第44話 ドイツの戦略
山本長官が胸中で鬼の一人に挙げた堀大臣が、ここからが本日のお題だとばかりに口調を改める。
「第一段作戦の南方資源地帯の攻略が完了し、さらに第二段作戦の主要目標であるインド洋の制海権奪取の目途も立った。これを受け、帝国海軍は第三段作戦の準備に入る。
こちらはドイツやイタリア頼みの、つまりは他力本願の作戦となるから我々としては彼らを信じて吉報を待つしかない。だが、準備だけはこれを万端整えておかなければならん」
帝国海軍がインド洋に展開する英軍の撃滅ならびに同海域における制海権を確保した場合、ドイツとイタリアはスエズ運河を打通し欧州と日本との連絡線を確保する。
そういった取り決めがあることは山本長官も承知していた。
「ドイツはこの夏に予定していたソ連への大攻勢をいったん棚上げし、その戦力を地中海方面に転用する。つまりは、ドイツは我が国との約束を遵守するということだ。ヒトラー総統は気まぐれで我儘な性格だと聞いていたので我が国との約束を反故にするかもしれないと警戒していたが、意外に義理堅いところもあるようだな」
ドイツの方針に少しばかりの安堵のそれを表情に浮かべ、堀大臣が説明を続ける。
「おそらくドイツ空軍とイタリア海軍は共闘してマルタ島攻略に着手するはずだ。そして、地中海の東半分の覇を握ったところでエジプトに侵攻、最終的にスエズ奪取を目論んでいるものと思われる」
堀大臣の予想に異存はなかったものの、しかしいささかの疑問も無しではなかったので山本長官はそのことを尋ねる。
「地中海艦隊のほうはどうする。空母や戦艦を含むかなり有力な艦隊だと聞いているが。それと、なにより問題なのは作戦終了までににかかる時間だ。ドイツならびにイタリアとエジプトの英軍の戦力を比較すれば作戦成功は間違い無しとは思うが、あまりもたもたされてもかなわん。その間にも米国は戦力を確実に強大なものにしていくはずだからな」
「地中海艦隊のほうはマルタ島が陥ちた時点で英本国へ脱出を試みるはずだ。インド洋が封鎖され、そのうえ地中海も同じようになっては補給は途絶する。そうなってしまっては彼らとしては立ち枯れるよりほかに無い。しかし、そのようなことは艦艇不足に悩む英海軍が絶対に許すことはないだろう。
それと、機密保持の観点から作戦の詳細は明らかにしてもらえなかったが、連中が言うには電撃作戦、つまりは速攻で片づけるということらしい。貴様が言う通りもたもたしていてはスエズ運河を破壊されるおそれがあるからな。おそらくドイツは対ソ戦に用意したうちのかなりの戦力を投入するのだろう。つまりは、大戦力を投入して一気に勝負を決める。彼らとしてもここが正念場だと理解しているのだろう」
堀大臣の言う通り、東洋艦隊が壊滅し、決して失ってはならない経済の大動脈を喪失した英国を戦争から退場させる機会は今を置いてほかに無いはずだ。
もし、英国が戦争から降りれば、ドイツは当面の間は対ソ戦に集中出来る。
インド洋海戦で英海軍は大量の艦艇を失ったが、それはつまりはUボートが仕事をしやすくなったということでもある。
もし、ここで大西洋の英米連絡線を断ち切れば、英国は戦争の継続が不可能になるどころでは済まず、国民が飢餓に陥るだろう。
だが、それをUボートだけでおこなうにはいささか戦力不足だ。
だからこそ、ドイツは帝国海軍に協力を求めた。
そして、堀大臣はその詳細を明かさないものの、しかしその見返りは帝国海軍にとってとてつもなく大きいものであることは間違いないはずだ。
「しかし意外だな。ヒトラー総統はソ連こそを主敵と考え、英国打倒はその次だとばかり思い込んでいた。ソ連への夏季攻勢を先延ばしにしてまでスエズ打通を優先させるとは正直言って驚きだ」
山本長官のぼそっと吐いた言葉に堀大臣が苦い笑みをこぼす。
「大国ドイツの指導者といえども一人の人間だということだ。ヒトラー総統はおそらくチャーチルが困るのが楽しくて仕方が無いのだろう。自分に散々煮え湯を飲ませ続けてきた男が今では崖っぷちだ。そしてそのチャーチルを自身の手によって奈落へと突き落とす。彼にとってこれ以上の快感は無いのではないか」
日本との戦いは、チャーチルにとって悪夢の連続だったことだろう。
自信を持って送り出した最新鋭戦艦の「プリンス・オブ・ウェールズ」は開戦劈頭にあっさりと沈められ、東洋最大の要衝だったシンガポールも陥落した。
そして、インド洋で東洋艦隊を完膚なきまでに撃滅され、同海域の制海権を日本側に奪取された。
間違いなくチャーチルは政治生命の危機にさらされている。
むしろ、これだけの失態を重ねてなお首相の椅子に居座っているのだから、ある意味そちらのほうがすごいかもしれない。
「これは以前にも言ったことだが戦費の問題もある。英国が数世紀にわたって世界中から収奪した富はまさに膨大だ。これを手に入れることでドイツの戦費不足問題は解決する。
それと、だ。これは他言無用に願うが、ナチス上層部に対する論功行賞の意味もある。英国には世界中からかき集めた美術品がごまんとある。
そして、ヒトラーはそれを側近たちに分け与える。ナチスのお偉方たちは美術品にはことのほか目が無いらしいからな。実際、パリを占領したときもかなりの数の美術品が違法な手段によって彼らの手に渡ったという話だ」
堀大臣のいささか生臭い話に山本長官は心底辟易とした。
そして、自分が三国同盟に反対したのは別の意味で間違っていなかったのだと確信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます