第16話 同期
昭和一六年夏
海軍御用達の某料亭
「米国はすでに電探を配備しているのだから艦上機による奇襲など成立せんよ。もし、奇襲が成立するなどということを本気で信じているのならば、科学音痴あるいは軍事音痴もいいところだ。それになにより致命的なのは、戦略的に見れば米国とその国民を逆上させるだけの悪手であるということだ」
海兵三二期の同期であり、また気心の知れた親友でもある堀海軍大臣の口から吐き出された言葉に第一機動艦隊司令長官の山本大将は眉をひそめる。
だが、その堀海軍大臣の隣に座る塩沢軍令部総長もまた大きくうなずき、堀大臣に賛意を示している。
当たり年と言われた海兵三二期の中において常に首席を競い合ったナンバーワンとナンバーツーの俊英二人がけんもほろろに自分が温めてきた案にダメ出しをした。
もう一人の吉田連合艦隊司令長官は何も言わないが、それでも塩沢総長ほどではないにせよ小さく首肯していたことに山本大将は気づいている。
心中の落胆を表情に出さないように努めつつ、山本長官は重ねて自説の意義を訴える。
山本長官が三人に開陳したのは真珠湾奇襲攻撃のことだった。
開戦劈頭において、間もなく戦力化がかなう「大和」と「武蔵」、それに「信濃」と「甲斐」の四隻の装甲空母、それに同じく四隻の「天城」型空母に搭載された六〇〇機の艦上機でもってオアフ島の真珠湾軍港に停泊する太平洋艦隊に対して奇襲攻撃を仕掛ける。
これら機体で太平洋艦隊の寝込みを襲えば一撃で同艦隊の主力に対して壊滅的ダメージを与えることが可能なはずだ。
もし、これに成功すれば南方作戦に従事している部隊はその側背を突かれる心配は無くなるし、戦果次第では米軍人や米国民の士気の低下も期待出来る。
強大な国力を誇る米国相手に戦いを挑むとなれば、尋常一様な手段をとっていてもどうにもならない。
常識的なやり方で立ち向かえばいずれはじり貧に陥り、あとは物量によってすり潰されるだけとなる。
短期決戦、早期和平以外に取るべき道が無い以上、多少投機的な作戦であったとしても断じてこれを行うべきだというのが山本長官の考えだった。
一気呵成に話し込む山本長官に対し、だがしかし堀大臣は落ち着けとばかりにことさらゆっくりとした口調で反対の理由を口にする。
「貴様の言うように、八隻の空母と六〇〇機の飛行機があれば太平洋艦隊に対してそれなりのダメージを与えることは可能だろう。ただ、問題なのは仮に奇襲が成功したとしても、明らかに失うもののほうが大きいということだ。
知っての通り、米国においてはすでに新造艦の竣工ラッシュが始まっている。新鋭戦艦の『ノースカロライナ』と『ワシントン』がこの春に就役し、さらに来年春にはその改良型が続々と完成する。空母のほうも秋には『ヨークタウン』級の改良型が竣工し、さらに来年末か遅くとも再来年のはじめにはさらに進化した大型空母の一番艦が産声をあげるはずだ。
そのような状況で太平洋艦隊に配備されている旧式の戦艦や空母を派手に叩いたところで、米軍や米国民に与えるダメージなどたかが知れている。むしろ、奇襲をだまし討ちに変換して日本国民に対する敵愾心を煽り、米国民を結束させるためのネタにされるのがオチだ。オアフ島への奇襲攻撃は開戦のきっかけと国民の支持の両方が欲しいルーズベルトへのなによりもありがたいプレゼントになることだろう。
それと、短期決戦早期和平というのは、こと米国が相手ではありえん話だ。確かに駐米経験が豊富な貴様は米国の国力や工業力の強大さに関しては知悉しているようだが、しかし一方で米国民の強さはまるで判っておらん。
言っておくが、米国民あるいは米兵の精神的な強さは日本のそれを上回ることはあっても決して劣ることはないぞ。連中の粘り強さは、少しばかり苦しくなったくらいで潔く散るとか言ってなにもかも放り出してしまうどこかの東洋の島国の連中とは比較にならん」
米国の強大さを訴える山本長官に対し、それを肯定しつつも堀大臣は米国民の強さを根拠として反論する。
「あの、贅沢に慣れきった米国民の精神力が我々を上回るというのか?」
堀大臣の意外な切り口に、山本長官は少しばかり考え込む。
その山本長官に対し、塩沢総長もまた堀大臣の話を補強すべく言葉を紡ぐ。
「我々に大和魂があるように米国にはフロンティアスピリットというものがある。西部開拓の際に限らず、新大陸において彼らには様々な障害が立ちはだかった。それを連中は旺盛な闘争心、一方で強靭な忍耐力でそれらを克服していった。まあ、先住民からすれば迷惑千万な行為ではあったのだが、それでもその歴史を紐解けば連中の気質がある程度分かる。
仮に空母機動部隊の攻撃によってオアフ島の太平洋艦隊が壊滅したとしても彼らが士気を喪失することは無い。奇襲攻撃をすれば、その被害の如何を問わず、ただ日本人に対する復讐心が燃え上がるだけだろう。
それに逆の立場になって考えてみろ。もし我々がトラックを奇襲され、艦隊の半数を失ったとしてあっさりと降伏するか?」
ファクトやエビデンスを重んじる一方で、決して精神面も軽んじることはない堀大臣と塩沢総長の言葉に山本長官も考えざるを得ない。
同期のツートップが口をそろえて真珠湾奇襲攻撃の効果を否定するのだ。
おまけに米側を利するだけだというダメ押しまで添えて。
こうなってしまうと、山本長官としては吉田長官を味方に引き入れるしかないのだが、その吉田長官はあっさりと堀大臣と塩沢総長の陣営に与してしまう。
三対一ではいかに弁が立つ山本長官といえども不利は免れない。
ならばと、とっておきを突きつける。
「もし、真珠湾奇襲攻撃が認められないのであれば、俺は海軍を辞する考えだ」
そう言って山本長官は三人の同期の顔を等分に見回す。
だが、しかし・・・・・・
「辞めればいいんじゃないか」
「そうだな。お前が決めたことだ。俺はとやかくは言わん」
「右に同じ」
誰も引き留める者がいない中で、山本長官はすぐに自身の発言を撤回する。
一機艦司令長官として米戦艦群を叩き潰すという夢が捨てきれなかったからだ。
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