05 バベロン
「あなたは……」
「私はカノン。この近くで店をやっている者だ」
拳銃をホルスターに仕舞ながら、カノンと名乗った女性は顎で通りの向こうを示した。
呆然とするオスカーの顔を覗き込むようにカノンがしゃがむと、彼の純粋なようで無機質にすら感じる灰色の瞳を覗き込んだ。
「あ、あの……カノン、さん?」
「なるほどな。そのままだと寒いだろう、うちの店に寄っていくか?少なくとも、ここで昼寝をするよりは安全だ」
『オスカー、この人のこと、信じていいのか?』
今しがた目の前で、自分自身を助ける為とは言え、人を撃ち殺した人間にいきなり親切にされ、オスカーもアビスも、何処か不安を感じていた。
「その、カノンさん……助けてくださってとてもありがたいですし、ご厚意は大変嬉しいのですが……えっと……」
「確かに、知らない地で知らない人間に声をかけられるのは不安なのは分かっている。ただ君のようなドリフ――他世界からの漂流者の扱いには慣れていてな。君もこの世界の事はよく分からないだろうし、如何にここが新参者にとって危険な場所かも知らないだろう?」
カノンの言葉に、オスカーは頷く事しか出来なかった。
世界を観て周って来た彼にとって、地元民による案内ほど的確で分かりやすいモノは無いからだ。
かといって、ホイホイ厚意に乗せられるのも危険とは言えるが……。
「少なくとも、この街での生き方は教えられるつもりだ。いつまでも住民として認可されないドリフのままではいろいろと不便も出てくるだろう。そういった手続きの類も慣れているからな。それでも、君が一人でどうにか頑張りたいというなら構わないが……」
「……ありがとうございます。でしたら、ぜひお言葉に甘えさせて頂きたいです」
『オスカー、着いていくのか』
「このままここでほったらかしにされても僕にはもうどうしようも出来ないから……こうなったら背に腹は代えられないよ」
「そうか、分かった。そうしたら私に着いてきてくれ。それと――」
立ち上がったオスカーの後方へカノンが指を指す。
「それはどうするんだ?」
「――!ワンタン!」
指さす先で転がっていたのは、暗黒の泥に塗れバラバラに崩壊していた、灰白の車体を持つかつての相棒の姿だった。
――――
裏通りを抜け、遮られていた視界が開けると、この街の姿がやがて露になった。
「――すごい、こんな街……初めてだ」
「……だろう。ここは少し、複雑な場所さ」
所狭しとひしめき合う多種多様な作りの建造物と、その合間を縫うようにして広がる、歪な血管を思わせる道路。
薄汚れた街並みは空気が淀んでおり、湿気と煙で満ちている。
一見すれば、治安の悪い地域……所謂スラムではよく見た光景であったが、しかし決定的に違う事も幾つか見受けられる。
何よりも真っ先に目に付いたのが、本来空がある場所にそんな物は無く、「青空など贅沢だ」と言わんばかりに端から端まで覆う黒い蓋だ。
それらは良く目を凝らしてみると、ひとつひとつが立方体の集合体のようであり、そしてそれらが宙に浮くビル群であると理解するのに小一時間が掛った。
「この辺りは街自体がいくつか物理的な階層に分かれている。宙に浮く『上層』の連中は、この街をピザのように切り分けて支配する企業の連中たちが住み着いている場所だ。ここはそんなピザの上に住まう取るに足らない『具』のような街だ」
「街全体を企業の連中が管理しているんですか?政府のようなモノとか……もっと公的な機関とかは?」
「あるさ。その大部分を企業のお偉いさん達が切り盛りする中枢管理組織がね。ただ、ここからは少し離れた場所にあるから、今は余り関係のない話だ」
空を覆うビル群のせいで日光は差し込まず、昼か夜かも分からない街並みは、家々や街頭の明かりのみで照らされている。
道路を走る車もあれば、閉ざされた空と建物の間を器用に飛ぶ車の姿もちらほらと見受けられた。
街に住まう人々の顔は多種多様で、地球上でさえ面倒に分類されていた人種の範疇を超えるバリエーションが伺える。
中には明らかに人型をしていない者までもが、住人として当たり前のようにここでは生活しているのだ。
「無数に存在する世界から、多種多様な種族がこの街には流れ込む、言わば人種の坩堝。特にこの最下層の街のひとつ『バベロン』は差異が激しい印象だ。ただメトロ全域では中枢管理組織が発布している『言語統一混術結界サービス』――簡単に説明すれば電波のような物によって話したり書いたりする言語は自動的に無意識レベルで統一されるから、その辺の得体の知れないヤツに話しかけても話は通じるぞ」
「ここはバベロンという場所なんですね。メトロ全土ってどれくらいの広さなんですか?」
「さあ?バベロンは比率で言えばメトロのほんの僅かな一部に過ぎないな。それ以上に、メトロという世界は渦に巻き込んだ他世界の破片を取り込んで常にその面積を拡張させている……言わば無限に広さが変わり続けるから、どれくらいの広さかと言われても一概には言い切れない」
「そんな事が……」
崩壊したバイクのパーツを背負い、残された車輪と骨組みのみの車体を手で押しながら、オスカーはこの街が如何に広大かを考えた。
このバイクのように、いずれそれぞれの世界にも終わりが訪れ、そうして崩れ落ちた残骸が、先ほどの自分達のようにここへ累積されていくのだろう。
「混界の奥底の渦の中にあるこの世界は、異世界同士の交流を持つようになった技術発展の著しい他世界にとって格好の目印になった訳だ。色々な世界から貿易目的で人々が訪れ、そうしていくうちに、世界全土を覆い尽くすくらい街並みが発展し、いつの間にか人々に『メトロ』と呼ばれるようになったんだ」
「争いとかは起きなかったんですか?」
「起きている、今も尚、な。常に領土が広がり続けるこの世界は、どの世界が、どの企業がその新しいエリアを占有するのに相応しいか争ってばかりだし、さっきのように人々の思想や生活の仕方、種族や個人間での差異がまた小さくも多い争いを巻き起こす。無法地帯だよ、上も下も」
「管理組織があるのに、ですか」
「管理組織が造り出した秩序なんて有って無いような物さ。それらが事細かに適応されるのは上層の連中で、その下の掃き溜めの中にまでわざわざ目も向けられんさ。世界が広すぎ故に、な」
向かい側の道路が何やら騒がしいと目を向けて見れば、ひとりの人間が、別の連中に襲われ、荷物を引っ手繰られ、ゴミのように蹲っていた。
意気揚々とその場を走り去ろうとする連中もまた、別方向から訪れた武装した人物によって撃ち殺され、折角の拾得物を持ち去られていく。
そんな地獄の一部始終のような状況が、この街では先ほどから何度か散見されたのだ。
「だからバベロンのような下層街では自分の身は自分で何とかするのが掟だ。その為に、私のような武器を売る者もいる。君の元居た世界がどんな場所だったかは知らないがね」
そうこう言っているうちに、二人は目的の場所の前で足を止める。
『バルクバレッタ』、それがこの、オスカーからしても古風でビンテージな店の名前だ。
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