13 冷たい大地


「ぐっ……」


 体を強く打ち付けたような感覚と、肺に入り込んだ水分を吐き出すように溢れる咳き込み。

 衣装のあちこちが綻び傷ついた状態のルコアは、冷たく硬い地面の上で目を覚ました。


「ここ……どこ?」


 周囲一帯を覆う薄暗い鼠色の空間。

 ぼやけていた視界がハッキリとしていくうちに、ここが鉛色で塗り固められた建造物の内部だと理解する。

 しかし生物の気配も、人が住んでいた形跡もないこの場所は、まるでジオラマのように不自然に感じられた。


「床も壁も装飾も、シャンデリアまで鉛で作られてるの?なんていうか……如何にも別世界って感じね」


 よたよたと立ち上がると、踵が鋼で出来た床を打つ音が屋内に反響した。

 薄暗い部屋の中、全てが同じ色の壁に目を凝らして出口を探す。

 手探りに見つけた扉のノブを握り、金属と金属が擦れる音を響かせながら、ルコアはゆっくりと重々しいドアを開けた。


「……なるほど、あの悪魔気取りが言ってた事もこれで嘘じゃないって確定したわね」


 彼女の瞳に飛び込む、外の風景。

 空は重々しい蓋に覆われ、物足りない機械照明のみが周囲を照らす。

 にも関わらず塞がれた空からはぱらぱらと雪が舞い散り、仄かに降り積もる。

 臭いすらもしない味気ない空気に満たされたこの街も、自身の故郷と同じような廃墟の集合体なのだと気付くが、しかしその外観は全く異なっていた。

 建築物の様式自体は自身にも馴染のあるものだったが、その全てが洩れなく先ほどまで居た部屋と同じように、鋼色をしていたのだ。

 まるで街を構築していた多種多様の材料が全て鋼鉄に入れ替わったような統一感は、むしろ異様な気味悪さを感じさせる。


「色が奪われてるようにも見えるわね。建物も地面も冷え切ってて、生物の温もりも感じさせない」


 高台の場所にある建物の壁に触れながら、街を見渡すルコア。

 全く生物を感じさせない事自体は、彼女の故郷もそうであったように「そういうものだ」と認識してしまえば違和感も収まる。

 全てが鋼鉄で形作られているのも、「この世界ではこういった様式が一般的なんだ」と思えば、そういうモノだと感じられる。

 しかし彼女が感じる拭い去れない違和感は、別の所にあった。


「……なのにこの街、生きてる」


 廃墟のようなこの街に感じる違和感の正体は「音」だった。

 鉄の街のあちこちから物音が聞こえてくるのだ。

 生物が生活していく上で必ず発生する臭いや生暖かさは無いのに、音だけはそこにある。

 不可思議なその状況に頭を悩ませていたルコアは、背後から近寄るその気配に気付けなかった。


「お前、何者だ」

「なっ……」


 突然耳に入り込む言葉。

 一切気配を感じなかった人間が、自分の背後に回り込んでいたのだ。

 そして首筋に感じる冷たさ。

 それが鈍色に輝くナイフだと理解し両手を上げるのにルコアは時間を要さなかった。


「ここに外から近寄る連中なんていない。そんなこと考える者の目的など、大抵ひとつだ」

「ち、違う、私は迷ってるの。迷い込んだのよ」

「迷い込んだ?どうやって?この高台から街を眺めてて気付かなかったのか?」


 冷たい男の声に聞かされて、目線を街の遠方へと向ける。

 天井に気を取られ先ほどは気にもかけていなかったが、街を囲うように点々と塔のようなモノがある事にルコアは気付いた。

 それは監視塔のようであり、その塔を起点にして人がよじ登るには苦労する高さの壁がこの街を囲んでいたのだ。


「お前は迷子になった時にわざわざ他人の家の塀を登ったりするのか?この街に入ってくる連中が今まで居なかった訳じゃないが、ソイツらは皆同じ目的を持っていた。お前もそうだろう?」

「そうじゃない、本当に知らないのよ。気付いたらこの家の中に居たの。それに目的なんて私には……」

「俺の家に、だと?お前まさか――」

「父さんやめて、その人は本当に何も知らないわ」


 男の声の更に背後から聞こえてくる、少女の声。

 先ほどは微塵も感じなかった人がまたもや増えたのだ。

 しかし依然とその場には人を人たらしめる気配は「声」しか感じられない。


「シル!無事だったのか。何もされなかったか?」

「そう、私は何もされてないの。その人は、突然家の中に現れたの。凄い物音だったから隠れて見てたけど、でも何をする訳でもなくこの家を出て、外の景色を見て目を丸くしてたわ。たぶんその人……」

「この街の事を本当に知らない、という事か」

「……信じてくれるかしら」


 上げていた手をゆっくりと下げ、振り返ったルコアはその目に映ったモノを見て再び仰天した。


「あっ……あなた達は……何?」

「……これでハッキリしたな」


 姿形は見慣れた人間に近く、男の背後に立つ少女はルコアともそう相違ない。

 しかし彼らとルコアが決定的に違う部分も、一目で理解出来る。

 肌も、髪も、柔らかなはずの瞳も、全てが鈍色の鋼鉄で形作られているのだ。

 それはまるで鉄で作られた人形のようにさえ見え、臭いも暖かさも一切なく、むしろ雪に触れ更に冷たくなっているその体には完全な無機質さを感じられる。

 手前の男は口元に蓄えた髭すらも鉄で出来ていたのだ。

 ルコアはこの寒さで息が白くなっているが彼らがそうで無い事を見るに、呼吸さえもしていないのだ。


「ごめんなさい、驚かせて」

「あぁ、この街に入り込む不届き者が多い為にやたらに警戒してしまった。申し訳ない」


 差し伸べられる男の手。

 その時、街から聞こえて来た音の正体も分かった。

 彼らの体は体内の機械によって動かされているのだ。

 差し出された手を、指を動かすたびに、その駆動音が微かに聞こえてくる。

 恐る恐る握り返したその手はやはり冷え切っており、肌が張り付きそうになったが、しかしその手や身振り手振りも、機械で動かされているにしてはやけにスムーズで、動きだけなら人間と見分けが付かなかった。


「あなた達は……ロボットなの?アンドロイドって言った方が正しいのかしら……ほら、SF映画とかである、人間に反抗したアンドロイドが独立して、独自の街を築いた、みたいな……」

「なるほど、そういう風に思われるのか……いいや、我々はそのどちらでもない。そのどちらもが、『人の手で作られた物』だと言う事を指すのであれば、な」

「ある意味ではそれも正しいとは思うけれどね、私は」

「話が見えないわ……あー寒っ……」


 寒さに肩を震わせているルコアを見て親子は暫く考えた後に、「そうだった」と何かを思い出したように家の扉を開けた。


「すまない、説明すると長くなるし、暖房といった類は無いが外よりはマシだろう。他の者に見つかるのも厄介だ、続きは中で話そうか」

「待って、その前に……ここが何処だか教えて」

「この街は『アマルガ』――」

「父さん、たぶんこの人はそこからじゃ無いと思う。ここっていうのは、この街じゃなくて、この世界の事、だよね」

「そう、ね……そこからだと助かるわ……」


 針金のような長髪で片目を隠した淡麗なドールにも見紛う少女がルコアに歩み寄り、その瞳を覗き込むように目を合わせる。

 鉄球のような眼球にはよく見るとカメラのレンズに似た構造が見て取れた。

 無機質で無表情な少女だが、しかし彼女の態度からは嫌な雰囲気は一切なく、右も左も分からず迷うルコアを受け入れようという優しさを感じられた。


「ここは、色んな考えや特徴を持った人たちが集まる世界。無数に入り乱れた文明や人種が、不安定ながらも支え合い、バランスを取っている大都市」

「全てが集まる場所、って言うこと?」


 ルコアの言葉に、少女は僅かにほほ笑み頷いた。


「ようこそ、調和の大都市……メトロへ」

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