ウェーク島沖海戦
第15話 開戦不可避
「米国と一戦交えるしかないのか」
山本大将はこの日、何度目となるか分からないため息を漏らす。
満州事変を発端に、険悪化する一方だった日米関係はすでに回帰不能点を超えてしまった。
ここまで来るのに、山本大将も手をこまねいていたわけではない。
米内大将や井上中将らとともに日独伊三国同盟に反対し、米国との関係修復のためにあれこれと知恵を絞ってきた。
だが、驕れる米英に鉄槌をと怪気炎をあげる政界や財界、それに官界や陸海軍の開戦派たち。
さらに、新聞をはじめとしたマスコミに反米感情を煽られて頭に血が上った国民の「驕敵米英討つべし」といった大きな声に抗うことなど、個人の力では到底不可能だった。
そもそもとして、帝国海軍内でも避戦派はどちらかと言えばマイノリティであり、ドイツ贔屓が多い帝国陸軍もまた似たような状況なのだ。
それでも堀海軍大臣や塩沢軍令部総長、それに吉田連合艦隊司令長官といった海軍三顕職の重鎮たちは荒ぶる少壮士官らを抑え、一線を越えないように努めてきた。
だが、その努力も水泡に帰す。
重鎮らの苦労を台無しにしたのは誰あろう伏見宮元帥だった。
伏見宮元帥は好戦的では無いものの、だがしかし一方で日米交渉については極めて悲観的な考えを持っていた。
「いくら日本が避戦のために外交努力を重ねても、米国は決してこちらの提案を受け入れることは無いだろう」
そう言って、もし米国に対して戦いを挑むのであればその時期は早ければ早いほど良いとも公言していた。
山本大将の目から見て、伏見宮元帥は軍事面においては大艦巨砲主義から航空主兵主義への転換を成し遂げた貢献者ではあったが、逆に軍政面ではいささか慎重さに欠けるきらいがあるようにも思えた。
軍令部総長から身を引いてなお帝国海軍内において最高権力者たる伏見宮元帥に対し、山本大将はもちろんのこと堀大臣や塩沢総長、それに吉田長官といった海軍大将らはそういった政治的な言動を控えるよう申し入れたものの、伏見宮元帥のほうは頑として自身の考えを変えようとはしなかった。
そのことで、伏見宮元帥という最高権力者から日米開戦に対するお墨付きをもらったと解釈した開戦派は勢いづく。
先述したように、帝国海軍内において開戦派あるいは対米強硬派は多数派だったから、ひとたび開戦への流れが出来てしまえば誰もそれを止めることは出来ない。
だが、その一方で山本大将は伏見宮元帥の気持ちも理解出来た。
帝国海軍は米国の二大洋艦隊整備法案の調査に伴って、昭和一五年の時点で米国がすでに一ダースもの空母を発注していたことを掴んでいた。
これは極秘裏に取ってきた機密情報ではなくオープン情報として公開されているから信ぴょう性は高い。
一二隻発注された空母のうち、「ヨークタウン」級の改良型は一隻のみで、残る一一隻はすべて新設計の空母だ。
これら一二隻のうち、昭和一四年の時点ですでに建造が開始されていた「ヨークタウン」級の改良型は昭和一七年、新型空母のほうは早いものなら昭和一八年初頭に戦力化されると見込まれている。
これに現在米国が保有している六隻の空母を加えれば、その艦上機の総数は最低でも一六〇〇機、下手をすれば一七〇〇機に迫るはずだった。
そして、これら艦上機がまとまって連合艦隊に襲いかかってくればどうなるかなど、帝国海軍軍人であれば容易に想像がつく。
誰よりも先駆けて航空戦力の威力を知るに至った伏見宮元帥であればなおさらのことだっただろう。
伏見宮元帥の焦燥、その思いは山本大将にも痛いほど分かった。
一方、帝国海軍に目を向ければ、こちらもまた空母の増勢は著しい。
まず、空母へと改造された「金剛」型だが、こちらはすべての艦が慣熟訓練を完了し、新戦力としてすでに連合艦隊に加わっている。
これらに従来からの八隻の「天城」型を加えれば空母の数は一二隻となる。
それら一二隻の空母は常用機だけでも七〇〇機近くに達するから、正規空母を六隻しか保有していない合衆国海軍に対して明らかに優勢だ。
さらに、あと少しすればマル三計画で建造が開始された四隻の装甲空母もそれぞれ訓練を終え、こちらもまた「金剛」型と同様に連合艦隊の指揮下に組み込まれる。
そうなれば米新型空母が竣工するまでの間、つまりは昭和一七年いっぱいまでは間違いなく帝国海軍の空母戦力が米海軍のそれを圧倒する。
「やるなら今しかない。宮様のおっしゃりたいことは、つまりはそういうことだろう」
山本大将は少し以前に伏見宮元帥と会った時のことを思い出している。
「日米の戦はもはや不可避となりました。そのことで、宮様にお願いがあります。私を軍事参議官から新編される第一機動艦隊の司令長官に据えていただきたい」
本来、艦隊司令長官は中将がその任にあたり、大将が担うものではない。
当然のごとく、伏見宮元帥からはそのことが指摘される。
「宮様のご指摘はごもっともです。ですが、日米の戦いは最初の艦隊決戦でその趨勢が決まります。まあ、米国のほうは一度敗れたとしてもやり直しがききますが、日本はそうはいきません。つまり、最初から決して負けることが許されない戦いが続くのです。
だからこそ、私は陣頭指揮を執りたい。それに、空母部隊で太平洋艦隊の戦艦群を撃滅したいという思いもまた強い。いや、むしろこちらの方が本音かもしれません」
矢継ぎ早に勝手わがままを言ってくる山本大将に対し、一方の伏見宮元帥は苦笑を返すしかない。
山本大将を実質的な無任所である軍事参議官に据える時にも伏見宮元帥は結構骨を折った。
確かあの時、山本大将は国難のどさくさに紛れて帝国海軍の併呑を図る帝国陸軍の魔手から組織を守るために自身をフリーハンドにしてほしいと言ってきた。
だが、本当のところは伏見宮元帥にも分からない。
あるいは、その労力を海軍組織を守るためよりもむしろ避戦のために費やしていたというのが本当のところではないか。
いずれにせよ、伏見宮元帥は山本大将の陣頭指揮に思うところが無いわけではなかったが、それでもこの男に任せてみようという思いのほうが強かったから、彼の要望を認めるとともに最後の言葉を贈った。
「航空主兵の連合艦隊。これ以外に帝国海軍が進むべき道は無い」
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