3
バーナーム
ニアヘイムは、入り
そんな恵まれた
およそ三〇〇年前までは存在していた
「だが、その平和が長すぎたようだな・・・・・・」
ニアヘイムの北に面した城門から街なかに足を
石とレンガを
日中にだけ開放されている巨大な
この街を、武力によって征服するような者などいるはずがない──。
そんな
「でも、ここは実際、平和そのものだね」
不意に流れた少女の
声のしたほうを見ると、平和
ちょうど一年前に、長老会から「弟子に」とおしつけられたのがこの少女だった。
レイタス自身はまだ自分が師になれるような
「誰かに教え
という、なんら
(とんだお荷物を
当初、レイタスは心からそう思い、うんざりしたものである。
弟子となった少女が無礼かつ
おかげでレイタスは軍事や
セルネアの
その境遇に同情はしていない。戦争孤児など三〇〇年も内乱に明け暮れているローデランではめずらしくもないし、レイタス自身もそうだったから。
(こうして黙っていれば、かわいいもんなんだがな・・・・・・)
初めて
そんなセルネアのなかに〈アズエルの使徒〉としての素質をレイタスが見いだしたのは、最初の〈天覧の儀〉でのことだった。
まだエリンデールがローデラン東部を征服したばかりで、これから残りの西半分に目をむけていよいよ統一事業に乗りだそうとしていた矢先のことである。
西部
「
するとセルネアは考える
「
「なに?」
「ローデランを統一して平和をもたらしたいと願う気もち。あわれな生活を
「では、勝った方には志があったと?」
「ない。だから今日勝ったほうもいずれ負ける。統一と平和を
「・・・・・・」
問答としては
この時、セルネアはエリンデールの存在をまだ知らない。
それゆえ、戦争孤児という
だが、そうだとしても、ローデラン全土を
レイタスは、この時になって初めて「こいつを育ててみたい」と心底から思ったのである。
「ところでさ──」
セルネアが街の
その声でレイタスは
「どうした」
「カルカリアの戦いでバーナーム軍を勝利に導いた謎の軍師って、あたしらのお仲間ってことは・・・・・・ないよね?」
念をおすように
無理もないことである。なぜなら、カルカリアの戦いでバーナーム軍が見せた戦術は、〈アズエルの使徒〉の
だが、レイタスにはきっぱりと否定できる根拠があり、それゆえ、はっきりと首を横にふってみせた。
「ありえん。我が教団はエリンデールによる統一を支持していたのだ。ローデランの統一を
「
「ああ、そうだ」
この言葉を口にする時、使徒の誰もが誇らしげに微笑むのは、それがみずからの
「だが──」
レイタスはすぐにその顔を
「エリンデールの
カルカリアでエリンデールが敗北し、そればかりか戦死した事実は、今やローデラン全土の知るところとなっている。
そして
そしてエリンデールの
そんな事態となることをアズエル教団は望んでいなかった。望むはずもないのだ。バーナーム伯を支援してエリンデールの統一事業を阻害する行為は、「智をもって治を招来す」という戦神アズエルの教えに真っ向から反したものだからである。
バーナーム軍に
「でも、使徒以外の人間にあんな戦いができるもんなの?」
セルネアの口ぶりは、犯人は〈アズエルの使徒〉であったほうが納得できるのに、とでも言いたげである。
もどかしさを隠さぬ弟子に苦笑を浮かべつつ、レイタスは肩をすくめた。
「戦場における偉大な業績のすべてが使徒の手によるもの、というわけじゃない。使徒以外にも優れた用兵家や軍学者は存在する。とはいえ、カルカリアの戦いをバーナーム軍の側で主導した人物が何者なのか、そいつは俺も早く知りたいところだ」
「だったら、こんなところで油売ってないで先を急ごうよ」
バーナーム軍の軍師が何者なのか。それへの関心がレイタスの足をバーナーム伯領へむかわせている。ニアヘイムに立ちよったのはその旅の準備のため。少なくともセルネアはそう考えているようだった。
だが本当の目的は別にあり、レイタスはそれを
「旅を急ぐ必要は、どうやらなさそうだぞ」
「どゆこと?」
そこでは人々が立ち止まって集まり、なにやらざわついていた。
セルネアがその人だかりに近づいていく。そして、さりげなく人だかりに混じったかと思うと、さりげなく人だかりの最前列に自分の体を割りこませていった。
(ああいう
と、レイタスがしみじみ感じ入っていると、やがて、
「大変だよ、レイタス! バーナーム軍がこの街に攻めてくるって!」
バーナーム伯領からやってきた旅人や商人が、大規模な軍隊の接近を街中に
レイタスは平然とうなずいた。
「そのようだな」
ぴくりとも動揺せず、おどろきもしない若き師の態度を見て、セルネアが
「もしかして・・・・・・こうなるとわかってて、わざわざここに?」
「ほお、おまえにしてはなかなか
意地の悪い笑みでわざとらしくほめたあと、レイタスは教師の口ぶりになった。
「では、俺がそう考えた理由を答えてみろ。カルカリアで勝利したあと、なぜバーナーム伯は真っ先にここニアヘイムをおさえにかかる?」
「こんな時に講義ィ?」
と、口をとがらせて不平をあらわにしたものの、セルネアは興味もあってか、腕を組んでレイタスの思考を読み解きはじめた。
「ん~っとォ・・・・・・ここニアヘイムは、たしか、エリンデールから自治を認められていた海の商人たちの街だよね?」
物資と情報の
「でもそのエリンデールが
防備の
だが、レイタスはその解答に
「まちがってはいないが、それは
「根本的な動機?」
「この街の最大の特徴とはなんだ」
「え~っと・・・・・・港?」
「そう。では、バーナーム伯領に港はあるか?」
「たしかァ・・・・・・ない、はず」
セルネアは青空を
「うん、ない。あそこは険しい山々に囲まれた内陸の領地だし・・・・・・あッ、そっか!」
自分の言葉で解答を得たのだろう。セルネアは
「バーナーム伯にとって、海へ進出するための足がかりとなる港町は
「そういうことだ」
ヒントを得ながらではあったが自力で正解にこぎつけた弟子に、レイタスは「まあまあだ」という感想をにじませた
ニアヘイムは、海を
そんな、富の
今までは、エリンデールが救援にかけつけてくるのがおそろしくて
おまけにエリンデールの後継者たちは跡目争いにいそがしく、辺境にある一港町の
これらの読みにもとづいてレイタスはニアヘイムをめざし、その読みはどうやら的中したようである。
「でも、どうする気?」
みごとな
レイタスは歩みを再開し、ついてくる弟子を肩ごしに
「カルカリアでバーナーム軍を勝利へと導いた謎の軍師・・・・・・やつの
「まさか・・・・・・戦うってこと?」
「おまえの〈
「え・・・・・・うそ・・・・・・」
そうつぶやいたきり、背後でセルネアの足音が消えたものだから、レイタスは
セルネアが立ちつくし、
「大丈夫か?」
レイタスはセルネアのもとまでもどり、彼女の鼻先で片手をふった。
すると、ようやくハッと
「あ、あたしにできるのかな、この街の防衛なんて! だってだって、〈天覧の儀〉で見てきた戦いはほとんどが
「落ちつけ」
レイタスは弟子の早とちりにあきれる一方で、彼女の必死な姿が微笑ましく思えて苦笑した。
「誰がおまえにすべてをまかせるなんて言った」
「へ・・・・・・ちがうの?」
「あたりまえだ。おまえに全部まかせたらアリ
「う・・・・・・」
弟子のいい加減な騎兵戦術に冷静な指摘を入れたあと、レイタスは自分の
「さしあたり、おまえには・・・・・・そうだな、このニアヘイムを防衛するにあたっての兵の配置を
「ちょ、ちょっと、どこ行く気?」
レイタスはふりかえらず、弟子に背をむけて歩きながら答えた。
「平和ボケした連中に現実というものを教えてくる。おまえは、宿をとって配置を
あとは片手をヒラヒラとふってセルネアをあとに残した。
弟子と別れたレイタスがむかった先は、ニアヘイムを守るにあたって無視することができない重要な場所だった。
それは城壁でもなく、城門でもなく、港でもなく、街の議会である。
ニアヘイムは、海の商人たちで構成された議会によって統治されている。
議事堂もかねた
大理石の
建物の入口を守る警備の兵は何人かいたが、彼らの目を
建物のなかでは、議事録の管理を
議事堂となっている部屋はすぐにわかった。入口に、他の部屋とは明らかに異なる立派な扉がしつらえられており、そのわきには完全武装の
「議事録に必要な羊皮紙の追加をもってきた」
レイタスがフードの奥から落ちついた
室内へ足を踏み入れてすぐ、レイタスは内心であきれた。
議事堂のなかは、バーナーム伯の大軍が接近しつつあるという
大きな
レイタスは、部屋の
「追加の羊皮紙だ」
「ああ、助かる」
その書記官はレイタスを見あげることなく羽ペンを動かしつづけている。
「で、どんな様子だ。議会の意向は
レイタスが
「なにをバカな。主戦も降伏もあるものか。我らの取るべき道はただひとつ、和平さ。エリンデールにもそうしたように、バーナーム伯にも同盟を申しでて自治を認めさせ、見かえりにこの街の海運力を提供する。
「和平ね・・・・・・
レイタスがつぶやくと、その書記官は初めて羽ペンをとめ、顔をあげて
そんな書記官を背後に残し、レイタスは円卓に向かって歩を進めた。
呼びもしないのに書記官らしき人物が進みでてきたことを
彼らがむけてくる視線の前に、レイタスはフードを払って自分の顔をさらした。
「見ない顔だな。何者だ」
当然の
「お初にお目にかかります、議員
「憂える? 一体なにをだね」
議員のひとりが不快げに
レイタスは
「この街の自由が死ぬことを、です」
議員たちは
「誰か、衛兵を呼んでこの
別の議員が書記官たちにむかってそう命じる。
命じられた書記官が室外の衛兵を呼びにあたふたと扉へ走っていくのを横目で見やりながら、レイタスは
「あなた方の和平案を、バーナーム伯は決して受け入れないでしょう」
すると、また別の議員が反応を示した。
「待て」
口のまわりにだけ黒いヒゲを生やした四〇歳前後と思われるその議員は、衛兵を呼びに行こうとしていた書記官を
「わたしは議長のザンヘルだ。
「根拠はいたって単純です、議長」
レイタスは一礼して、議長に敬意を表してから語を
「この街には、エリンデールに
「前科だと?」
犯罪者のようなあつかいにザンヘルは顔をしかめて不快感を隠さなかった。が、レイタスはかまわずにつづけた。
「先日、カルカリアで行われた戦いにおいて、あなた方はエリンデール軍の兵士と物資を船で
カルカリアの戦いにおいて、ニアヘイムがエリンデール軍の
「なるほどな。貴殿の
ザンヘルは短くうなずくも、レイタスをにらんで反論してきた。
「だが、我らの力を見くびってもらっては困る。時の権力者たちは、あのエリンデールもふくめてみな、我ら海の商人を必要とし、我らの力に頼ってきた。バーナーム伯とて同じこと。我らを敵にまわして時間と金のかかる戦争をしかけるよりも、我らと同盟を結んで平和
「残念ながら、議長、時の権力者たちが必要だと認め、頼りにしてきたのは、あなた方、海の商人ではありません」
「なに?」
「では、なんだと言うのだ」
「港です。海路で人と物を移送できる海の玄関としての港。そして、その港は商人でなくても運用できます。なまじ独立心が強く、自由の
さらにレイタスは
「たしかに旧王家やエリンデールはあなた方と同盟を結び、自治と独立を認めてきました。しかしそれは、他にも利用できる港が彼らの支配下にあったからです。バーナーム伯はちがう。彼の領地は内陸ゆえ港はひとつもなく、伯にとって港を完備しているニアヘイムは海へ進出する玄関として
ふたたび議員たちが互いの顔を見かわし、ざわつきはじめた。だが今度のそれはレイタスへの
ざわつく議員たちを見まわしながら、レイタスは
「むろん、この程度の未来を、利に
「フン! なにを言いだすのかと思えば──」
議員のひとりが
「この街の
すると、それに同調してレイタスをなじる議員が次々と現れはじめた。
「おまえを信用しなくてはならん理由がどこにある。この街のことはこの街の人間が決めるのだ。
「そのとおり! すでに票は決し、議会はバーナーム伯との和平を
「ええい、さっさと衛兵を呼んで、この
これらの声を、今度はザンヘルも制止しようとはせず、ついに衛兵が書記官の手によって連れてこられた。
レイタスは
まるでこうなることを予期していたかのように平然とふるまうレイタスに、ザンヘルが
「おまえの目的はなんだ」
「先ほどから申しあげているとおり、この街をバーナーム軍から守ることです、議長」
レイタスがさらりと言ってのけたものだから、ザンヘルは「信じられん」とでも言いたげな顔つきで
「
「ならば俺のでる
レイタスは穏やかな表情で告げた。
「降伏の使者ならいざしらず、和平の使者など、送ったところで首だけとなって帰ってくるのがオチです。命の無駄使いはおやめになったほうがよろしいでしょう」
「・・・・・・・・・」
レイタスの予言めいた
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