第19話 太平洋艦隊司令長官

「まったくもってやりにくい相手だ」


 すでに戦争は始まっていた。

 それなのにもかかわらず、キンメル太平洋艦隊司令長官は日本海軍という組織が何を考えているのかがいまだに理解できない。

 日本海軍は世界第三位の実力を持つと評価されながらも、その実態はといえば空母戦力に特化した歪な海軍だ。

 主力艦に位置づけられる戦艦と空母のうち、戦艦のほうは「長門」と「陸奥」の二隻しかないのに、逆に空母は一二隻も擁している。

 戦艦に次ぐ砲戦能力を持つ重巡洋艦は一二隻とそれなりに数は揃っているが、そのうちの三分の一は元が偵察巡洋艦の「古鷹」型かあるいは「青葉」型であり、これらは俗に言う一万トン級巡洋艦と撃ち合えるだけの力は持っていない。

 残る「妙高」型と「高雄」型は艦体こそ立派な重巡だが、しかし一方で対空火器の増強を図るために一〇門あった主砲を八門に減らしており、九門乃至一〇門装備する米国の重巡に比べれば明らかに見劣りがする。

 こと、大口径砲を持つ水上打撃艦艇に関して言えば、日本海軍は米国や英国はもちろん、ドイツやイタリアにすら劣るかもしれない。


 一方で、空母のほうは「天城」型空母が八隻に「金剛」型空母が四隻と極めて充実している。

 単純な空母の数で言えば世界一だ。

 だが、一方で「天城」型空母は基準排水量が一六八〇〇トンと米国の「ヨークタウン」級空母より小ぶりであり、実際に現物を見る機会を得た駐日大使館の武官も明らかに「レキシントン」級空母や「ヨークタウン」級空母より一回り小さいと報告を上げている。

 また、元が巡洋戦艦の「金剛」型空母は同じく巡洋戦艦を改造した「レキシントン」級空母より一回りどころか二回り小さく、そのサイズはむしろ英国の「イーグル」やあるいはフランスの「ベアルン」に近いという。

 このことから、「天城」型空母は五〇機前後、「金剛」型空母のほうは三〇機から多くても四〇機程度と情報部は推測している。


 問題なのは日本海軍がマル三計画で建造を進めている四隻の主力艦だった。

 この四隻については当初、それが戦艦なのかあるいは空母なのかで議論があったのだが、しかし情報部の懸命の努力によってそれが空母、しかも飛行甲板に鋼鉄を張り巡らせた装甲空母だということが分かっている。

 一般的に装甲空母は防御力が高い一方でトップヘビーを避けるために甲板を一層減らさないといけないから艦内容積を大きくとることが出来ない。

 そうなれば、必然的に格納庫もまた狭いものになる。

 実際、英国の「イラストリアス」級装甲空母は「ヨークタウン」級空母以上の排水量を持ちながらその搭載機数は三六機にしか過ぎないらしい。


 日本海軍がマル三計画で建造している空母はその予算規模から排水量は少なくとも三〇〇〇〇トン以上になると見積もられている。

 つまり、「イラストリアス」級空母よりも大きいから搭載機数は最低でも四〇機以上にのぼるはずだ。

 もし、仮に日本海軍がマル三計画で建造された空母をすでに戦力化していた場合、最低でも一六〇機、多ければ二〇〇機程度が従来戦力に上積みされることになる。

 つまり、最悪の場合一六隻の空母が搭載する八〇〇機近い艦上機を太平洋艦隊は相手どらなければならない。

 現在、合衆国海軍は慣熟訓練中の「ホーネット」を除くすべての空母を太平洋に配備している。

 それらは日本海軍の相次ぐ空母戦力の増強に対抗するため、F4Fワイルドキャット戦闘機やSBDドーントレス急降下爆撃機といった新鋭機を前倒しで配備、さらに戦闘機隊は六個小隊編成だったものが今では九個小隊と五割増しになっている。


 一方で、太平洋艦隊に配備されている戦艦のほうは「コロラド」級戦艦と「テネシー」級戦艦の合わせて五隻だけだ。

 日本側が「長門」と「陸奥」の二隻しか戦艦を保有していない以上、五隻もあれば十分にお釣りがくると合衆国海軍上層部は考えているのだろう。


 今のところ、戦火はここハワイにまでは届いていない。

 だがしかし、戦況は連合国側にとって極めてまずい状況にある。

 フィリピンを守る米陸軍航空軍は開戦劈頭に日本の機動部隊から発進した艦上機によって壊滅的打撃を受け、グアムはすでに日本軍の手に落ちてしまっている。

 マレーでは英国の新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が陸上攻撃機によってあっさりと沈められ、地上の戦いでも押し込まれているという。


 もちろん、合衆国とて日本との戦争を予想していなかったわけではない。

 むしろ開戦は必至とみてフィリピンには空の要塞B17を、ウェーク島やミッドウェー島には戦闘機を配備するなど打てる手はすべて打ってきた。

 開戦時期を決めることができる日本軍にある程度機先を制されるのは仕方が無いこととはいえ、一気にここまでまずい状況になるとはさすがにキンメル長官も思っていなかった。


 逆に想定通りだったこともあった。

 日本海軍が南方の資源地帯攻略に戦力を集中してきたこと、そしてハワイを直接攻撃してこなかったことだ。

 情報部の中には空母艦上機による開戦劈頭の真珠湾奇襲を警告する声もあったが、さすがにそれはなかった。


 「幸いだったのは日本海軍が空母戦力を分散してくれたことだ。フィリピンを襲った機動部隊は空母を四隻擁しているという。そして、開戦初日にイバとクラークフィールドはそれぞれ一〇〇機近い日本の艦上機から空襲を受けた。

 その数からしてフィリピンの機動部隊は搭載機数が多い『天城』型空母のいずれかだ。そうなると、太平洋正面には同じく四隻の『天城』型と、さらに『金剛』型の四隻しかない。

 それと、マル三計画の空母がすでに戦力化されていたとしても、それらはいずれも装甲空母だからさほど搭載機数は多くないはずだ。仮に装甲空母が参陣したとしてもその艦上機の総数は六〇〇機を超えることはないだろう。

 一方で、こちらは六隻の空母に予備の機体を含めれば五〇〇機近くを搭載している。この程度の差であれば、機体性能と搭乗員の技量でいくらでも埋め合わせることが出来るはずだ」


 都合の良い感情バイアスだと自覚しつつ、それでも無理やりにポジティブな気持ちに切り替えキンメル長官は眼下の真珠湾に目を落とす。

 ウェーク島救援のために、間もなく出撃する艨艟たちの姿がそこにはあった。

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