第54話 紫電改

 「我々の情報部門と、それにドイツからもたらされた情報によればP38は六三〇キロ乃至六四〇キロ、P47とF4Uに至ってはさらにそれ以上の速度性能を誇るという。つまり、少なめに見積もってでさえいずれの機体も零戦よりも六〇キロ以上も速い。

 これだけの速度差があれば、技量が同じ搭乗員であれば勝負にすらならん。それに、米側のほうは速度性能の優越を生かせば若年搭乗員でさえ熟練が駆る零戦から逃れることは容易だろう。逆に零戦側は相手が格闘戦に乗ってこない限りは極めて不利な戦いを強いられる」


 零戦で勝てるのかと問うた自分に対し、勝てないと言った塩沢総長。

 その理由を聞きながら山本長官は、さてどうしたものかと考える。

 戦闘機同士の戦いで最も大切なことは適切な情報支援がなされるかどうかだ。

 事前に高度をはじめとした敵の位置情報やあるいはその数が分かっていれば対策も立てやすいし、なにより奇襲を受けずに済む。

 無線で僚機に危機を知らせるのもある意味において情報支援の一種だろう

 不意打ちを食らってやられてしまうケースがやたらと多い戦闘機同士の戦いでは、味方からの正確な情報はある意味において命綱にも等しい。

 早い段階で航空主兵に移行した帝国海軍では戦争が始まる以前からこのことに気付いており、それゆえに無線機に支障のある機体についてはこれの飛行を一切認めていない。

 だがしかし、機体性能や搭乗員の技量もまた情報に勝るとも劣らない重要なファクターであることも間違いない。

 そして、塩沢総長によれば、これまで無敵と言われた零戦も、開戦からわずか一年余りで狩る側から狩られる側へとその立場が変わりつつあるのだという。

 考え込む山本長官に、だがしかし塩沢総長はそう心配するなと微苦笑を向ける。


 「二度目のオアフ島攻撃は零戦ではなく新型戦闘機でおこなってもらう。今から搭乗員たちに機種転換訓練を始めてもらえれば、作戦開始までに十分に間に合う」


 塩沢総長の言葉に、しかし山本長官は訝しむ。

 零戦の後継機である一五試艦戦は開発こそ終わったものの、心臓とも言える木星発動機については英国での生産が緒に就いたばかりだ。

 それらが一定の数をそろえ、さらに搭乗員の慣熟訓練の期間も加味すれば、どんなに早くても一機艦の母艦航空隊に行き渡るのは半年後になるから、二度目のオアフ島攻撃には間違いなく間に合わない。


 「木星発動機については、今後は確かに英国で生産される。英国製のほうが信頼性が高くて性能もいいからな。しかし、オアフ島攻撃に投入するのは一五試艦戦ではない。紫電二型、俗に言うところの紫電改だ」


 零戦と同じ時期に開発が進められた紫電は大排気量の火星発動機を搭載し、旋回格闘性能は零戦に及ばない一方で最高速度や加速性能、それに上昇力といった速度性能は一枚も二枚も上手をいっていた。

 さらに武装強化型の紫電は重防御を誇るB17に対しても十分に有効打を与えうる重戦闘機として基地航空隊で重宝されている。


 「つい先ごろ実戦配備が始まったという新型局戦か。しかし、あれは陸上戦闘機だから母艦での運用は無理だろう」


 疑問の言葉を吐く山本長官に、塩沢総長は微苦笑をたたえたまま説明を重ねる。


 「確かに紫電改は紫電をベースにしているが、実態としてはまったく別の機体だ。発動機は火星に替えて国産の木星を搭載している。英国製の高オクタンガソリンの使用を前提としている英国製木星に比べて馬力は劣るがそれでも一九〇〇馬力を発揮できるなかなかの優れものだ。それに、直径も火星より小さいから空力特性も紫電より改善されている。

 さらに、機体設計を洗練させたことで着陸時の挙動もずいぶんと安定したものになった。そして、それらの性質を見てとった航空本部の誰かが紫電改であれば艦上機としても運用出来るのではないかと言い出したらしい。そして、尾部をはじめ必要な機体の強化を施すとともに着艦フックを装備し、空母の飛行甲板に見立てた施設で実験してみたところ、発艦も着艦もとりたてて問題になるようなことはなかったとのことだ。

 それと、紫電改は類別こそ局地戦闘機だが、しかし自動空戦フラップを装備したことで旋回格闘性能もまた制空戦闘機と比べて遜色が無いレベルにまで仕上がっている。そして、帝国海軍は一五試艦上戦闘機が戦力化されるまでの間、この紫電改を主力戦闘機とすることを決めた」


 紫電改採用のいきさつを聞きつつ、山本長官は気になっていることを端的に問う。


 「紫電は零戦より速いものの、それでも六〇〇キロには届かなかったはずだ。それに比べて紫電改はどの程度速くなっているのだ」


 「最高時速は六二〇キロだ。確かにこの数字はP38やP47、それにF4Uには及ばないかもしれん。しかし、機体が軽いので加速や上昇性能で引けを取ることはないはずだ。そして、先程も言った通り、旋回格闘性能については紫電と紫電改はまったくの別物となっている。これについては本職のテストパイロットが絶賛していたというから信用しても問題無いだろう。

 あと、おまけの情報だが紫電改は両翼にそれぞれ二五番を一発ずつ搭載出来る。つまりは零戦の二倍の爆弾搭載量があるということだ」


 紫電改の最高速度はP47やF4UはもちろんP38にすら及ばないが、それでも零戦より五〇キロも優速であれば山本長官としても紫電改導入を反対する理由は無い。


 「了解した。二度目のオアフ島攻撃に関して大きな懸念は解消した。そして、今度もまた徹底的に米軍を叩いて、せいぜい米国民の厭戦気分をより一層高揚させることにしよう」

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