2
セルネアは、戦いがはじまった
両軍ともに中央の本陣を左右の
これに
そして、その騎兵の運用に関してエリンデールは
「エリンデール軍の左翼が動くぞ」
両軍の歩兵が
セルネアは反射的に遠見の筒をエリンデール軍左翼へふりむける。
遠見の筒のなかで、およそ一万を数える人馬の群れが
「バーナーム軍中央の歩兵は、自分たちが前に引きずりだされていることに気づいていないな」
レイタスの言うとおり、バーナーム軍はエリンデール軍がしかけた
エリンデール軍中央の歩兵は、戦いながらも意図的にじわりじわりと後退していたのである。
そうとも知らず、バーナーム軍中央の歩兵は自分たちが優勢だと
この、
「
まるで自分のことのように喜びを声にのせて語るレイタスが、セルネアには内心おかしかった。
(さっきはエリンデールが負けるかもしれない、なんて言ってたくせに、ふふ)
結局のところ、レイタスも本心ではエリンデールに
いずれにしてもセルネアにとっては好ましいことだった。
ちょうどこの時、エリンデール軍左翼の重装騎兵がバーナーム軍中央の歩兵を右側面からえぐりはじめた。
バーナーム軍の歩兵らは、突如として横から襲来した敵の騎兵部隊に対して
その
「エリンデールの
「ああ」
レイタスが遠見の筒で戦場を見守りながらうなずいた。
騎兵の破壊力を最大限に引きだせる状況を、まずは歩兵を使って整え、整うや
これをやられた敵はエリンデール騎兵に前衛部隊をズタズタにされ、立てなおす
左右から交差するようにして突撃してくるエリンデール騎兵の標的となった敵部隊は、まるで左右から大鎌をふられた
そのみごとな騎兵戦術を
「戦場に意をそそげ、弟子よ。ついにエリンデール軍の右翼も動きはじめた。いよいよ二本目の鎌がふるわれるぞ」
レイタスがそう
セルネアは「ふう」と息を
セルネアが覗く遠見の筒のなかでは、左翼と同様におびただしい数の騎兵で構成されたエリンデール軍右翼が、ゆるやかな
「すごいね・・・・・・あれだけの数の人馬が、あれだけの速度のなかでまったく
遠方のため、遠見の筒を用いても兵士ひとりひとりの表情まではうかがい知れないが、それでも彼らの
「エリンデールへの忠誠、いや、信仰がそうさせているのだろう。誰もがエリンデールの正義を心から信じ、彼のためなら死んでもかまわないとすら思っているにちがいない。まさしくローデラン全土を
レイタスの
戦場では、左の大鎌につづいて、いよいよ右の大鎌がバーナーム軍中央の前衛部隊にとどめを刺すべくふるわれようとしていた。
この右翼の突撃が成功すれば、バーナーム軍の中央戦線は一気に崩壊し、
だが、不意にレイタスの口から
「どういうことだ・・・・・・」
声の調子に
「どうしたの?」
だがレイタスは答えず、食い入るように遠見の筒を覗きこんでいる。筒の先がバーナーム軍のほうにむけられているのを知り、セルネアもあわてて遠見の筒を右目にあてなおしてバーナーム軍を見おろした。
しかし、セルネアにはレイタスの動揺したわけがまったく理解できなかった。
バーナーム軍中央の前衛部隊は、エリンデール軍の左翼につづいて右翼からの突撃にもさらされ、今や立てなおしが不可能なほどの
(エリンデールの大鎌が成功したんだから、当然だよ)
そうセルネアは思うのだが、レイタスの目にはなにかが異様に映っているようだ。
それを素直にたずねるのが
「ん~っと、そうだね、一体どういうことだろうね、これは。レイタスはどう思う?」
「おまえ、なにもわかってないだろ」
「う・・・・・・」
あっさり見すかされて、セルネアは
「なにがそんなに不思議なの?」
「今まで俺たちが見てきたエリンデールの戦いを思いだしてみろ。エリンデールの大鎌をふるわれた相手は、そのあと、どう対処していた」
「そのあと? え~っとォ、たしかァ──」
セルネアは遠見の筒をおろし、青空を見あげながら意識を戦場から過去の記憶へとうつした。
「
「そう。場あたり的で、しかも後手にまわった
それをたしかめるためにセルネアは遠見の筒を覗き、やがて納得してうなずいた。
「ほんとだ・・・・・・まるでさそってるみたい」
思ったことを素直にもらしたセルネアの感想を、レイタスが深刻な声でくりかえした。
「さそってる・・・・・・そうかッ──」
なにかに思いあたった様子のレイタスが遠見の筒を覗きこんだ、その直後、エリンデール軍中央から角笛の
その
エリンデールはみずからの手で勝利を決定づけようと、敵の本陣に向かって一大突撃を敢行したのである。
「ダメだッ、まだ早い!」
丘の上で発したレイタスの叫びが戦場にいるエリンデールの耳にとどくはずもなく、近衛騎兵団は
だがこの一大突撃はエリンデールに勝利と栄光をさずける前に、ローデランの戦史に
突撃するエリンデール率いる近衛騎兵団と、その突撃を真っ向から受けて立つかのようにまちかまえているバーナーム軍中央の本陣が、今まさに接触しようとしたその瞬間、それまで左右
左右あわせて一万二〇〇〇にもおよぶバーナーム騎兵団が一斉に
「エリンデールは、あの敵の動きに気づいてるの?」
不安を覚えたセルネアはとっさに若き師をふりかえり、安心できる回答を期待した。
だが、レイタスは遠見の筒を覗きこみながら声を暗くひびかせる。
「おそらく気づいてはいまい。俺たちは高みから戦場を見おろしているから両軍の動きが手に取るようにわかるが、戦っている当事者たちが戦場全体の様子を正確に
たとえ気づいていたとしても、バーナーム軍本陣を正面から突撃によって深くえぐりはじめたエリンデール近衛騎兵団に立ち止まることは許されなかった。彼らは今、敵の群れのまっただなかにいるのである。立ち止まれば
そのことをじゅうぶんに自覚しているのか、エリンデール近衛騎兵団の突撃は中断されることなくバーナーム軍本陣を圧倒し、
ところが──。
「速い・・・・・・」
レイタスがうなるように称賛した。
称賛の対象はバーナーム軍の騎兵部隊である。彼らがおどろくべき速さで左右から襲来したのだった。
速さの
軽騎兵は重騎兵とくらべて防備に劣るぶん、機動速度に優れている。
その
思わぬ敵の急襲にエリンデール近衛騎兵団は防御を
戦場を見おろすレイタスの口から感嘆にも似た
「バーナーム軍は、これあるを
このつぶやきをきいてセルネアもようやく理解した。開戦前は狂気じみているように思えたあの布陣が、実は高度に計算されたものだったのだ、と。
エリンデールの大鎌によって中央の前衛部隊が
とはいえ、まかりまちがえば本陣を一気に突破され、総大将をうしなって全軍
この
「何者なんだ。バーナーム伯を補佐している軍師は・・・・・・」
レイタスのつぶやきは、開戦前にセルネアがいだいた疑問と同じであったが、その深刻さはまったくちがっていた。
今や戦いの形勢は完全に逆転しており、エリンデールと彼の近衛騎兵団はバーナーム軍の包囲
「うそ・・・・・・うそだよね、レイタス・・・・・・」
セルネアは目から遠見の筒を離せなかった。信じられない光景が眼前で展開されている。それでも目をそらすことができず、ただただ声を弱々しくふるわせた。
「現実だ。これが戦いのおそろしさだ。よく覚えておけ」
そう
「逃げて、エリンデール・・・・・・お願いだから逃げて・・・・・・」
セルネアは願わずにはいられなかった。
エリンデールがここで死ぬようなことになれば、統一による平和を
「あなただけは死んじゃダメなの、絶対に・・・・・・だから、お願い、逃げて・・・・・・生きのびて・・・・・・」
祈るようにつぶやきながら、セルネアは遠見の筒で赤竜が描かれたエリンデールの
だが、人馬が
そして
エリンデール軍の各部隊が味方と
エリンデール軍の
「エリンデール軍の指揮
「それって・・・・・・どういうこと?」
セルネアはたずねながらも答えを知っていた。その答えを受け入れるのがこわくてレイタスに否定してほしかったのである。
レイタスが遠見の筒をおろし、セルネアをいたわるように見つめてきた。
「エリンデール軍のあの混乱ぶりからして、おそらく・・・・・・彼は乱戦のなかで命を──」
「うそだ!」
ききたくもない言葉をセルネアは叫んで打ち消した。
「そんなのうそに決まってる! あのエリンデールが・・・・・・ローデランに平和をもたらしてくれるあたしたちの英雄が死ぬわけない!」
セルネアは戦場に遠見の筒をむけてさがしつづけた。エリンデールの姿か、もしくは彼の
だが、彼の姿を求めて戦場を注意深く見つめたせいで、エリンデール軍の
それでいて
「どうして・・・・・・どうしてエリンデールが負けるの? あとちょっとで、あたしたちの国に平和をもたらしてくれるはずだったのに、どうしてッ・・・・・・」
言葉の最後は
すると、となりからきびしい声が飛んできた。
「涙を払って戦場を見るんだ。〈
「・・・・・・もう・・・・・・やだよ・・・・・・」
平和への希望が、願いが、自分の胸のなかで小さくしぼんでいく。その
だがレイタスは
「
〈天覧の儀〉では、観戦したあとに勝者と敗者をわけた原因を師弟で
レイタスはいつものようにその問答をしかけてきたのだが、セルネアは考える頭をもてず、
「そんなのわかんないよッ」
ついには立っている気力もなくし、セルネアの体はヘナヘナとその場にくずおれた。
「心で答えるな。頭で答えよ」
座りこんだ地べたで両手に顔をうずめて泣いているセルネアの頭上に、どこまでも冷静なレイタスの声が落ちてくる。
「もう一度、問う、弟子よ。エリンデールは死んだ。その原因はなにか」
レイタスの直接的な表現が、泣いているセルネアをおどろかせて体をビクリとふるわせた。だが、はっきりとそう言われたことで、セルネアの心のなかにようやく現実が
(エリンデールは・・・・・・死んだ・・・・・・)
ヒック、ヒックと肩をゆらしながらセルネアは両手で涙を払い、赤くした鼻をすすりあげると、頭をめまぐるしく働かせた。
(どうして・・・・・・彼は勝ってたのに、どうして負けたの・・・・・・)
英雄をうしなって
「・・・・・・お答えします、師よ」
やがてセルネアは、問答の際の独特な言いまわしで語りはじめ、地面を見つめながらぽつりぽつりと言葉をつむいだ。
「エリンデール軍の、左右の両翼による騎兵の突撃は
「そのとおりだ」
泣いたあとに特有の鼻声で
「いかなる英雄も、自軍が優勢となった最後の一大決戦では気も大きくなろう。エリンデールほどの
不意に、丘のふもとでドッと喊声がわきあがった。
遠見の筒を用いなくても、エリンデールの全軍が
「立て、セルネア」
顔をあげたセルネアの眼前に、レイタスの右手が差しのべられてきた。
「立って、最後までこの戦いを見とどけよ。負けてはならぬ者が負けた戦いをその胸に刻み、のちの世に語り
「・・・・・・・・・」
セルネアはゆっくりと右手をのばして、それを師の右手に重ねると、自分を
泣きはらした赤い目で見おろしたカルカリアの草原は、今やバーナーム軍の制圧するところとなり、
「たったひとつのミスで五万五〇〇〇の
戦いというもののおそろしさに身ぶるいする一方で、
英雄エリンデールが
「世が、また乱れるか・・・・・・」
レイタスが嘆くようにつぶやいたこの言葉がセルネアには印象的だった。
統一と平和の象徴でもあった英雄の敗北と死は、ローデランをふたたび
(だったら、あたしが
セルネアが胸のうちで強く念じたのは、戦神アズエルの教えのひとつであった。
智をもって治を招来す──。
優れた知略で動乱を
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