2-4

電車に乗る前に食パンは食べ終わり、口のパサパサ感に眉を潜め、後で飲み物を買うかと思いながら乗り込む。

満員とはいかないものの、席は空きがなく、その前に学生らが並び、それぞれ楽しそうに話していたり、吊り革を片手に、もう片手は参考書を読む人がいた。

いたっていつもと変わらない朝の日常。

朱音は出入口付近に寄りかかり、その中の一部に溶け込む。

閉まることを促すアナウンスをどことなく聞き、上着のポケットから携帯端末を取り出す。

検索アプリを開き、昨日検索してそのままにしていたサイトを見た。

『キス』の単語を見る度に、紫音がしてきたことを思い出してしまい、頬が熱くなるのを感じ、顔に手の甲を添えてごまかす。

何度読み返しても、唇にキスする行為は恋人同士で、相手が好きであるからする愛情表現であり、恋人ですらない、しかも、嫌悪感丸出しの相手からされるものではない。

紫音のしたいことがやはり分からない。

いつまでも解決しない問題のことを考えていても仕方ないと思った朱音は、『新倉紫音 ヴァイオリン』と検索する。

すると、一番上に『ヴァイオリンコンクール小学生部門最優秀賞新倉紫音君』というトピックが出てきた。

その文字をタップすると、あどけない表情の男の子が賞状を両手に持って、愛らしい笑みを見せた写真が出てくる。

あの頃のしおんにぃだ。

テレビで観た時のような表情に、無意識に頬を緩めながらも、スクロールしていく。

『小学生とは思えない腕前』や『親譲りの素晴らしい演奏』と賞賛の言葉が並んだ文を読んでいく。

『親譲り』の言葉から朱音の両親は楽器を演奏しているところを見たことがないので、やはり紫音が言っていたように朱音とは兄弟ではないようだ。

長年『兄』だと思っていたのに。

信じていたものを裏切られたような気分になり、落ち込む。

読む気にならなくなっていたが、ただ目を追っていくうちに、リビングでヴァイオリンを弾いていた紫音のことを思い出す。

陽の光を浴びながら、体をゆらゆらと揺らして弾くさまは、声を掛けようにも掛けてはならない、大袈裟に言ってしまえば侵してはならない聖域のようで。とても美しく見えたことは憶えている。

それと。表情が寂しく、悲しそうな表情をしていたことも。

そうだ。あの頃もヴァイオリンを弾く時は、何か思い詰めたかのような表情をしていた。朱音に向ける表情は優しい笑顔なのに。

何故だろうと思ったのは一瞬のことで、たしかそうなる時は、何か言いたいことがあるのに言えない時。

あまりにも小さい頃であったので、紫音が何を言いたかったのかは憶えてないが、今はどうしてそういう表情になるかは、分かった。

あとは、その何を言いたいのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る