15 密告

 翌日。

 ルコアはジュラルの自宅で大人しく留守番をしていた。


「日にちが変わっても、太陽が見えないんじゃ時間の流れなんてとても分からないわね」


 窓から見える蓋に覆われた天井を見上げながら、ルコアは呟いた。

 食事すらも必要としないアロイ族の街とあっては、水は何とか出来ても彼女のお腹は今にも唸り声をあげそうだった。

 空腹には慣れていたが、この街を抜け出して隣町に到達するまでには何かしら口に入れておきたい。

 故郷のマフィンやハンバーガーを脳裏に浮かべ、余計に空腹を刺激しそうな事に気付いたルコアは頭をぶると振った。


「にしても遅いわね、そろそろお昼時を過ぎるのよ?お祈りがそんなに大事なのかしら」


 暇な時間にぐずり始めていたその時、彼女の背後でコンコン、と物音がする。

 硬い鋼を叩く音、それは扉をノックする音だった。


「やっと帰って来たわね!もう……」


 反射的に玄関まで出ていくルコア。

 しかしノブを握ろうとした手に冷や汗が伝う。


「……誰なの」


 ジュラル達がこの家を出て行く際、彼は「誰が来ても出ないように」と念を推していた。

 もし仮にジュラルやシルがこの家に戻ったとしてノックをするだろうか。

 インターフォンも覗き穴も無いこの家では不用意に外の状況を確認できない。


「危なかった……居留守すればいいものね」


 手を引っ込めたルコアだったが、しかし直後に目を疑った。


「え……なんで?」


 ドアノブが勝手に動き始めたのだ。

 ゆっくりだが確実に、忍び寄るようにドアノブがその腕を下げてゆく。


「ちょっとまさか……な、この家って鍵無いの!?」


 ギリギリと金属が擦れる音を鳴らしながら、扉がゆっくりと口を開ける。


「まず……」


 咄嗟に身を引こうとしたルコアだったが遅く、何かを確信したように突然勢いよく開かれたドアの向こうから無数の光が差し込む。

 ドアに弾かれバランスを崩し尻もちを突いたルコアが顔を上げると、そこには多くの灰色の人型達が怪しく輝く松明を掲げて立っていた。


「やはり居ましたよ!ネズミはコイツです!」


 先頭に立って松明を掲げこちらを指さす、聞き覚えのある声をした細い男。

 彼が先日訪れたクルップだとルコアは気付き、何故自分の事がバレてしまったのか思考を巡らせる。

 しかしその背後から現れた「臭い」に、ルコアの脳は硬直した。


「やれやれ、困ったものですねェ。ユグドからは一言も客人があるなんて伝えられていないのに。他人の家の塀を勝手に跨ぐ者があるとねェ」


 クルップの背後から現れた男、確かにその身なりの良い人物から久々に感じる臭い。

 普段は全く持って意識する事も無いが、この状況だからこそハッキリと分かる。


「人……間?」

「ほぉう、ロイド族ですか。これはこれは」


 周囲の灰色の人型達とは明確に違う、人の色をした肌。

 肉体のあちこちが機械化してはいるが、確かに感じるその生物的な臭いは、アロイ族とは全く異なったモノであると確信できる。


「どうも、お客人殿。ワタクシは教区長コンスタン。以後よろしくお願い致します」

「……教会の長様がわざわざありがとう」

「いえいえ、お構いなく。しかしですねェアナタ、ワタクシ達としましては不法滞在されると困るのですよ。理由はお分かりですかね?」


 機械の骨組みに肉がこべり付いたような醜悪な男の顔が近付く。

 装飾に塗れた祭服から鳴るシャリシャリとした金属音にルコアは顔を顰めた。


「別にすぐ出て行くわよ。その為の準備もしていたの。悪かったわね、勝手に寝泊まりして」

「違う違う、違うのですよアナタ。名前は存じませんがねェ、困るのですよ。その目に映ったモノ全てが。インプラントも埋め込まれていないその頭の中の生肉に刻まれたデータが。この街の壁から一歩たりとも外に出す訳にいかないのですよ」

「知らないわよ、外に出たってわざわざ話すつもりなんてないわ。この街の由縁も何もかも」

「やはり知っていましたか……困りますねェ」


 コンスタンの言葉にルコアは奥歯を噛んだ。

 この手の人間は全く話が通じない、完全に頭が固まっているタイプだからだ。


「あいにくアナタの頭の中の記録を抜き出してどうにかする事も出来ませんし、やはりしっかりと消去する必要がありますねェ。協力してくださいますね?」

「私は……」


 で、あれば取るべき手段はひとつ。

 ルコアは手の内で尖った女神像の破片を傷口に深く差し込みながら心を決めた。


「誰の指図も受けないのよ!」

「なっ!なんとっ!」

「コ、コンスタン様ぁ!」


 そう声を荒げたルコアが勢いよく腕を振るい、手の内に溜めていた自らの血液をコンスタンの目に向け飛ばすと、飛び退くように立ち上がり、家の奥へと走る。

 片目がゴーグルのようになっているコンスタンだが生の右目はルコアの血によって視界が染まり、ハンカチで左目のレンズに付着した血液も拭き取るが、依然として薄赤く濁ったままだ。


「くっ……おのれェネズミの分際でェ……」

「コンスタン様、ご無事で……?」

「ワタクシの大切な司祭服に染みがついてしまったではないですかァ!!!!」


 奥の部屋の窓を跨ごうとするルコアの背中にビリビリと伝わるほどの大声。

 音割れしたスピーカーのような声に圧倒されるが、何とか窓から家の外に脱出し、息を潜める。

 しかし既に家の周囲はアロイ達に囲まれており、見つからないように身を隠す事しか彼女には出来なかった。


「隠れても無駄だ!この街に逃げ場はないぞ!」

「家の中には居ません!一体どこに……」

「いつの間に……他の家も調べるのです!」


 バタバタと足音と機械音を鳴らしながら、アロイ達が離れていく気配を感じ、ルコアが静かに壁から顔を出そうとする。


「もしかして嗅覚も無いのかしら?これなら……」

「残念ながら目はロイド族の何百倍もいいのですよ」

「なっ……がっ!?」


 背後から声が聞こえたと思ったその直後、後頭部に振り落とされた凄まじい衝撃。

 脳を強く揺さぶられたルコアの体が地面を打つ。


「窓のフチに付いていましたよ、べったりと。不浄の肉体から流れ出た赤い澱みが。アナタの頭からも流れ出る、穢れた血がねェ」

「しまっ……迂闊、だった……」


 傷口が開き血が流れ出る拳を悔しさに握り締めたルコアの頭に、また数度、硬い杖が殴り下ろされる。

 額から流れ出た血液が今度は自分の視界を染め、赤くなった灰色の街を睨みながら、ルコアの意識は途絶えた。


「ふぅ、やれやれ困ったモノですねェ。また司祭服が汚れてしまいましたよ」

「ではもう息の根を止めてしまわれた方が……」

「いえ、まだここでは殺しませんよ。このネズミには飼い主が居たのですから、彼らにも最期を看取らせてあげなければ可哀想ではないですか」


 コンスタンの指示で体を縛られたルコアが担がれる。

 意識を失った彼女の額からは依然として血が流れ、アロイ達の灰色の肌を赤く色付けた。


「そうしてこの哀れな迷えるネズミを街の一部として迎え入れて差し上げましょう……アマルガム様の手によって!」


 塞がれた天を仰ぐコンスタンは、しわがれた声を高らかに灰色の街へと響かせた。

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