つるぎの時代の第六紀二九七年、四月五日、カルカリアの戦いから五日後──。

 バーナーム伯領はくりょうにほど近いニアヘイムというまちにレイタスとセルネアの姿があった。

 ニアヘイムは、入りを港として活用し、古くから海上交易で栄えてきた港湾こうわん都市である。街の南に海をようし、北と西は丘陵きゅうりょう地帯に守られた天然てんねん要害ようがいでもある。

 そんな恵まれた地勢ちせいにいだかれながら、長年、海の商人たちが経済活動にいそしんできた。彼らの手によって築かれたとみは、やがて目に見えぬ剣となりたてとなり、時の権力者たちから自治権を獲得するまでにいたった。

 およそ三〇〇年前までは存在していたきゅう王家の治世ちせいはもちろん、その後の動乱のなかでも自治独立を標榜ひょうぼうするニアヘイムの超然ちょうぜんとした立場は守られつづけた。あのエリンデールでさえも武力による占領を断念し、かわりに街の守護者となることを願いでて友好を深めるにとどめていたほどである。

「だが、その平和が長すぎたようだな・・・・・・」

 ニアヘイムの北に面した城門から街なかに足をみ入れたレイタスは、つい先ほどくぐってきたばかりの北門をふりかえって嘆息たんそくした。

 石とレンガをんでもうけられたアーチ状の門は、レンガの多くがひび割れ、あるいは欠損けっそんしており、補修すらされずに放置されたままだった。レンガとレンガの間からは雑草が顔をのぞかせており、それら雑草の根が壁を深く侵食して耐久性をいちじるしく弱めていることは想像にかたくない。

 日中にだけ開放されている巨大な門扉もんぴも、所々を鉄で補強された木製ではあるが、その鉄がすっかりさびついていて補強の役目を果たしていないように見うけられた。

 この街を、武力によって征服するような者などいるはずがない──。

 そんなおごりにも似た自信が、街を防衛する施設から異臭いしゅうのようにプンプンと立ちのぼっていてレイタスを不快にさせた。

「でも、ここは実際、平和そのものだね」

 不意に流れた少女の呑気のんきな声が、レイタスのけわしかった表情をゆるめた。

 声のしたほうを見ると、平和ぜんとした街なみや人々を楽しそうにながめているセルネアの横顔がそこにあった。ひたいに落ちかかった飴色あめいろの髪をかきあげながら、なにがうれしいのか時おり口もとをほころばせてさえいる。

 ちょうど一年前に、長老会から「弟子に」とおしつけられたのがこの少女だった。

 レイタス自身はまだ自分が師になれるようなうつわではないと固辞こじしたのだが、長老会はきく耳をもってくれなかった。

「誰かに教えさとすことで学べることも多々たたある。弟子を鏡にしておのれをさらにみがくがよい」

 という、なんら感銘かんめいをうけない、ありふれた文言もんごんでおしきられたのである。

(とんだお荷物を背負せおわされたもんだ・・・・・・)

 当初、レイタスは心からそう思い、うんざりしたものである。

 弟子となった少女が無礼かつ生意気なまいきで、おまけに反抗的とくればなおさらである。長老会がなぜ修行を許したのか首をかしげたくなるほどのじゃじゃ馬であり、おまけに軍事の「ぐ」の字も知らない無教養むきょうようぶりであった。

 おかげでレイタスは軍事や用兵ようへいの基礎から教えこまなければならず、それに半年をついやすはめとなった。通常ならば弟子を取ってすぐにはじめられる〈天覧てんらん〉を開始できたのも、セルネアを弟子に取ってから半年後のことであった。

 セルネアの出自しゅつじはよくわかっていない。親が何者で、ローデランのどこで生まれ育ったのかもわからなかった。わかっているのは今年で一二歳になったばかりの戦争孤児だということのみ。

 その境遇に同情はしていない。戦争孤児など三〇〇年も内乱に明け暮れているローデランではめずらしくもないし、レイタス自身もそうだったから。

(こうして黙っていれば、かわいいもんなんだがな・・・・・・)

 初めておとずれるニアヘイムの街を、キラキラと光る青い瞳で見まわしているセルネアの横顔は天真爛漫てんしんらんまんな少女そのもので、レイタスの気もちをなごませてくれる。

 そんなセルネアのなかに〈アズエルの使徒〉としての素質をレイタスが見いだしたのは、最初の〈天覧の儀〉でのことだった。

 まだエリンデールがローデラン東部を征服したばかりで、これから残りの西半分に目をむけていよいよ統一事業に乗りだそうとしていた矢先のことである。

 西部辺境へんきょうの小さな軍閥ぐんばつ同士の戦いを〈天覧の儀〉の舞台に選んだレイタスは、観戦がおわるとならわしとなっている問答もんどうをしかけた。

う、弟子よ。敗者が敗者となった原因はなにか」と。

 するとセルネアは考える素振そぶりも見せず、勝敗の決した戦場あと憎々にくにくしげに見つめながら即答そくとうした。

こころざしがなかったから」

「なに?」

「ローデランを統一して平和をもたらしたいと願う気もち。あわれな生活をいられている人々を思いやる心。それらがけてたから負けた」

「では、勝った方には志があったと?」

「ない。だから今日勝ったほうもいずれ負ける。統一と平和をこころざす誰かによって」

「・・・・・・」

 問答としては非論理ひろんり的で整合性せいごうせいを欠くものであったが、長き内乱にゆれるローデランで今どのような指導者が求められているのかをセルネアの回答は端的たんてきに表わしていた。

 この時、セルネアはエリンデールの存在をまだ知らない。

 それゆえ、戦争孤児という境遇きょうぐうから、諸侯しょこうや貴族がおのれ保身ほしんや野望のためだけに戦争をおこして多くのたみの血を流している現状をただなげいただけなのかも知れない。

 だが、そうだとしても、ローデラン全土をべる者になにが必要かを本能的に知っているということは、動乱をしずめて平和をまねくことを使命としている〈アズエルの使徒〉としてなによりも得難えがた資質ししつであった。

 レイタスは、この時になって初めて「こいつを育ててみたい」と心底から思ったのである。

「ところでさ──」

 セルネアが街の見物けんぶつにあきたのか、レイタスをふりかえって声をかけてきた。

 その声でレイタスは回顧かいこを中断し、弟子を見やった。

「どうした」

「カルカリアの戦いでバーナーム軍を勝利に導いた謎の軍師って、あたしらのお仲間ってことは・・・・・・ないよね?」

 念をおすようにたずねてきたセルネアの表情がどこか不安げだった。

 無理もないことである。なぜなら、カルカリアの戦いでバーナーム軍が見せた戦術は、〈アズエルの使徒〉の介在かいざいを疑うのにじゅうぶんなほどあざやかであったのだから。

 だが、レイタスにはきっぱりと否定できる根拠があり、それゆえ、はっきりと首を横にふってみせた。

「ありえん。我が教団はエリンデールによる統一を支持していたのだ。ローデランの統一を阻害そがいして戦乱を長引かせるのは我らの教義きょうぎに反する」

をもって招来しょうらいす、でしょ?」

「ああ、そうだ」

 ほこらしげに微笑ほほえむセルネアに、レイタスも微笑んでうなずいた。

 この言葉を口にする時、使徒の誰もが誇らしげに微笑むのは、それがみずからのって立つ信条だからであり、迷った時の心の拠りどころでもあるからだった。

「だが──」

 レイタスはすぐにその顔をくもらせた。

「エリンデールの敗死はいしがローデランをふたたび乱世にかえつつある。この現状は教団の理想と合致がっちしない」

 カルカリアでエリンデールが敗北し、そればかりか戦死した事実は、今やローデラン全土の知るところとなっている。

 そして主君しゅくんの敗死を知ったエリンデールのおもだった部下たちは、実に嘆かわしいことに、エリンデールがのこした広大な領地とそれに付随ふずいする富と権力をめぐって早くも対立していた。

 そしてエリンデールの跡目あとめ争いに、旧王家の復興をかかげるバーナーム伯までもが加わって、ローデランは明日の光がまったく見えない闇夜やみよのなかにあった。

 そんな事態となることをアズエル教団は望んでいなかった。望むはずもないのだ。バーナーム伯を支援してエリンデールの統一事業を阻害する行為は、「智をもって治を招来す」という戦神アズエルの教えに真っ向から反したものだからである。

 バーナーム軍に加担かたんする〈アズエルの使徒〉は存在しないとするレイタスの、それが論拠ろんきょであった。

「でも、使徒以外の人間にあんな戦いができるもんなの?」

 セルネアの口ぶりは、犯人は〈アズエルの使徒〉であったほうが納得できるのに、とでも言いたげである。

 もどかしさを隠さぬ弟子に苦笑を浮かべつつ、レイタスは肩をすくめた。

「戦場における偉大な業績のすべてが使徒の手によるもの、というわけじゃない。使徒以外にも優れた用兵家や軍学者は存在する。とはいえ、カルカリアの戦いをバーナーム軍の側で主導した人物が何者なのか、そいつは俺も早く知りたいところだ」

「だったら、こんなところで油売ってないで先を急ごうよ」

 バーナーム軍の軍師が何者なのか。それへの関心がレイタスの足をバーナーム伯領へむかわせている。ニアヘイムに立ちよったのはその旅の準備のため。少なくともセルネアはそう考えているようだった。

 だが本当の目的は別にあり、レイタスはそれをさとらせるヒントを弟子にさりげなくあたえた。

「旅を急ぐ必要は、どうやらなさそうだぞ」

「どゆこと?」

 小首こくびかしげたセルネアは、遠くを見つめるレイタスの視線を追って自分の背後をふりかえった。

 そこでは人々が立ち止まって集まり、なにやらざわついていた。

 セルネアがその人だかりに近づいていく。そして、さりげなく人だかりに混じったかと思うと、さりげなく人だかりの最前列に自分の体を割りこませていった。

(ああいう節操せっそうのないことにかけては天才だな・・・・・・)

 と、レイタスがしみじみ感じ入っていると、やがて、血相けっそうをかえたセルネアが人だかりをかきわけてもどってきた。

「大変だよ、レイタス! バーナーム軍がこの街に攻めてくるって!」

 バーナーム伯領からやってきた旅人や商人が、大規模な軍隊の接近を街中にれまわっているらしい。

 レイタスは平然とうなずいた。

「そのようだな」

 ぴくりとも動揺せず、おどろきもしない若き師の態度を見て、セルネアが怪訝けげんそうにまゆをひそめた。

「もしかして・・・・・・こうなるとわかってて、わざわざここに?」

「ほお、おまえにしてはなかなかするどいな」

 意地の悪い笑みでわざとらしくほめたあと、レイタスは教師の口ぶりになった。

「では、俺がそう考えた理由を答えてみろ。カルカリアで勝利したあと、なぜバーナーム伯は真っ先にここニアヘイムをおさえにかかる?」

「こんな時に講義ィ?」

 と、口をとがらせて不平をあらわにしたものの、セルネアは興味もあってか、腕を組んでレイタスの思考を読み解きはじめた。

「ん~っとォ・・・・・・ここニアヘイムは、たしか、エリンデールから自治を認められていた海の商人たちの街だよね?」

 物資と情報の流通網りゅうつうもうを世界中の海に張りめぐらせている彼ら商人を敵にまわすよりは、彼らの自治を認め、防衛力を提供して味方にだきこみ、平和に彼らの流通網を利用したほうが得策と考えたエリンデールの英断えいだんであった。

「でもそのエリンデールがき今、庇護者ひごしゃをうしなったニアヘイムは丸裸まるはだかも同然・・・・・・あ、そっか! 目と鼻の先にある無防備な拠点きょてんをバーナーム伯が見逃みのすわけがない!」

 防備の手薄てうすな拠点をおさえにかかろうとするのは軍閥の指導者にとって当然の心理である、と、セルネアは読み解いたようである。

 だが、レイタスはその解答に及第点きゅうだいてんをあたえなかった。

「まちがってはいないが、それは表層ひょうそう的な理由にすぎない。伯がニアヘイムをほっする根本的な動機は他にある」

「根本的な動機?」

「この街の最大の特徴とはなんだ」

「え~っと・・・・・・港?」

「そう。では、バーナーム伯領に港はあるか?」

「たしかァ・・・・・・ない、はず」

 セルネアは青空をあおいでそこに地図でも広げているような顔をつくり、もう一度、力強くうなずいた。

「うん、ない。あそこは険しい山々に囲まれた内陸の領地だし・・・・・・あッ、そっか!」

 自分の言葉で解答を得たのだろう。セルネアは嬉々ききとして声をはずませた。

「バーナーム伯にとって、海へ進出するための足がかりとなる港町はのどから手がでるほど欲しいに決まってる!」

「そういうことだ」

 ヒントを得ながらではあったが自力で正解にこぎつけた弟子に、レイタスは「まあまあだ」という感想をにじませた微笑びしょうをむけた。

 ニアヘイムは、海をかいして世界中の交易路と通じている富と情報の一大集積地しゅうせきちである。手に入れれば海上交易が可能となり、莫大ばくだい財貨ざいかが所有者のふところに転がりこんでくる。

 そんな、富の源泉げんせんになり得る拠点をバーナーム伯が見逃すはずがない。大軍をやしなって天下にを唱えようとの野心があればなおさらである。

 今までは、エリンデールが救援にかけつけてくるのがおそろしくて迂闊うかつに手だしできなかったが、彼亡き今は誰にはばかることなく手がだせる。

 おまけにエリンデールの後継者たちは跡目争いにいそがしく、辺境にある一港町の存亡そんぼうなど気にもとめてはいまい。そんな今こそがニアヘイムを攻略する絶好の機会だと、バーナーム伯の鼻息はあらいにちがいなかった。

 これらの読みにもとづいてレイタスはニアヘイムをめざし、その読みはどうやら的中したようである。

「でも、どうする気?」

 みごとな洞察どうさつでニアヘイムをめざしたはいいが、めざしたあと、ここニアヘイムでなにをするつもりなのか。小首を傾げて飴色の髪をゆらすセルネアの表情からはそんな疑問が読みとれた。

 レイタスは歩みを再開し、ついてくる弟子を肩ごしにかえりみた。

「カルカリアでバーナーム軍を勝利へと導いた謎の軍師・・・・・・やつの力量りきりょうをじかにはかるにはちょうどいい機会だと思わないか?」

「まさか・・・・・・戦うってこと?」

「おまえの〈修羅場しゅらば〉の初陣ういじんとなる戦いだ。心してかかれよ」

「え・・・・・・うそ・・・・・・」

 そうつぶやいたきり、背後でセルネアの足音が消えたものだから、レイタスは不審ふしんに思って立ちどまり、ふりかえった。

 セルネアが立ちつくし、放心ほうしんしたようにボーっとレイタスを見つめている。

「大丈夫か?」

 レイタスはセルネアのもとまでもどり、彼女の鼻先で片手をふった。

 すると、ようやくハッとわれにかえったセルネアが、今度は顔をほんのりと赤くそめながら言葉をまくし立ててきた。

「あ、あたしにできるのかな、この街の防衛なんて! だってだって、〈天覧の儀〉で見てきた戦いはほとんどが野戦やせんだったし、籠城戦ろうじょうせんなんて数えるほどしかなかったし、拠点防衛の講義はむずかしすぎてよくきいてなかったし、騎兵でダーッて突っこむ野戦ならなんとかなりそうな気がするけど、籠城戦はさすがのあたしも自信が全然もてなくて──」

「落ちつけ」

 レイタスは弟子の早とちりにあきれる一方で、彼女の必死な姿が微笑ましく思えて苦笑した。

「誰がおまえにすべてをまかせるなんて言った」

「へ・・・・・・ちがうの?」

「あたりまえだ。おまえに全部まかせたらアリづかだって守れやしない。それと念のために言っておくが、野戦は騎兵をダーッて突っこませるだけじゃ勝てんぞ」

「う・・・・・・」

 弟子のいい加減な騎兵戦術に冷静な指摘を入れたあと、レイタスは自分の顎先あごさきをつまんで思案した。

「さしあたり、おまえには・・・・・・そうだな、このニアヘイムを防衛するにあたっての兵の配置を立案りつあんしてもらおう。限られた兵を、どこに、どれだけ配置すればこの街を効率よく守れるのか、そいつを考えるんだ。〈天覧の儀〉でつちかった知識を存分にかすがいい、我が弟子よ」

「ちょ、ちょっと、どこ行く気?」

 きびすをかえして歩きはじめたレイタスの背なかに、セルネアの非難ひなんがましい声がさる。

 レイタスはふりかえらず、弟子に背をむけて歩きながら答えた。

「平和ボケした連中に現実というものを教えてくる。おまえは、宿をとって配置をりながら俺の帰りをまて」

 あとは片手をヒラヒラとふってセルネアをあとに残した。



 弟子と別れたレイタスがむかった先は、ニアヘイムを守るにあたって無視することができない重要な場所だった。

 それは城壁でもなく、城門でもなく、港でもなく、街の議会である。

 ニアヘイムは、海の商人たちで構成された議会によって統治されている。市政しせいはもちろんのこと、商業活動の方針までもがこの議会によって決められていた。商人の、商人による、商人のための行政機関である。

 議事堂もかねた市庁舎しちょうしゃは、街のほぼ中央に位置する大きな広場に面していた。

 大理石の彫像ちょうぞう精緻せいちなレリーフによって外観を飾り立てて富と権力を誇示こじしたその建物にむかって、レイタスはフードを目深まぶかにおろしてを進めた。その足取あしどりに、権威を隠そうともしない居丈高いたけだかな建物への遠慮や迷い、あるいは気圧けおされている様子は微塵みじんもない。

 建物の入口を守る警備の兵は何人かいたが、彼らの目をぬすんでなかへ侵入するのはレイタスにとってたやすいことだった。

 建物のなかでは、議事録の管理をつかさどっている書記官をよそおって歩いた。知識人階級にローブ姿が多いローデランにおいて、レイタスの格好はそれへの変装にうってつけである。両手の手甲ガントレットを長いそでで隠し、くる途中で買いこんだ羊皮紙ようひしの巻物を何本か小脇こわきにかかえていれば、すれちがう職員や衛兵に怪しまれることはなかった。

 議事堂となっている部屋はすぐにわかった。入口に、他の部屋とは明らかに異なる立派な扉がしつらえられており、そのわきには完全武装の衛兵えいへいがひとり、直立不動で立っていたから。

「議事録に必要な羊皮紙の追加をもってきた」

 レイタスがフードの奥から落ちついた声音こわねでそう告げると、衛兵はレイタスのためにわざわざ扉をあけ、なかへ入るようにうながしてくれた。

 室内へ足を踏み入れてすぐ、レイタスは内心であきれた。

 議事堂のなかは、バーナーム伯の大軍が接近しつつあるという緊迫きんぱくした状況にしては、ずいぶんと穏やかな雰囲気ふんいきにつつまれていたのだ。

 大きな円卓えんたくを、三〇人ばかりの議員と見られる男たちが取り囲んでいるのだが、彼らはみな紅茶をすすったり、パイプをふかしたり、あるいは冗談を言いあって笑声しょうせいをあげたりと、およそ国難こくなんに直面しているとは思えぬなごみようである。

 レイタスは、部屋のすみで議員たちの発言をすらすらと書きつづっている書記官たちのほうに歩みより、そのなかのひとりの机に巻物を置いた。

「追加の羊皮紙だ」

「ああ、助かる」

 その書記官はレイタスを見あげることなく羽ペンを動かしつづけている。

「で、どんな様子だ。議会の意向は主戦しゅせんか、それとも降伏こうふくか?」

 レイタスがたずねると、書記官は羽ペンを動かしながら小声こごえで応じた。

「なにをバカな。主戦も降伏もあるものか。我らの取るべき道はただひとつ、和平さ。エリンデールにもそうしたように、バーナーム伯にも同盟を申しでて自治を認めさせ、見かえりにこの街の海運力を提供する。古来こらい、この街はそうやって命脈めいみゃくをたもってきたんだ。その方針は今も未来もかわりはしないさ」

「和平ね・・・・・・悠長ゆうちょうなことだな」

 レイタスがつぶやくと、その書記官は初めて羽ペンをとめ、顔をあげて怪訝けげん眼差まなざしをむけてきた。レイタスのつぶやきに剣呑けんのんなひびきを感じ取ったからかもしれない。

 そんな書記官を背後に残し、レイタスは円卓に向かって歩を進めた。

 呼びもしないのに書記官らしき人物が進みでてきたことを不審ふしんに思ったのか、談笑していた議員たちが一斉いっせいに口をとざし、笑みを消してレイタスを注視ちゅうしする。

 彼らがむけてくる視線の前に、レイタスはフードを払って自分の顔をさらした。

「見ない顔だな。何者だ」

 当然の誰何すいかに、レイタスはうやうやしく一礼して応じた。

「お初にお目にかかります、議員諸氏しょし。我が名はレイタス。この街のゆく末をうれえる者のひとりです」

「憂える? 一体なにをだね」

 議員のひとりが不快げに眉根まゆねをよせて尊大そんだいたずねてきた。

 レイタスはおくすることなく答えた。

「この街の自由が死ぬことを、です」

 議員たちはたがいに顔を見かわし、不遜ふそんな発言をする闖入者ちんにゅうしゃに対して怒気どきを立ちのぼらせはじめた。

「誰か、衛兵を呼んでこの慮外者りょがいものをつまみだせ」

 別の議員が書記官たちにむかってそう命じる。

 命じられた書記官が室外の衛兵を呼びにあたふたと扉へ走っていくのを横目で見やりながら、レイタスは殊更ことさらに声を大きくして言った。

「あなた方の和平案を、バーナーム伯は決して受け入れないでしょう」

 すると、また別の議員が反応を示した。

「待て」

 口のまわりにだけ黒いヒゲを生やした四〇歳前後と思われるその議員は、衛兵を呼びに行こうとしていた書記官をせいし、レイタスにするどい視線をむけてきた。

「わたしは議長のザンヘルだ。貴殿きでんがそう主張する根拠をきかせてもらいたい」

「根拠はいたって単純です、議長」

 レイタスは一礼して、議長に敬意を表してから語をいだ。

「この街には、エリンデールにくみした前科ぜんかがあるからです」

「前科だと?」

 犯罪者のようなあつかいにザンヘルは顔をしかめて不快感を隠さなかった。が、レイタスはかまわずにつづけた。

「先日、カルカリアで行われた戦いにおいて、あなた方はエリンデール軍の兵士と物資を船で運搬うんぱんするのにひと役買っています。バーナーム伯にしてみれば、ここニアヘイムは、自分を殺すための軍隊を整えた憎き街というわけです」

 カルカリアの戦いにおいて、ニアヘイムがエリンデール軍の陸海りくかいにおける集結地点であったことは周知の事実である。エリンデールはニアヘイムで全軍の陣容じんようを整えてからカルカリアの野へ進撃したのであった。

「なるほどな。貴殿のげんには一理ある」

 ザンヘルは短くうなずくも、レイタスをにらんで反論してきた。

「だが、我らの力を見くびってもらっては困る。時の権力者たちは、あのエリンデールもふくめてみな、我ら海の商人を必要とし、我らの力に頼ってきた。バーナーム伯とて同じこと。我らを敵にまわして時間と金のかかる戦争をしかけるよりも、我らと同盟を結んで平和にニアヘイムを利用したほうが得策と考えるのではないか?」

「残念ながら、議長、時の権力者たちが必要だと認め、頼りにしてきたのは、あなた方、海の商人ではありません」

「なに?」

 虚仮こけにされたと感じたのか、ザンヘルの眉間みけんに深いシワが走り、声に怒気がちらついた。

「では、なんだと言うのだ」

「港です。海路で人と物を移送できる海の玄関としての港。そして、その港は商人でなくても運用できます。なまじ独立心が強く、自由の気風きふうとうとぶ海の商人は、港を支配下におさめたい者にとっては邪魔な存在でしかありません」

 さらにレイタスは理路整然りろせいぜんと言葉を重ねた。

「たしかに旧王家やエリンデールはあなた方と同盟を結び、自治と独立を認めてきました。しかしそれは、他にも利用できる港が彼らの支配下にあったからです。バーナーム伯はちがう。彼の領地は内陸ゆえ港はひとつもなく、伯にとって港を完備しているニアヘイムは海へ進出する玄関としてでも欲しいところ。そして一度手に入れれば、貴重な港を他人の手にゆだねたりなどしない。議会を解散させて直接統治に乗りだし、港を出入りする船には例外なく莫大ばくだいな関税をかけることでしょう。商業活動も商人の好き勝手にはさせない。一事いちじ万事ばんじ、伯の言いなりとなる。つまり、あなた方の自由は死ぬのです」

 ふたたび議員たちが互いの顔を見かわし、ざわつきはじめた。だが今度のそれはレイタスへの敵愾心てきがいしんからではなく、自分たちの未来がおびやかされる可能性への不安からであった。

 ざわつく議員たちを見まわしながら、レイタスは気負きおうでもなくつづけた。

「むろん、この程度の未来を、利にさといあなた方が予測していないはずもない。にもかかわらず、バーナーム軍を相手に腰が引けるのは具体的な勝算しょうさんを見いだせないがゆえ。ならば、俺がバーナーム軍を撃退してさしあげよう。この俺に、街の防衛の全権を委ねていただきたい。ニアヘイムを必ず守ってご覧にいれましょう」

「フン! なにを言いだすのかと思えば──」

 議員のひとりが嘲笑ちょうしょうを浮かべ、あきれたような口調で言った。

「この街の軍権ぐんけんをよこせだと? おまえのような素性すじょうの知れぬ若造にか?」

 すると、それに同調してレイタスをなじる議員が次々と現れはじめた。

「おまえを信用しなくてはならん理由がどこにある。この街のことはこの街の人間が決めるのだ。余所者よそもの指図さしずされる筋合すじあいはない」

「そのとおり! すでに票は決し、議会はバーナーム伯との和平をとしておるのだ。あとは和平の使者をたせるのみ。戦いの準備など必要ない!」

「ええい、さっさと衛兵を呼んで、この不届ふとどきな侵入者をろうにぶちこめ!」

 これらの声を、今度はザンヘルも制止しようとはせず、ついに衛兵が書記官の手によって連れてこられた。

 レイタスは粛々しゅくしゅく捕縛ほばくに応じた。やってきた衛兵におとなしく帯剣たいけんを差しだし、みずから両手を後ろへまわして、抵抗する素振そぶりを一切、見せない。

 まるでこうなることを予期していたかのように平然とふるまうレイタスに、ザンヘルが釈然しゃくぜんとしない表情で歩みよってきた。

「おまえの目的はなんだ」

「先ほどから申しあげているとおり、この街をバーナーム軍から守ることです、議長」

 レイタスがさらりと言ってのけたものだから、ザンヘルは「信じられん」とでも言いたげな顔つきでかぶりをふった。

珍妙ちんみょうな客人よ、せっかくだがその必要はない。我らは伯と同盟を結び、今までどおり自治と独立をつらぬきとおす」

「ならば俺のでるまくはありません。ただ、おせっかいついでにひとつ──」

 レイタスは穏やかな表情で告げた。

「降伏の使者ならいざしらず、和平の使者など、送ったところで首だけとなって帰ってくるのがオチです。命の無駄使いはおやめになったほうがよろしいでしょう」

「・・・・・・・・・」

 レイタスの予言めいた宣告せんこくに、ザンヘルは思いつめたようなけわしい表情で黙りこんだ。だがそれも長くはなく、やがて、レイタスを牢屋へ連行するよう身ぶりで衛兵に命じた。

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