第6話

 私の気分は一気に上がり、買い物袋と、お財布と音を巻き散らかしているスマホを持って外へ出た。お気に入りの白いサンダル。少しヒールが高いから歩くたびにカッカと音が鳴るのが好き。マスクはかわいいピンク地に白い花がとんでいるものを選んでつけた。

 かわいい。

 私の愛するかわいいものたち。

 私を守ってくれるかわいいものたち。

 スマホの音を止める。

 蝉の声が聞こえる。

 大丈夫そうだ。私は深呼吸をして歩き出す。ヒールの音を頼りに歩く。

 天気はいいけれど暑すぎない。よかった。時々吹く風が冷たくてきもちいい。

 歩いて十分くらいの距離にあるスーパーに行った。平日の午前中だから人は少ない。まっすぐに精肉コーナーに行き、豚挽き肉をかごに入れる。ついでになくなりかけていたことを思い出したので、醤油としょうがとキッチンペーパーを買った。重いものを買っていないので行きと同じくらいの時間で歩いて帰った。時々冷蔵庫の中身がなにもないときがある。その時には両手いっぱいに買い物袋をぶら下げなくてはいけない。常に冷蔵庫にはなにかしら入れておくようにしているのだけれど、毎回すんなりと外に出られるわけじゃない。どういう理由か自分でもよくわからないけれど、例えば化粧が上手くできなかったとか、SNSで嫌な書き込みを見てしまったとか。急激にテンションが下がってしまうと買い物に行けない。なにもできなくなる。どういう原理が働いているのか体中に力が入らなくなる。胃を中心とした内臓が痛くて、吐き気がするようになる。本当に吐いてしまうこともよくある。

 行ける時に買い物には行かないといけない。今日は調子がいい日だ。天気に左右されるのかとも思ったけれど、それは必ずしもそうではないようで、本当にその日その日で違うらしかった。

 私はてきとうな鼻歌を歌いながらヒールを高らかに鳴らして歩いた。今は無敵だ。天気がいいし、化粧もきれいにできた。化粧の力は偉大だ。一人だと少ししり込みしてしまうようなおしゃれなお店でも、しっかりとフルメイクをしていればなんの気兼ねもしないで入れる。仮面をかぶるかのように、顔の印象はもとより雰囲気やたたずまいまで変えることができる。

 踊り出すような軽やかな足取りだった。でも家の鍵を開けて、玄関をくぐった途端、気持ちがどんよりと沈んでしまった。先ほどやらずに置きっぱなしにした洗い物から漂うにおいのせいだろうか。それとも洗い物をしなくてはいけないという義務感からだろうか。自分の中でいろいろ探して論理立ててみたけれど、なんの役にも立たない。先ほどまで良かった気分が落ちていったという事実だけがぽかりと浮かんでいた。

 玄関に立ち尽くすわけにはいかない。気力でサンダルを脱いだ。急いでお肉と調味料を冷蔵庫にしまう。キッチンペーパーは電子レンジの上におざなりに置いた。買い物袋をたたむことができず、冷蔵庫の前に投げ捨てた。

 そしてすぐにスマホを取り出して音楽をかける。

 リビングまで頑張って歩きソファに座り込む。

 Youtubeで歌い手だった時から好きだったボーカリストが優しく歌っている。歌詞は正直意味が解らないけれど、心地いい。彼女の声だけが、今の私を救ってくれる。ほかの音を聞きたくなくて、イヤホンを探して耳にさした。スマホの音量を上げる。世界にはこの音しかない。私の脳みそ全部彼女の声で満たした。

 大きく息を吐く。息苦しさは消えなくて、サイドテーブルの上、ソファからすぐに手に取れる場所に置いてあるフリスクを一粒口に入れると、清涼なミントが鼻に通り、呼吸を助けてくれる。

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