第12話

「嘘つかないで。もっと愛してよ」

 礼資の顔を正面から見据えた。彼の表情が読めない。さようならと告げられてもこの表情なら仕方ないのかもしれない。でも、私に嘘をつこうとした彼はまだ私に別れを告げないのではないかと期待した。

「礼資。教えて、あの鍵は誰のなの? 嘘つかないで。私のこと好きでいてよ」

 一貫性のない私の問いに礼資は眉をハの字にした。

 ほんの少しの沈黙ですら心がちぎれていく。私はもう形をなしていないのかもしれない。操り人形のように私の背後に誰かがいるような感覚だった。私自身が立っている感覚がなかった。私の姿をした、私じゃないものにいつの間にか代わられていたのかもしれない。

「……なんでもないよ。ただ押しつけられただけだよ。美優の知らない人」

 礼資が答えた言葉に私は傷つかなかった。ほら、やっぱり嘘ついてたじゃない。

「じゃあ、好きでいて。ずっと私といて。浮気しててもなんでもいいから。私と一緒にいて」

「だから、浮気とかじゃないってば」

「なんでもいいから、一緒にいてよ」

 礼資はその後淡々と準備をし、仕事に行ってしまった。きちんとお弁当を持っていったし、いってきますのキスもしてくれた。それでもその間無言だった。彼の静寂は正直な証だ。愛しい可愛い彼はきっと私の行動に戸惑い、傷ついただろう。

 さみしさが荒涼とした私の心に吹き荒れている。礼資が行ってしまった玄関を眺める。今すぐドアが開いて、私を抱きしめに来てくれたらいいのに。

 私が一番愛してほしい人。ふいに浮かんでしまったのは母の顔だった。置いていかないで。小さい私が叫ぶ。でも家を出て行ったのは私。

 ズボンのポケットに入れていたスマホに手をかける。母の電話番号。

 私は愛してほしいだけ。

 コールが数回鳴る。長い、長いコール。孤独の中に置いていかれた私は母の背中をいつまでも眺めていた。振り返ってほしかった。今度こそ、振り返って。私を抱きしめてよ。

 プ……

 コールが止んだ。諦めが心を占めた。

「もしもし……美優?」

 母の声。

「辛いの」

 私の口から漏れたのはなんともかわいそうな声だった。

「……帰っておいで」

 優しい声にすがりそうになった。しかし、帰ったところでまた繰り返すことを私は知っている。私はここで頷いてはいけない。悪魔が魅力的な姿をしている理由がよくわかる。帰りたい。そう願う私がいるのは事実。でもまた繰り返すことをなによりも恐れている。私はこれ以上母を嫌いたくない。

 嫌わない方法は見ないことだ。一緒にいてはいけない。お母さん。私のことを置いていかないで。それが夢だということはわかっている。でも苦しい。母の言葉に応えないまま電話を切った。

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