがむかえにくることまで予見していたというわけか。その
ザンヘルが
「レイタスどの! あらためてお願いする。どうか、この街を守ってはくれまいか!」
「それは、あなた個人のご意思か? それとも議会の
ザンヘルの個人的な願いであっては困る。議会の総意として、レイタスの絶対的な指揮権を保証してもらう必要があるのだ。この
「議長のわたしが頼んでいるのだ。議会の総意ととらえてもらってさしつかえない。ニアヘイム議会は、貴殿に街の防衛の全権を
「いまひとつ、確認したい」
「なにか」
「戦わずとも降服するという選択肢がございます。降服すれば、人や街に被害をださずにすみますが?」
「だが、自由は死ぬ。我ら船乗りにとって自由は命と同等、いや、時として命以上の価値を生むものなのだ」
そう語るザンヘルの眼差しからは、
レイタスは満足してうなずいた。
「そういうことでしたら、この街の防衛、つつしんで
バーナーム軍の
「で、どのくらいの兵を集められますか」
「街に
答えるザンヘルの顔に希望の色はまったく浮かんでいなかった。
だがレイタスは平然とうなずく。
「じゅうぶんです」
「じゅうぶんだと?
「
「ではなんだ」
「時間です」
「時間? なんの・・・・・・」
この質問には答えず、レイタスは別のことを口にした。
「この街の宿のどれかに俺の弟子が
「下着を・・・・・・」
「それと羊皮紙とペン、あと、
「早馬を? 誰に使者をだすつもりだ」
「エリンデールに
そう答えながらレイタスが頭のなかで思い浮かべた人物は、およそ天使とはかけ離れたイメージのもちぬしで、そのギャップに思わず苦笑を禁じ得ないのだが、そんなレイタスの
上質な羊皮紙が運ばれてくると、レイタスはそれにすらすらと迷いのない
レイタスの見立てでは、ニアヘイムを囲っている貧弱な城壁ではバーナーム軍の
(せいぜい、もって
この街に足を
一〇日以降も守り抜くには、バーナーム伯に匹敵する兵力をもった第三者の
その者の援軍をむかえられれば、街からでて
そこでレイタスは、この街の新たな
この
その人選においてレイタスが要求する条件は三つあった。
まずは、ニアヘイムに近い場所に割拠していること。遠くの者では救援に間にあわなくなるため、ニアヘイムとの物理的な距離は重要である。
次に、バーナーム伯と同等か、それ以上の兵力を保有していること。言わずもがな、最終的な戦略目標はバーナーム軍の撃退にあるのだから、それを可能とする兵力の準備は
そして最後に、ニアヘイムの自治を認めたエリンデールの
(となると、あの
昨晩、獄中で何度も検討した考えをレイタスは羊皮紙にしたため、書きおえると、今度は首にさげていた
暮れなずむ夕闇のなか、レイタスの書状をたずさえた早馬が一騎、迫りくるバーナーム軍とは真逆の北東へと
「できたよッ、レイタス! 見て見て!」
セルネアが片手にもった羊皮紙をヒラヒラさせながら走り寄ってくる。ニアヘイムの兵たちによって、レイタスが
どうやらニアヘイムの兵たちは、宿の
「あたしが寝ずに考えた力作なんだから!」
兵力の配置図らしい羊皮紙を突きだして、セルネアは、初めて成功した狩りを母親にほめてもらおうとしている子猫のように青い瞳をキラキラと輝かせていた。そんな目の下にあるクマが、寝ずに考えたという彼女の発言を裏づけている。
よほどの自信作らしいが、羊皮紙を受け取って視線をさっと走らせたレイタスは
「字がきたない」
「か、関係ないじゃん、そんなことッ」
「おおありだ、バカもん」
「なんでよ~」
「いいか。軍師は
「そんなこと言われたって・・・・・・それがあたしの字なんだもん! 個性なんだもん!」
「やれやれ・・・・・・どうやらお前には〈
「そんな修行、ないくせに!」
「ねえ、お願いだから、字じゃなくて、中身を採点してよ~」
「まったく、しょうがないやつだ・・・・・・」
などと、照れ隠しの
(ん? これは・・・・・・)
そこに見るべきものを見いだしたレイタスは、思わず内心で
「ここに記されている兵の配置について、おまえに
「うん、いいよ。なんでもきいて」
「では問う、弟子よ。バーナーム軍が真っ先に到達する北門よりも、東西の二門に多くの兵力を
「お答えします、師よ」
セルネアは、まってましたと言わんばかりに声を
「北門は
「なぜ西門が老朽化しているとわかる」
「昨日、宿にこもって配置を考えてた時、
「ほお」
レイタスは軽く目をみはった。
城壁や城門の、どこかどれだけ老朽しているか、といった
そんな重要な秘密を兵士たちからききだすことに成功したセルネアには、どうやら、人の心にするりと入りこんで相手が言うつもりのなかったことまで引きだしてしまう特異な才能があるようだ。
意外な特技をもつ弟子を感心して見つめていると、セルネアが照れくさそうに
「な、なんなの?」
「いや、別に・・・・・・ただ、俺が見ていないところでも、しっかりとやるべきことをやっていたんだな、と思ってな」
「あたり前じゃん、そんなこと」
ほめられてうれしいくせに、頬を赤らめたままツンと
「そう言えば昨日、レイタス、宿に一度も帰ってこなかったでしょ。すっごく心配したんだから。どこに行ってたの?」
「今は問答の最中だ。よけいな言葉はつつしむように」
「あ、ずっる~い」
計画のうちだったとはいえ、牢にぶちこまれていた、などと言えば師匠としての
「では最後に
「
迷いのないセルネアの
それはレイタスの見解とも
弟子の成長を感じられて小さな喜びを得たレイタスは、だが、目の前のセルネアが悲しげにうつむくのを見て
「どうした」
「一〇日・・・・・・たったの一〇日しかもたない・・・・・・あんなボロっちい壁じゃ、街のみんなを守れないよ・・・・・・」
セルネアの声には今にも泣きだしそうな
「ずいぶんと手入れを
涙をにじませたセルネアをどう
「無理もないか。この街は、統一を
「この街の人たちも、おおぜいが殺されちゃうの? あたしたちが見てきた街みたいに・・・・・・」
「そうならぬように知略をつくすのが、我ら〈アズエルの使徒〉のつとめだ。我らの
誰かの野望を
「・・・・・・そうだったね」
レイタスはいたわるように
「よし。では、偶然の産物ではなく、
「ほんとに? やったァ!」
今度は心からの笑みを顔いっぱいにひろげるセルネアに、レイタスはそっけなく言いわたす。
「だが、字の練習はしっかりしとけよ」
「もお! 人の喜びにケチつけて・・・・・・いっつも
「弟子の成長を思ってのことさ」
「あら、そ。感謝いたしますわ、お優しいお師匠さま」
口もとをほころばせながら冗談を
英雄エリンデールの統一事業をささえていた家臣団のなかに、とりわけエリンデールに信頼され、
彼らを総称して〈
フィオラ・グランゼスは、そんな〈ナインシールズ〉のひとりである。
女でありながら、しかも二三歳という
馬にまたがり、
エリンデール
エリンデールによるローデラン統一事業の
ところが、不運にも長雨に
信じられない、いや、信じたくもない
カルカリア方面から逃げてくるエリンデール軍の
フィオラは、カルカリアから逃げてきた友軍の負傷兵を街に収容する一方、
エリンデールの
その後、フィオラは他の〈ナインシールズ〉らに
「ともに
ところが、これに対する返答は一切なく、それどころか「我こそがエリンデール陛下の正統な後継者である。これを認めぬ者は陛下のご
「なるほどな。陛下を
かつての同僚たちから送られてきた挑戦状ともとれる書状のすべてを
レイタスがニアヘイムで書状をしたためた相手というのが、このフィオラ・グランゼスである。
「あの男、
手のなかの書状を読みおえると、フィオラは美しく整った口もとを苦笑ぎみに
シアーデルンにある、司令部として
火がくべられた暖炉の前にはソファがあり、そこにフィオラは
フィオラに初めて会った者は、彼女にまつわる武勇伝を知っている者ほど、その
およそ戦場で
彼女に戦士としての
暖炉の火がゆれるたびに、室内の壁に投げられた影もゆれ動いた。そのなかにはフィオラのものとは別の影がもうひとつあった。
その人影の
左のこめかみから
「これは
偉丈夫の声には、フィオラに対する忠義と気づかいがあふれんばかりにこめられていた。
二年前からフィオラの副官をつとめるようになった男で、名をルーニという。戦士としての腕にも、部下としての忠誠心にも信頼を置ける
フィオラはソファのなかで
「わたしもそう
そう言われて文面の最後に視線を落としたルーニは、そこに「レイタス」という署名の他に、ひとふりの剣が
その剣は、
「これはなんです」
副官の
「その押印は〈
「教団?」
「〈アズエルの使徒〉だ。きいたことくらいあるだろ?」
「
ルーニと同じように、〈アズエルの使徒〉ときいて
およそ三〇〇年前までローデラン全土を統治していた旧王国の建国にも
「やつらは実在する」
フィオラは平然と言ってのけた。
「現に、陛下とも
「エリンデール陛下と?」
ルーニのおどろきは当然のもので、エリンデールとアズエル教団の
エリンデールと教団が、いつ、どのような
そして、彼らのくりだす
「陛下の事業が短期間であそこまで
ゆらめく暖炉の火が、かつてエリンデールとともに囲った戦場の
平和への夢を語る彼の口。民の苦しみを
そのどれもが
そんな怒りと悲しみに暖炉の火が
「あの教団に謎が多いのはたしかだ。だが──」
「やつらにわたしをおとしいれる理由がないのも、またたしかだ。それに、なにより陛下が守ると誓っておられたあの港町をバーナームごときに
「ですが、軽々しく動いては、このシアーデルンを他の将軍たちに盗まれるおそれがでてまいりましょう」
今、フィオラが
だが、南にでれば
しかし、シアーデルンの重要性は、同じくエリンデールの後継者を
「おまえの心配はもっともだが──」
フィオラはソファから立ちあがり、暖炉のそばまで歩みよると肩ごしに副官を
「わすれるな。わたしが陛下のお
敬愛する主君を
「それに、ニアヘイムをバーナームに奪われれば、ここシアーデルンは
「では──」
「あの港町はこのフィオラがもらい受ける。どのみちそのつもりでいたのだ」
「承知! ただちに
ルーニは上官の意向がさだまったと知るや敬礼をほどこし、やるべきことのためにさっていった。
歩みさる部下の鎧のひびきを耳に残しながら、フィオラはあらためて暖炉の火を見つめて別のことに思いをめぐらせた。
(〈アズエルの使徒〉は
見つめる先の炎のように、フィオラの胸の内でも熱いものがたぎりつつあった。
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