第10話

「そうだ、礼」

 私はふいに鍵のことを思い出した。

 礼資は食べ終わり、椅子の上であぐらをかき、さっそくスマホに視線を落としていた。

「今日洗濯したらズボンのポケットからなんか鍵が出てきたの。今持ってくるね」

 私は食卓から立ち上がり、洗面所に置きっぱなしの鍵を回収した。そして急いで戻り、これ、と例の鍵を彼に見せた。

 鍵、といわれてやっぱり思い当たることがあったようで私のことを凝視していた。

 そして、鍵を確認すると礼資は明らかにうろたえた。彼がうろたえたことに、私も動揺してしまった。思いついてしまった嫌なことが本当であると告げられた気分だった。

「なんの鍵?」

 私はきわめて自然にたずねた。責める風でもなく、ただわからないからきいているだけ。

 でも礼資の動揺は不自然すぎる。もう少しだけ。もう少しだけわからないように演技をしてくれたら私、だまされてあげられるのに。

「それは? 誰の」

「な、なにいってんだよ、間違って持ってきちゃっただけだよ」

 察しがよすぎる自分に嫌気がさす。誰のってきいたのに、それには答えてくれない。 下唇を引っ張りながら、懸命に嘘をさがしている姿がいじらしい。私の方が弱い立場なのに、私に嘘をつこうとしてくれている。少しでも私のこと好きでいてくれているんだね。

「そっか。じゃあ、もう持ってこないように気をつけなきゃね」

 私は鍵を礼資に返す。

 礼資は戸惑いながらも鍵を受け取った。

「あ、ああ」うわずった声で返事をし、また、なにごともなかったかのようにスマホを見る。

 なにも聞かない。

 私はなにも知らない。

 食器を回収し、さっさと洗った。礼資の前では私はきちんと「やるべきこと」をやることが出来るのが不思議だ。蛇口をひねれば流れる水は心地いい。水に触れていると嫌な気持ちも流してくれるような感覚がある。ただ水に触れることと、洗い物をしなくてはいけないことはイコールにならない。水の冷たさに気持ちを溶かしてごまかす。そうして私は洗い物もきちんと終えるし、鍵について深く考えることもしない。

 すべて逃げているだけ。

 この鍵はなんなの。礼資にそう訊きたい。泣きながらすがりつきたい。

 いい子でいたいわけじゃない。でも礼資に捨てられたら私にはなにもない。お金も、住む場所も、さみしいときに抱きしめてくれるぬくもりも。坂道に置いて行かれた私はずっとそこに留まっている。さみしいの。いつもさみしい。置いていかないでほしい。一人は嫌なの。

 鍵のことを気まずく思っているのか、その晩礼資は私を抱いてくれなかった。私はわがまま。私がさみしい時には抱いてほしいの。体をすり寄せて意思を伝えたけれど、右手をあげる軽い動作で振り払われてしまった。諦めて彼に背を向ける。

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