第3話

 彼が仕事に行くと今日の予定を確認する。必ずやらなくてはいけないことは今のところ買い物だけだ。日課の掃除をする。毎日掃除をするのはあきてしまうから、昨日はキッチン、今日はトイレと少しずつノルマを片付けていく。アルバイトがある日はいい。でもない日はその間のやることを作らないといけない。

 アルバイトは火、木。土日は礼資が休みだからまだやることがある。だいたいは出掛ける日になる。私は基本的にはインドアで、家に引きこもっていたいと思うけれど、礼資は学生のころは毎週のようにバーベキューに行っていたという恐るべきアウトドアだ。それになにをするにも「一緒」ということにこだわるため、出掛けるなどのアクションが必要なようだった。私自身は同じ部屋にいるということがすでに「一緒」という認識なのだがそれではさみしいらしい。私たちの根本的に違うところだ。

 ゆったりとした休日は雨の日くらいだ。静かに本でも読みたいところだがそうできない。雨はつまらない、と愚痴る礼資をあやさなくてはならない。人によって過ごし方が違うのは仕方ない。しかも私は平日ほぼ毎日好きなことをしているのだから、といわれたらなにもいえない。

 礼資は私に生活費をくれている。だから文句はいえない。

 疲れた、なんていってはいけない。贅沢だ。どこからともなく私を責める声が聞こえてくる。様々な声を振り払うように朝食にすることにした。一人でゆっくりテレビを見ながら食べる。少し多めに炊いたので朝食の残りのごはんは、おむすびにしておく。最近自分のごはんはいつも同じだ。夕飯は礼資と一緒に食べるからある程度凝ったものを作るが、自分一人の時は、おかずもなく白米にふりかけで済ませてしまう。食への楽しみもない。前はカフェ巡りなども好きだったけれど、今は自分の自由に使えるお金はほとんどない。もらっている生活費用のお金を個人的な娯楽にはできない。

 私たちが結婚していればまた違うのかもしれない。

 子どもがいて、私にもきちんと「正式な」やることがあれば。専業主婦なら認められている。でも私はなんだろう。ただのアルバイター。同棲しているだけ。籍をいれるに至らないのは根本的な違いに目が行き過ぎるから。

 テレビでは淡々とニュースが流れている。ニュースキャスターの機械じみた読み上げを聞く。世の中にはいいことなどないのかもしれない。殺人と放火のニュースが相次いで流れてきたため、チャンネルを変えた。だけれどもやっぱり面白いものはなくてテレビを消した。動物のニュースでもないかな。ほのぼのとした、見ていて癒されるものがいい。パンダの赤ちゃんが生まれたとかそういうのがいい。実際に猫でも飼いたいけれど、むずかしい。猫や犬は子供と同じだと聞いたことがある。病院、エサ代、寝床やトイレ。お金がかかりすぎる。

 なにか。癒しがほしい。

 いってはいけないと思いながらも、やっぱり気がつくと「疲れたな」とため息をついていた。今から洗濯を干さなくてはいけないのに、なかなかやる気が起きない。スマホで好きな音楽をかける。歌を口ずさみ、自分を鼓舞する。

 すぐに食器を洗う気分になれなくて、流しに持っていき水につけておいた。礼資は食べた食器を机の上に置きっぱなしで行ってしまったからそれもとりあえず流しに持って行った。

 仕事をしていたときの方が楽だったな。そう思ってしまう。仕事は嫌いだったけれど、無心でやることができた。やることは事前に教えられ、それをこなしていれば毎月決まった額のお金がもらえた。自分のお金。

 私が生活しているのは礼資のお金だ。恵んでもらっている。だから私は礼資に逆らってはいけない。

 そうやって制限をかけながら生きているから疲れるんだ。

 やりたいことをやっていい。

 礼資はそういってくれるけれど、本当にやりたいことだけやっていたら私のこと捨てるでしょ?

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