戦神のガントレット

おちむ

第一章 戦雲のゆくえ

 丘のいただきで馬をとめ、くらの上から腰を浮かせる。

 その瞬間、ふもとから吹きあげてきた野風がセルネアの髪をやさしくなでた。肩にかかった飴色あめいろの髪がふわりと浮かび、風に遊ばれてひらひらと舞いそよぐ。

 身にまとっていた白亜はくあ色のローブも風をとりこんでやわらかくふくらみ、長いそでのたもとをゆらゆらとおどらせた。

 そんな髪や衣服の乱れを気にもとめず、セルネアの青い瞳は丘のふもとにくぎづけだった。ひたいに手をかざして陽光ようこうをさえぎりつつ、眼下がんかの草原を見はらしている。

「う~ん・・・・・・」

 だが思っていたほどには目的のものがよく見えず、背後をふりかえって叫んだ。

「早く、レイタス! おわっちゃうよ!」

 そこかしこに緑を芽吹めぶかせはじめた早春の丘に、一二歳の少女のんだ声が軽やかにこだまする。

 それに応じた声は、あきれたようなひびきをともなう若い男のものだった。

「そうあわてるな。まだはじまってもいないさ」

 男は、セルネアと同じく全身をゆったりとした白亜色のローブでおおっていた。ただしその両手には、セルネアとちがって、ひじまで守られた鉄の手甲ガントレットが装着されている。

 今はフードを背中にたらし、黒く短い頭髪を野風にさらしていた。腰にひとふりの剣をき、片手で馬を引いて、いかにも旅なれた様子がうかがえる。黒い瞳は理知的な輝きを宿しているが、その眼差まなざしは他者をあっするほどにするどかった。

 歳はちょうど二〇はたちだときいているが、本当のところはセルネアにもわからない。だが今は実年齢などよりも、イライラするほどのんびりとした彼の歩調と、先ほどの小バカにしたような物言ものいいがしゃくにさわり、セルネアは眉根まゆねをよせて男をにらみつけた。

「まだはじまってないなんて、どうしてレイタスにわかるのさ!」

 セルネアのなじるようないかけに、レイタスと呼ばれた若者は自分の馬を引きつつ肩をすくめ、横にならぶと、し示すように眼下の草原へあごをしゃくってみせた。

「よく見ろ。土煙つちけむりがひとつもあがってないだろ。今日みたいな快晴に、おおぜいの人馬じんばが動きまわる戦場ではありえんことだ。つまり、我らがエリンデールはまだ突撃の角笛つのぶえを吹き鳴らしちゃいないってことさ」

「・・・・・・・・・」

 セルネアは雲ひとつない青空を見あげ、もう一度、丘のふもとの静かな草原を見おろして、レイタスの言葉の正しさを認めた。冷静になって耳をましてみれば、戦場に特有の怒号どごうや悲鳴、馬のいななき、そして剣やよろいがぶつかりあう喧騒けんそうもきこえない。

 完全にセルネアの早とちりである。が、それを素直にあやまるのがくやしかったセルネアはムッとした仏頂面ぶっちょうづらで右手を差しだすと、バツの悪さをごまかすために早口で言った。

「早くかしてよ」

「かしてください、だろ? ったく、いつになったら師に礼をつくす」

 レイタスは真面目くさった顔で不平を鳴らしつつ、腰のベルトに差していた細長いつつを二本取りだし、そのうちの一本を手わたしてきた。

 遠見とおみの筒と呼ばれるそれを右目にあてたセルネアは、あらためて鞍から腰を浮かし、筒の先端を眼下の草原に向けた。

(ほんとだ。まだはじまってない・・・・・・)

 レイタスの言ったとおり、遠くの景色が拡大されて見える筒のなかで、ふたつの異なる集団は距離をおいて静かに対峙たいじしているだけだった。

 どちらの集団も、桁外けたはずれの数の人馬で構成されていた。人間たちは鉄の武具を身にまとい、馬までもが鉄でよろわれている。

 軍隊という名の、同族を守るために、あるいは同族を殺すために人類が生みだした究極の組織であった。

 やさしく吹きわたる野風に色とりどりの軍旗ぐんきほこらしげにはためき、春のうららかな陽光を照りかえす鎧ややり穂先ほさきがキラキラとまぶしい。

 そのきらめきのなかから、セルネアはひとつのはたをさがしだそうとこころみた。

 黒地に、伝説上の怪物である赤い竜をえがいた、この世でただひとつの紋章。

 それをかかげて戦場に現れる人物も、ただひとりしかいない。

(みつけた!)

 セルネアの胸がキュンとしめつけられる。人混みのなかで愛しい人をさがしだすことができた乙女のように。

 その騎士は、白銀色の甲冑かっちゅうに全身をおおわれてたくましい黒馬の背にあった。あまりにも遠方のため、遠見の筒を用いても顔立ちや表情まではうかがい知れないが、竜の頭をした独特の形状をもつかぶとのおかげで彼が誰であるのかを特定できる。

赤竜せきりゅう覇者はしゃ〉と呼ばれている英雄エリンデール。

 彼こそが、ローデランの天空に長年わだかまって地上にい影を落としている暗雲あんうんをふり払い、輝く陽光で人々に祝福をもたらしてくれる救世主にちがいない。

 多くの人にそうしたわれるだけの実力と人望じんぼうがエリンデールにはそなわっており、セルネアも彼のことを救国きゅうこくの英雄とうやまうひとりだった。

「では、開戦する前に、この戦いの意義いぎをおさらいしておくぞ」

 レイタスがおごそかにそう告げた。

 突如としてはじまった講義に、セルネアは不満を隠さず青空をあおいでなげいた。

「ええ~。それ、やんなきゃダメ~?」

「ダメだ」

「ぶ~」

 頬をふくらませてブーたれるセルネアを無視して、レイタスは眼下の平野をながめながら淡々とした口調で講義をはじめた。

「ローデラン全土を統治していたきゅう王家の衰退すいたいをきっかけにはじまったこの内乱は、実に三〇〇年もの長きにわたって国土を荒廃こうはいさせ、人々を困窮こんきゅうさせつづけてきたわけだが、その主な原因はなんだと考えられる?」

「え~っと──」

 答えはわかっていたので、頭のなかで言葉をしっかり整理してからセルネアは口をひらいた。

「やっぱり、貴族たちが民衆の暮らしをかえりみないで、自分こそが次の王になろうと戦いに明け暮れたからじゃないかな」

「そうだ。私兵しへいをもつ貴族たちは、次代じだいの覇者たらんと軍閥ぐんばつを形成し、各地に割拠かっきょして同じ野望をいだくライバルとしのぎをけずった。にもかかわらず、ローデラン全土をたばねられるほどの資質をもった者は一向に現れず、戦いにつぐ戦いで人々は統一と平和への希望をうしないはじめた」

「でもでも! そんな暗い時代に救世主のごとく颯爽さっそうと現れたのがエリンデール! でしょ?」

「ああ。戦巧者いくさこうしゃな彼の手で、各地に割拠していた多くの軍閥がやぶれ、消えていった。おまけに食料難にあえぐ民衆に軍糧ぐんりょうを提供し、兵士たちには略奪を固く禁じて民心みんしん掌握しょうあくしてきた。今やローデランの三分の二がエリンデールの支配を歓迎し、忠誠を誓っている。残る三分の一さえたいらげれば、およそ三〇〇年ぶりにローデランは再統一されることになる」

「それも時間の問題だね」

「そう簡単な話ではない」

 レイタスの表情と声音こわねけわしくなる。

「だれもがエリンデールを慕っているわけじゃない。彼にも敵はいる。いや、英雄と称えられているがゆえに、彼に嫉妬しっとと反感をいだく者がいる、と言うべきだな」

「やだねェ、嫉妬深いやつって」

「反エリンデール陣営の急先鋒きゅうせんぽうが、今回の相手、バーナームはくベルランだ。彼はエリンデールに蹴散けちらされた諸侯や貴族を糾合きゅうごうし、旧王家の復興を大義たいぎにかかげ、エリンデールに対して徹底抗戦てっていこうせんのかまえを見せた」

「まるで旧王家の亡霊だね」

「なかなかいいたとえだな」

「へへ、でしょ」

 笑顔で自画自賛するセルネアに、レイタスはあきれぎみの苦笑を浮かべたあと真顔まがおにもどして講義をつづけた。

「この戦いの意義は、ようするに、その亡霊をエリンデールが退治できるかどうか、という一点にある。おそらく、この戦いがエリンデールの統一事業における最後の決戦となるだろう。バーナーム伯が敗れたあとは、エリンデールにこうしきれる組織的な武装勢力は皆無かいむだからだ。この戦いでエリンデールが勝てば、ローデランの再統一という宿願の成就のみならず、旧王家の残像にしがみついていた貴族たちが一掃され、彼らに代わって、民衆から絶大な支持を受けて戴冠たいかんする新たな王の時代が到来とうらいする」

「もし、バーナーム伯が勝っちゃったら?」

 そんな事態になることなどつゆほども考えていないセルネアは、単なる興味本位できいていた。

 レイタスが投げやりな調子で肩をすくめる。

「そうなれば、エリンデール打倒という目的を達成した貴族たちがふたたび互いに反目しあって、民を顧みることなく覇権争いをくりかえすだけさ」

「乱世のまんまってわけね・・・・・・」

 仮定の話とはいえ、共通の敵をうしなった貴族たちの共食ともぐいしあう醜態がありありと想像できてしまい、セルネアの口から深いため息がもれた。

「でも、そんなことにはならないよ。だって──」

 セルネアは声に力をこめて、不快な未来像を脳裏のうりから追いやった。

「エリンデールは勝つもん! 勝たなきゃダメだもん!」

 ローデランを混迷のどん底へと追いやった元凶げんきょうともいえる貴族たちをエリンデールが完膚かんぷなきまでにたたきのめす戦いが、これからセルネアの眼前がんぜんではじまろうとしているのだ。

 歴史的にも意義深いぎぶかい特別な戦いに立ちあえることに、セルネアはワクワクと胸をおどらせていた。その胸の高鳴りはエリンデールの勝利を確信しているからであり、彼が勝利したあとに到来する新たな時代への期待と羨望せんぼうのあらわれでもあった。

 レイタスの教師ぜんとした声が別の課題を提示してきた。

「よし。この戦いの意義はわかっているようだな。では次に、エリンデール軍の陣容を観察するぞ」

「エリンデールの鋼鉄こうてつ布陣ふじんってやつだね」

 すきのない、完璧な陣立じんだてで有名なエリンデールの布陣をそう呼んでたたえる者は敵味方に多い。セルネアもそのひとりだった。

見惚みとれずに、学ぶべき個所をしっかり頭にたたきこんでおけよ」

「わかってるって」

 これからじっくり堪能たんのうしようと思っていたところに指摘されたものだから、セルネアはついヘソを曲げて口をとがらせた。

 仏頂面のまま遠見の筒で眼下をながめていると、となりのレイタスもようやく遠見の筒で戦場を観察しはじめたのが気配で伝わってきた。

「ふむ。さすがだな」

 レイタスがひかえめに感嘆かんたんをもらす。

「あいかわらず隙のないみごとな布陣だ。エリンデールと正面からやりあうのはけたいものだな」

後背こうはい側面そくめんからの敵襲だって、あの陣立てならすぐに対応できるね」

 セルネアは、まるで自分のことのようにエリンデール軍の完璧な布陣を自慢じまんした。

 レイタスもその評価に異議はないらしく、彼は遠見の筒で両軍を観察しながら別のことを口にした。

「では、いつものように両軍の戦力分析をはじめるぞ。まずはエリンデール軍からだ」

「ん~っと──」

 セルネアは素直に言われたとおりのことをはじめた。遠見の筒でエリンデール軍をつぶさに観察しながら、レイタスに教わった手法を用いてエリンデール軍の戦力をさぐりはじめる。

 軍隊とははちの巣のようなものである、と、セルネアはレイタスから教わった。

 これは、軍隊の規模を割りだす際の理屈をのべたもので、蜂の巣が、小さな六角形の部屋を数えることで巣の大きさを数字として表せるように、軍隊も、六角形の小部屋にわるものを数えることでおおよその兵数を把握はあくできる、という教えであった。

 この教えにしたがってセルネアはエリンデール軍の戦力をはじきだした。

「旗の数から計算すると、エリンデール軍は歩騎ほきあわせておよそォ・・・・・・五万五〇〇〇!」

「いいぞ。では次、バーナーム軍はどうだ」

「えっと──」

 セルネアは遠見の筒を反対側にふりむけて、その奥で風にはためいている若草わかくさ色の旗を数えた。それらの旗には、月桂樹げっけいじゅかんむりを頭にいただいたわし意匠いしょうが銀糸でわれている。バーナーム伯の紋章だった。

「バーナーム軍の戦力は歩騎あわせて、およそ四万とォ・・・二〇〇〇・・・かな?」

 自分がはじきだした解答に自信がもてず、それが語尾に影響して弱々しくなった。が、レイタスの反応がセルネアをホッとさせる。

「そんなところだろう。よし。目算もくさんによる戦力分析は問題ないようだな」

 レイタスが顔から遠見の筒をおろし、セルネアに微笑ほほえみを向けてきた。

 セルネアは得意になって胸をややらした。が、その直後、セルネアの慢心まんしんを見すかしたかのようなレイタスのきびしい声がひびく。

「だが、目算による分析はあくまでも推計にすぎない。正確に敵情てきじょうを把握するには事前の情報収集が不可欠だ。そのことをわすれるなよ」

「・・・は~い・・・」

 まのびした不真面目なセルネアの返事は、ほめてもらえるかと思いきや説教されてしまったことへの不満のあらわれである。

「それにしても──」

 ふたたび遠見の筒を右目にあてたレイタスが、眼下を観察しながら小首こくびかしげる。

「バーナーム軍の陣容じんようは意外にも整っていて落ちついているな。騎兵の数はエリンデール軍とほぼ同数か・・・・・・猛将もうしょうとして名高いバーナーム伯らしい騎兵を重んじた編制へんせいではあるが、エリンデールに蹴散らされた各地の敗残兵はいざんへいを糾合したにしては統制がよくとれているように見える。バーナーム伯にこれほどの統率力があったとは、正直、おどろきだ」

「でも、しょせんは烏合うごうしゅうだよ」

 セルネアのバーナーム軍への評価はにべもない。

「兵力に一万以上ものひらきがあったら勝ち目なんてないし、そもそも、エリンデールが相手じゃ、どんな精鋭せいえいをくりだしてきたって結果は目に見えてるもん。でしょ?」

「バーナーム伯は反エリンデール勢をまとめあげるのがおそすぎたな。そのツケを、この戦いで払わされることになるかもしれん」

 内乱が勃発ぼっぱつしたばかりの三〇〇年前は、バーナーム伯こそが次代の覇者となるにちがいない、という見解が大勢たいせいをしめていた。

 家名や財力という点においてバーナーム伯は他の軍閥よりも頭ひとつ抜きんでていて、内乱が勃発した当初は中小の諸侯をまとめあげて急速にその勢力を拡大させたものである。

 だが皮肉にも、大きくふくれあがった組織を統率できるだけの資質が歴代の当主とうしゅに欠けていて、それゆえに、統一事業に踏みだせる地力じりきをもちながら今もなお一地方の軍閥に甘えているというのが実情だった。

 そして現在も当主の資質に改善は見られず、エリンデールが統一事業を着々と前進させている時に、バーナーム伯ベルランは後継者問題で一族との間に不和ふわをまねき、身内との陰謀劇いんぼうげきにうつつを抜かすり様だった。

「バーナーム伯は負けるべくして負けるようなもんだね」

 セルネアは遠見の筒の先をエリンデール軍からバーナーム軍へとうつし、適当にその陣容を見わたした。

 統一と平和──。

 この大志たいしを胸に秘めているエリンデールにくらべれば、バーナーム伯など己の保身ほしん汲々きゅうきゅうとしているだけの小人しょうじんにすぎない。セルネアにしてみれば、両者は戦う前から勝敗がついているようなものだった。

「とはいえ、バーナーム伯の陣容もなかなかに興味深いぞ。よく見てみろ」

 となりのレイタスにそううながされ、セルネアはもう一度、遠見の筒でバーナーム軍の陣容をじっくりと観察してみた。

(興味深い? どこが・・・・・・)

 遠見の筒を覗きこみながら当初は内心で首をひねっていたセルネアだが、徐々にバーナーム軍へそそぐ視線が真剣なものへとあらたまっていった。

 そして重要なことに気づく。

「騎兵の配置が深すぎる・・・・・・」

 思わずこぼしたセルネアの感想に、レイタスがうれしそうな声で同調した。

「そのとおりだ」

 弟子の鋭い洞察どうさつを喜んでいるかのように彼の声がやや大きくなる。

「騎兵は機動性を確保してこその兵種へいしゅだ。ここぞという時、即座に動きが取れなければ意味がない。ゆえに最前衛さいぜんえいか、もしくは勝利を決定づける際の予備兵力として側面後方に配置するのが常道じょうどうだ。いずれの配置も騎兵の進路を味方がふさがぬよう配慮するのがキモとなる。なのに、あんなに奥まった後衛こうえいに配置していては前衛の味方に行く手をさえぎられ、いざ最前線へおどりでようにも動きがとれず役に立たん」

「なに考えてんだろ、バーナーム伯は・・・・・・」

 バーナーム伯を心配したわけではなく、純粋な疑問からセルネアは小首を傾げた。

「後衛にさげてでも騎兵を温存しておきたいなにかをさくしているのか、さもなくば──」

 レイタスが冗談めかして肩をすくめる。

「突撃の際は味方を馬蹄ばていにかけてもかまわんと命じているか、だな」

 レイタスのこの発言を、セルネアは頭のなかで真剣に考えてみた。

 後者こうしゃはとうてい考えられない。バーナーム軍の陣容は、エリンデールの鋼鉄の布陣ほどではないものの、高い統率力が垣間かいま見えるみごとな陣立てなのだ。これは決して凡将ぼんしょうのなせる技ではなく、バーナーム軍の騎兵の配置は常軌じょうきいっしているように見えて、その実、「味方を踏みつぶして突撃せよ」などという狂気とは無縁の理知りちをうかがわせる。

「誰なんだろ・・・・バーナーム軍の指揮官は・・・・」

 総大将はむろんバーナーム伯ベルランであろう。が、彼はどちらかといえば正攻法を好む猛将であり、奇策きさくにうってでるタイプではなかった。

 そんなバーナーム伯に奇をてらったようにも見える異常な布陣を進言し、実行させた誰かが必ずいるはずで、その者への関心がセルネアの胸中で急速に肥大ひだいしていった。

 レイタスなら知っているのではないかと思い、セルネアは遠見の筒をおろして、かたわらの若き師に青い瞳をふりむけた。

 レイタスが怪訝けげんそうな顔つきで見かえしてくる。

「俺にきくなよ。この戦いにおける情報収集の一切は、おまえに一任いちにんしていたはずだぞ?」

「え? そ、そうだっけ・・・・・・」

 そう言われてみると、そんなようなことを一週間ほど前にレイタスから命じられたような気がしてくるセルネアだった。情報の収集も弟子の立派なつとめである、と。

(あちゃ~・・・・・・)

 気まずい沈黙が濃度を増していくにしたがって、レイタスの目が疑わしげに細くなっていく。

「まさか、おまえ・・・・・・師からあたえられた課題をやりわすれました、なんて言わないよな?」

「え~っとォ・・・・・・」

 青空を見あげてごまかすセルネアを見て、レイタスは心底からあきれたような深いため息を吐きだし、小さくかぶりをふった。

「やれやれ・・・・・・俺は熱心な弟子をもてて幸せだよ。言われたことをかたくなに守らないその熱意だけは一人前だな。ああ、そうか。おまえになにかをさせたい時、これからは逆のことを言えばいいのか。情報収集するな。兵法書を読むな。剣の稽古けいこをサボれって具合にな」

「そんな嫌味いやみを言うことないでしょ!」

 ひとつのミスに、小言こごとをふたつもみっつももらってたまるものかと、セルネアはとがらせた口から嵐のように言葉をまくしたてて反論した。

「はいはい、そうですとも! 情報収集するのわすれてましたとも! だからなんなのさ! だいたい、あたしひとりですべての情報を集めろってほうがおかしいんだよ! そんなに大事な情報ならレイタスが自分で集めればよかったじゃんか!」

 すると、レイタスも師匠の仮面をかなぐりすてて感情をむきだしにしてきた。

「なんだッ、その口のきき方は! 師の言いつけも守れない上に礼儀もわきまえん弟子は破門はもんするぞ!」

「あ~ら、お師匠さま、ずいぶんとおもしろい冗談が言えるようになったんだね」

 嫌味たっぷりの意地悪な笑みを浮かべたあと、セルネアは真顔にもどして鋭く言い放った。

「できるもんならやってみな! 長老会の許可もなく弟子を破門にできるのならね!」

「くッ・・・・・・」

 弟子の破門は師の独断では行えない特異なしきたりをセルネアが思いださせると、レイタスはくやしそうに唇をんで押し黙った。

「フンだ!」

 セルネアは勝ち誇って鼻を鳴らし、プイと顔をそらしてさらに強がった。

「どのみち、この戦いがおわればローデランはエリンデールの名のもとに再統一されて、そのあとにくるのは平和と再建だから、戦いなんてなくなる。そうなれば、レイタスと組んで旅をすることもなくなって、万事ばんじめでたし、めでたし、だもんね」

「本気でそんなことを言っているのか?」

「もちろん本気だよ」

 破門だ、なんて言われたものだから、売り言葉に買い言葉で強がってみせたセルネアだが、レイタスの反応は思いのほか深刻なものだった。

「おまえには失望したぞ、セルネア」

「え?」

 セルネアが思わず若き師をふりかえったのは、めずらしく名前を呼ばれたからではなく、レイタスの声に軽蔑と落胆がこめられていたように感じたからである。

「この一年、俺のもとでなにを学んできた」

「なにって・・・・・・」

 口ごもって視線をそらしたセルネアは、頬のあたりに突きささるレイタスの鋭い視線に動揺した。そんなセルネアの耳に、若き師の怒りをおさえたような低い声が流れこんでくる。

「さきほどからエリンデールがすでに勝ったかのような口ぶりだが、戦いのゆくえが思いもかけない小さなきっかけで大きく様がわりするのを、おまえはその目で何度も見てきたはずだ。なのに、エリンデールだけにはそれがおこらないと、どうして断言できる」

 どうやらレイタスは口喧嘩くちげんかそのものにではなく、すでにエリンデールが勝利をおさめたかのようなセルネアの態度に不快感をいだいている様子である。

「だって──」

 口喧嘩では威勢がよかったものの、レイタスに軽蔑されたり失望されたりするのは本意でなかったセルネアはしょぼくれて、手のなかの遠見の筒を無意味にいじりながら弁解した。

「だって、あのエリンデールだよ? 誰もがローデランの戦乱と分裂をおわらせてくれるって信じてる英雄が、誰かに負けるなんて・・・・・・」

 エリンデールを神のようにあがめているセルネアの発言は、だが、レイタスをますます不快にさせただけだった。彼の眉間に刻まれたシワがより深くなり、セルネアをにらみつける眼差まなざしに容赦ようしゃがなくなった。

「わすれるな、セルネア。何者が指揮しようとも戦いの勝敗に絶対はない。だからこそ我らが必要とされるんだ。数々の敗因を取りのぞき、勝利の可能性をわずかでも高めるための軍師がな」

「じゃあ、レイタスはエリンデールが負けるって言うの?」

 負けるはずがない、という確信をこめたセルネアの反問はんもんに、レイタスは平然とうなずいた。

「じゅうぶんにありえることだ。バーナーム軍の整然とした布陣をのあたりにした今は、その考えをより強くしている。エリンデール自身がおまえと同じような慢心をいだいていれば、なおさらだ」

「そんな・・・・・・」

 口では悪態あくたいをついていても心ではレイタスを信頼し、尊敬もしているセルネアは、だが祖国を統一に導こうとしている英雄が負けるかもしれないという彼の見解にだけは同調できず、小さくかぶりをふって無言の抗議をした。

 レイタスが、駄々だだをこねる子供に困惑した親のように短くため息をつくと、今度はなぐさめるようなやさしい声で語りかけてきた。

「おまえはもともとローデランの出身ゆえ、エリンデールにいれこんで祖国の再統一に並々ならぬ情熱をいだくのは当然だ。だが、その感情が一線をこえるようなことがあってはならない。つねに公正かつ冷静に状況を見極めよ。それが戦場ではかりごとをめぐらす者の心がまえであり、我ら〈アズエルの使徒〉のつとめなのだ」

「あたし、まだ弟子だもん・・・・・・」

 不服をこめてセルネアが言いかえすと、レイタスは鷹揚おうようにうなずいた。

「ああ、そのとおりだ。その自覚があるのはおおいに結構。なまいきな口ばかりきくもんだから、てっきり自分の立場をわすれているのかと思っていたよ」

「またそうやって嫌味をッ──」

 口喧嘩が再発しかけたその時、レイタスの口から思いがけない言葉が飛びだしてきて、それがセルネアの舌鋒ぜっぽうを封じた。

「この戦いを最後に、おまえの〈天覧てんらん〉はおわりをむかえる」

「え?」

 それは、セルネアにとって晴天せいてん霹靂へきれきにも似た宣言だった。

 この言葉をもう何ヶ月もまちこがれていて、その日が遠ざかったような気がすることはあっても、近づいた気がしたことなど一度もなかったため、いざその日をむかえると喜びよりも先に疑いがしょうじてしまうほどだった。

「・・・・・・ほんとに?」

 ささやくような小さい声で確認するセルネアに、レイタスは微笑みながらうなずいた。

「今朝、長老会からお許しの書状がとどいた。〈天覧の儀〉をおえて〈修羅場しゅらばの儀〉にうつれ、とのおたっしだ」

〈アズエルの使徒〉の弟子にせられる修行にはいくつかの段階があって、まずは高みから戦場を見おろして学ぶ〈天覧の儀〉が修行の第一歩となる。

 レイタスのもとで様々な戦いを見学してきたセルネアは、ようやく〈天覧の儀〉を修了し、次の段階である〈修羅場の儀〉にうつることを許されたのであった。

〈修羅場の儀〉とは、師とともに戦場に立ってはかりごとをめぐらし、軍師としての実戦経験をつむ課程かていを指す。

 セルネアにとってはまちにまった念願の進級だった。

「高みから戦場を見学するのはこの戦いで最後だ。次はいよいよ、俺とともに軍師として戦場に立つ身となる。心せよ、我が弟子よ」

 どうやらレイタスは、前々からセルネアの進級を頭の固い長老たちに嘆願たんがんしてくれていたようだ。

 そうとも知らず、あの口喧嘩。今までの無礼の数々・・・・・・。

 そう思うと現金なもので、セルネアは途端とたんにしおらしくなった。馬からひょいと飛びおり、レイタスに向かって勢いよくこうべをたれる。

「ありがとうございますッ、お師匠さま!」

「わかりやすいやつだな・・・・・・」

 あきれたように苦笑するレイタスは、だが、すぐに表情を引きしめて再び教師の顔になった。

「まずはこの戦いに意をそそぐことだ。よく観察し、よく学べ」

「はい!」

「風なき湖面のごとく穏やかな心で戦場の息吹いぶきを感じ取り、蒼天そうてんのごとく曇りなきまなこで勝因と敗因を見さだめよ。よいな」

「はいッ、先先!」

「ほんと、わかりやすいな、おまえ・・・・・・」

 レイタスがふたたび苦笑したその時、丘のふもとから野風に乗って角笛の朗々ろうろうとひびきわたった。つづいて土煙がもうもうと舞いあがる。

 つるぎの時代の第六紀二九七年、三月三〇日、正午──。

 地図にカルカリアと記されている草原で、エリンデールとバーナーム伯が互いの未来をかけて干戈かんかまじえはじめたのである。

 それは同時に、ローデラン全土の命運めいうんをかけた戦いでもあった。

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