第2話『即死』

「異世界転移……?いやそんなわけ……いやでもさ……!」


 自分の認識と現状が中々擦り合わずに俺の目は泳ぎまくる。いつもならば「今なら1000メートル水泳余裕だね」とでも抜かすのだろうがそんな言葉は紡がれない。


 口は疑問と否定のスパイラル。


 なんとか脱出しなければならない。


「状況確認だ、じょうきょーかくにん……俺は広瀬綾斗17歳。7月7日に学校で四時間目の授業を受けてた。教科名は国語。一番つまんない授業。担当教師は赤桐……」


 一番嫌いな教師の名前を惜しげもなく口に出してまで自分の身の上を確認する。


 記憶はある。少なくとも何もかも忘れて制服のまま未開の地へ飛び出したとか、そんなとんでもない話じゃないはずだ。


 いやここにいる時点で普通にとんでもないんだが。


「父親は関大。母親は芽衣子。妹は綾音。ペットは犬のダンゴ」


 ここまで引き出すといよいよおかしいのは俺ではなく世界。


 自分がちゃんと自分でいることに少し安心する。元々おかしい野郎なのにもっとやばくなったら、お手上げだ。


 服は高校の制服のまま。ほかになんの手持ちもない。


「うーん、ぁ……」


 と思ったらブレザーのポケットに小銭が入ってた。助かる。ここが何処だかは分からないけど、とりあえずちょっとでも金があるのは助かる。


 でも、こういうのって大体使えなかったりするよな。「あ?そんな金貨うちの店じゃ使えねぇよ」みたいな。懐かしい。あのラノベ読んでたなぁ。リアルな感じが好きだった。


 と、そんなことは早々に思考の外へ退場させて、とりあえず再度ポケットを物色。


「あ、あれ……?」


 ズボンのポケットに入れておいたはずのスマホはない。


「えっと、確かに入れておいたはずなんだけどなぁ……」


 記憶では、スマホは通学時に使用してそのままポケットに入れておいたはずだ。持ち物検査などで没収もされていないので不動のはず。小銭だけあってスマホがないとはどういうことだろ。


 もしや、誰かに盗まれたのか。

 それとも落としたか。


「……!?……!?」


 ふん、ふんと左右に首を振って近くに人がいないかを確かめる。だが相変わらずここは草原で、周りには森なんかが広がっている。変化はない。


「どこいったんだ……」


 スマホは学生のマストアイテムだと言っても過言ではない。永遠と暇をつぶすアイテムを与えてくれるあいつに俺はゾッコンだった。最近じゃ馬を美少女にデフォルメしたゲームが人気になって、俺もそのゲームに登場するキャラの一人に一目惚れ。暇があればスマホに触っていたのだ。


 だからあのゲームができないとなると少し困る。あの可愛い子はもう見れないかもしれないとなると萎えてくる。


 今は緊急事態として、身体はがっくりと項垂れながらも、他の持ち物を調査することに決める。


「小銭374円、胸ポケットのボールペン、先輩に貰ったボタン……これだけか…」


 最悪だ。ろくなものがない。


 あ、先輩のボタンは凄く大事。使い所がないだけで大切な物だ。


「てか、転移っていってもなんでこんな原っぱなんだよ」


 転移というのは、誰かが超大な魔力を使って行うのがお約束のはずだ。何もなしにこんなとこに飛ばされるなんて有り得ない。誰かが糸を引いているはずだ。そして転移されるならばその人間の元に飛んでもいいはずなのだ。


 なのにここは誰もいない。


「寂しくて死んじゃうぞこら……誰かぁー!誰かいないのかぁー!」


 叫んでみるが声が乾いた空に響くだけだ。「はぁい♪」などと言いながら出てくる女神もいない。


 帰りたい。


 それはほったかされた俺が抱いた、異世界での一番最初の願望だった。そしてその願望に従うなら、お誂え向きなのがあそこにある。


「城……」


 距離は遠そうだが城があるということは城下町とやらが存在するはずだ。そして町があるということは人がいる。そこでなら情報も集められるだろう。


 だが何も知らずに行動したくはない。ここがどこだか分からないし、どんな人間がいるのかも分からない。たまたま盗賊の溜まり場だったりするかもしれないし、漫画に出てくるような汚い上の身分の輩が牛耳っているかもしれない。


 怖いから、動きたくはない。


「でもここでなにかできるってわけでもないんだよな……」


 異世界にいるということは十中八九モンスターがいるはずだ。武器も持たずこんな草原に一人。最高の餌じゃないか。美味しくないから食べて欲しくはない。


「モンスターに殺されるか人に殺されるかほっとかれて餓死するか、選択肢は3つかな……?」


 幸いにも今はモンスターは出てきていない。その間に必死に考えて悩んで頭を抱える。一番手っ取り早くて死なない方法。自分がどうすれば現代に帰れるのか。


「……しゃあない。餓死が一番きついって言うしな」


 どうせなら痛くないように殺してもらおう。




◇◆◇




「遠すぎ……」


 かれこれ体感で一時間近くは歩いただろうか。気候は問題ないが緊張に苛まれたまま正確な距離も知らずに歩き続けるのは相当の疲労になるのだと実感した。

 そうでなくとも運動が得意なわけではないのだ。こんなペースではいつまで経っても町につかない気がする。


「でも……モンスターは出てこないんだよな」


 一応ヒノキの棒っぽい木の棒は装備しているが、それはモンスターにとっては警戒に足らない武器だろう。こんなに無防備な存在は異世界のお約束的にはあまりない。

 なのにこれまで一度もモンスターとエンカウントしないのは認識を改める必要があるかもしれない。ここは異世界ではなく地球のどこかで、とろうと思えば日本とコンタクトがとれるのではないかと。


 そもそも約一時間と三十分前まではファンタジー世界の有無など簡単すぎて逆に考えもしなかったのだ。転移と決めつけてしまったのはやはり俺の頭の不良か。


「せめて人と会いたいよ」


 自分からそんな言葉が出るなんて驚きだが、それもしょうがないこと。今は人がいるということに一番心が安らぐ気がする。そう、切迫した状況は人を変えるのだ。


 できることはできる時にしておいたほうが―――


「―――グルァァッ!!!」

「………っ!?」


 足取りは重く、姿勢が猫背になった瞬間だった。


 左背後の茂みから大型犬ほどの黒い影が唸りを伴って現れ、とてつもない速度でこちらに向かってきた。


 火事場の馬鹿力か、後ろを振り返りながら咄嗟に後ろにステップして身を縮める。するとさっきまで俺の左腕があった場所を、太陽に照らされて白く輝くなにかが鋭く軌跡を描く。


「ひっ……!」


 その突然の恐怖に足が竦む。


 がくんと身体が崩れ、俺は倒れ込んだ。舞い上がる土の匂い。それとは別の、嗅ぎ覚えのある匂い。


 それは家で飼っている犬のダンゴが身体を洗浄していない時に発する臭いを、さらに嫌にしたような禍々しいものだった。


 獣臭とでも言えばいいのだろうか。


「まじ、かよ……」


 認識を改めるとは一体なんだ。


 現れたのは、大型犬ほどの大きさでありながら、その身体とは分不相応なほど立派な牙を持つ獣。サーベルタイガーのそれをさらに大きくしたようなアンバランスさに、震えだす身体を止められない。


 獣はこちらを睨みながら、涎で牙をてらてらと光らせている。


「ゥウウゥゥゥウゥゥ……!」


(嘘だろ。嘘だろ、嘘だろ!?)


 気を抜いた瞬間を狙われた。泳がされていたのか偶然なのか判別がつかない。それよりも凄まじいスピードだった。


 いきなりだった。もし俺が後ろにステップできていなければ間違いなく左腕がなくなっていた。左腕。そうだ左腕だ。


 ひだり、うで?


 ひだりうでが、なくなる――


「……はぁっ!………はっ、はっ、はっ…はっ、…!!」


 実感が容赦なく叩き込まれる。


 腕がなくなる恐怖を、その先に待っている絶対的なものを感じ取ってしまい、俺は何もすることもできなくなった。


 どんなに傷つけられても立ち上がる格好良いキャラなんかとは違う。傷つけられる苦しみを知らないものが立ち上がれる道理などない。


 それこそ、盲目的な思考だ。


 戦う力なぞ自分にはなく、所持している棒もその牙を前にしては無力。今俺の中に浮かんでいるのは、対抗することではなく「喰い千切られる」という確定的な未来。


 幸運にもそれを悟った。何も知らずに死ぬよりは良かったのかもしれない。


 生きる者として、まだ良かったのかもそれない。


「ふぅー!、ふぅー!、ふぅー!、ふぅー!」


 呼吸が乱れる。身体が動かない。


「ゥルルルルルル……」


 対して獣はひたりひたりとこちらに歩を進める。最後の足掻きをするつもりがないか見定めている。弱い存在、格好の獲物を確実に狩るために行動している。


 勝ち目など、万に一つも有り得ない。


「おれ……ここまでかよ……」


 甘かった。娯楽小説ばかり読んでいたせいだろうか。ファンタジーなどとかこつけて自分の秘める特別性などというものを心の奥底で信じていた。


 世界が変わったのはここで俺が必要とされているからではないのか。なら弱い俺でもなんとかなるのではないか、という。


 甘すぎた。違うんだ。ファンタジーなんかじゃない。ここの生物は、この世界に生きる者は、全身全霊で存在しているのだ。


 転移にどんな理由があろうとここはリアル。夢物語など見るほうが悪いのだ。


 弱いままで浮ついていた自分が死ぬのが必然。


「ぁ、あぁぁぁぁぁ……!」

「ぅガルぅぅッッ!!」


 牙が近づく。鋭い刃が俺に照準を定める。


『モンスターに殺されるか人に殺されるかほっとかれて餓死するか、選択肢は3つかな……?』


(なんで俺はそんなこと簡単に決断したんだ)


 楽に殺してもらう?


 餓死のほうが辛い?


 馬鹿なことを抜かすな。


 過程がなんであったって命が零れ落ちることが辛くないものなわけがない。それも平和に染まりきった弊害だ。普段触れていないくせに軽視したため命の逆鱗に触れた。


 自業自得だ。


 モンスターがこちらに飛ぶための仕草をする。猫が高いところに飛び乗るような、前足を縮めて、後ろ足にぐっと体重を乗せるような動き。


「ゃだ……いゃだ……!」


 死ぬ。もう死ぬ。もうすぐ死ぬ。喰われる。噛まれる。助からない。引き千切られて血にまみれて――


 ―――絶命する。


「ぁあ……」


 なにかが頬を伝うのに気づいた。


 涙だ。


 精神が成熟していくにつれて一滴も出なくなった目からの水だ。


 こんな簡単に、出るのか。



 獣の瞳が完璧に俺を捉える。それが死に直面した俺には分かった。全てがスローに思える。コマ送りのように感じる。


 獣がついにこちらに飛ぶ。滞空しながらこちらに向かって口を開ける。禍々しいまでに白く輝く刃が俺の胴体を切断せんと雪崩れ込む。


 その細かい仕草までを俺は把握し、身体だけは動かなかった。


 獣との距離、ゼロ。


 ミシッ!!


 肉を切るどころか、骨まで一瞬で断っていると分かる音が鼓膜に届いた。


「ぁっ、がァッッッッッッッ!!!!!」


 走る熱、止まらない激痛。


 身体を焼いて、焼いて。焼き尽くしていく。


 その証拠になによりも熱い液体が左の肩口から地面に池を作りそうな勢いで溢れ出ていた。


 獣と寸分違わず同じような声が悲鳴へと変換される。だが獣はそんなもので狩猟を躊躇したりはしない。むしろ、反抗はないと決めつけ、より強く突き立てる。


「ぁぁぁぁぃだぃっ―――!!ぃだぃやだぁっっあっ!!!!」


 理性はない。ただ本能で自身の武器を振るうのが獣だ。心臓を一撃で貫いてくれるわけでもなく、首を一瞬で両断してくれるわけでもない。


 ペットの犬に噛みつかれるのとは訳が違うのだと綾斗に教えてくれた。


 もはやその教えを教授する余裕はないが。


 想像以上に柔らかい自分の身体。筋肉をつけることなど中学の途中で辞めてしまった。運動部の人間とは比べ物にならないほど貧弱なもの。


 後悔の雑音に苛まれながら、俺の意識は完全に途絶えた。

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