第一章・天使降臨
◆ 1・メイドのミランダ ◆
鐘の音が聞こえる。
軽やかな音色にうんざりしつつも体を起こす。
さようなら、穏やかな時間よ……。
「おはようございます、お嬢様」
控え目なノック――入室してきたのは、紺色のワンピースに白いエプロンを付けたクラシカルメイドである。
栗毛を緩く編み、大きな丸眼鏡をかけた愛嬌のある顔立ち。むしろ愛嬌だけで生きてるといっても良いほどにイイ子ちゃんな娘さんである。
御年17だか18だかで、私より少しだけ年上だ。
「おはよう、ミランダ」
ここで、お付きのメイドである彼女は少し戸惑う素振りを見せた。
勿論……でしょうとも。
今のあんたは知らないだろうけど、こっちは何十年も見てんだ。名前くらい覚えるし、あんたが現在の私を大嫌いな事も存じ上げている。
寝起きの悪かったかつての私に水ぶっかけられたからです。はい、ごめんなさい、理解してます。それだけでもありません。積み重ね、積み重ねですよ。毎日毎日やる事なす事文句を言い、怒声を放ち、ヒステリックに喚いてきた15年間の所為ですとも。
どうしてそれ以前からのリスタートでなかったかが悔やまれます。
いっそ胎児からやり直したかった……!!
さて、愚痴はともかくも私が『まず』する事は彼女に『窓から突き落とされないようにする』事です。
「ミランダ、聞いて欲しい事があります」
はい、ミランダ当然の硬直状態。
大丈夫です、私も、もはや無知ではないっ。事情は把握しておりますとも。
彼女は病気の母を抱える身の上、クビは勘弁して欲しい所だ。
しかし昨晩、私は彼女に解雇宣言済。そしてお誂え向きに実質的雇用者たる父は不在。
つまり、クビを知っているのはこの広い部屋でヒステリックに叫んだ私ことシャーロットお嬢様と、叫ばれたメイドのミランダしか知らない事なのだ。
あんたは現在……私を殺す為に居残っている。
まず、起きているアピールはしたので、その暖かい湯に浸されたタオルでの窒息死コースからは回避成功である。
これは比較的早い時期から回避ルートを見つけていたので問題ない。
「ミランダ、私ね……夢を見ました。神に、会ったんです……」
このルートは将来的に『宗教に狂ったお嬢様、貢ぎすぎて実母に刺殺される』ルートと、『巡礼地参拝の果てに焼死』コースへと枝分かれする。
分岐さえ間違わなければ宗教狂いは回避されるので安心だ。
「神は仰ったの……『己を恥じよ、省みよ、お前は遠くない未来に己の罪によって裁かれる』と」
ミランダの方は見ない。
初期の頃、目が合った瞬間に頭をその水盥で叩き割られたからだ。
数回後のターンで拷問してみたら『だって夢のお告げで改心なんて都合よすぎる』との事。成程でしたよ。私もその言葉を聞いてすっきりしましたから。
だから私の頭を勝ち割った事も当然と受け入れましたし、許しました。
なので……、これから償いますから、殺らないでください。お願いします!
「反省などすぐに出来るものでも、行った罪を償えるとも思いません……」
かつて『償います』と言い窓辺に立った私は後ろから突き落とされ転落死している。パターンは2、3あったが起き抜けからの1時間に渡るミランダの行動で読めない部分はない。
ここさえ乗り切れば、ミランダの第一次殺害ターンは終了だ。
「ミランダ……昨晩、私があなたに言った言葉を取り消させてください」
「……え?」
「このまま、この屋敷に務めてくれませんか? もしかしたら今後もひどい事を言うかもしれません。それでも一つ一つ正して……行動を改めるよう努力するつもりです。精一杯っっ」
ミランダは答えない。
悩んでいるのだ――この場にはミランダと私のみ、彼女は殺すか否かの天秤の上にいる。
「私は、馬鹿だ……本当に、自分が情けない……」
「何を……言っているんです?」
ミランダの顔はまだ見るわけにはいかない。
ただ精一杯の懺悔を真摯に見えるよう執り行う事が肝心だった。
「あなたには怒る権利があるし、憎んで当然の仕打ちばかりしてきた。私に、怒ったままでいい。許す必要もない……。でも、……でもいつか……」
己の両手をぎゅっと合わせる。
そう、今の私は敬虔な神の信徒に見えるべきなのだっ。
何もやる気がなくとも生きてはいたいっ。少しでも長く『死』の痛みからは逃れたい……。
どうせ、神は私などお救いにならないと分かってる。救う気があるなら『こんな状態』には陥っているはずもないから……。
その事に気づいた時、何もかも嫌になって、やる気も失せて、生き伸びようとする事も辞めた時期だってあった。けれど、何一つ変わらなかったっ。
何も変わらないのだから少しだって痛みの感覚を先に延ばして、長生きしたいじゃないっ。
それくらいは許されていいはずだ……。
「いつか必ずっ。この日の私の言葉が真実だったと思えるようにするから、それ……っっ」
目を見て言うべき確定の台詞は、途中で潰えた。
最期に見えたのは彼女の血走った目。
何が起きたかなど分からない。ベッドから動かなかったし、ちゃんと全てのパターンを避けて前回の正解を引き当てていた。
にもかかわらず、頭に落ちる衝撃――衝撃、衝撃――衝撃だ。
そうして激痛などという言葉すらも程遠い。
形容しがたい『衝撃』の果てにプツン――と、全てがオチた。
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