06 カノン


「さてと……では、どこから話そうか」


 店内に入り、イスに腰を掛けたカノンが机に肘を付きながらオスカーにも席に着くように促した。

 異様な光景が広がっていたバベロンの街とは一転して、店の外観と同じように店内はオスカーにも馴染み深い落ち着いた趣をしていた。

 ラックやショーケースには商品である銃器が整然と手入れが行き届いた様子で並べられており、外の喧騒さえも気にならないほど静けさに満ちている。


「あぁそうだ、まだ君の名前を聞いてなかったな」

「すいません、そうでしたね。僕はオスカーと言います。それと……」

『オスカー、ワタシは……』

「どうしたんだ?まだ紹介したい事でもあるのか?」


 カノンにそう問われたオスカーは少し頭を悩ませてから、ゆっくりと頷くと、彼の背後から影がひとりでに動くようにして、アビスが現れた。

 異質な姿をしたアビスを一目見て、カノンは驚いたように目を丸くしてから、すぐに元の表情に戻った。


「……なるほど、女神様に憑かれていたのか。どうりで混界を生身で超えられる訳だ」

「女神様?カノンさんはアビスの事を知ってるんですか?」

「アビスというのか……彼女自身の事は知らないけど、彼女がどういったモノなのかは……この街で生きる人の大半は知っているよ」


 彼女の言葉に、アビスとオスカーは身を乗り出すようにその話に耳を傾けた。


「彼女はイデアという種族。混界のケイオスから世界が創り出される際に核として生成されるイドラというケイオスの純粋な結晶から産まれる生命体。イドラに人が接触すると、高純度なエネルギー物質でもあるケイオスと脳波が同調して触れた人間の性質を写し、イデアとして実体化すると言われている。まぁ何となくは理解している事だと思うがな」

「やはりオスカーの記憶に間違いはなかった。ワタシはイドラから産まれたイデア……」

「この世界……メトロではありふれた存在なんですか?」

「いいや、むしろ希少な存在だ。純粋なエネルギーの結晶でもあるイドラは各企業が血眼になって集めようと必死になっているし、イデアと契約出来れば圧倒的な力を手に入れる事になるからな。だが世界がひとつ産まれる際に生成されるイドラの数はごく僅かだ。それを取り合ってるともなれば、話は分かるだろう?」

「圧倒的な……力……」


 オスカーは静かに、自分の横に立つアビスに目を向けた。

 ここまで何とか助けて貰っただけでなく、自身の体の一部となった存在。

 しかしそんな彼女の事を、オスカーはまだちゃんと知らないのだ。


「イデアには契約の際に何かしらの概念を象徴とした力を宿す。それは宿主の性質によって決まるが、どんな突飛な概念を宿したとしても、常識離れしたモノとなる。もちろん、武器として扱う事も出来れば、生きていく上で便利に働くモノもある。まぁ、そもそも前例が少ない為にどういった傾向があるとか、分からない事も多いがな」

「……アビー、君にはどんな力があるんだ?」

「分からない。まだ使ってみようと思ったことがないから」

「仕方ないだろう、追々分かる事だ。それよりもだ、今大事なのはオスカー、君自身の今後とこの街の事だろう?」

「そ、そうでしたね……」


 カノンに諭されオスカーはしぶしぶ頷いた。


 喉が渇いただろう、とカノンが淹れてくれた紅茶を一口啜ったオスカーは一息吐いてから、再び目前に座すカノンへと視線を向けた。


「やっぱり……元の世界に戻るのは不可能なんですか?」

「不可能ではない……が、オスカーが元居た世界が他の世界との繋がりを持つ程の技術力が無いのならば難しいだろう。実はそうじゃなく、極秘裏に混界との接続実験が成功していて他世界との交流が裏で行われて居たとした場合、戻る事も出来るだろうが……その場合は元の世界に戻った後が大変だ。秘密は秘密にしておきたい連中に記憶を消されたり或いは……。そういった事例もかつてあったからな」

「そうなんですか……」

「類似した世界など幾らでもあるからな。仮に似た場所に戻れたとしても、その微妙なズレに苦しむ可能性だってある。それでも戻らなくちゃならない理由があるのならば、私も協力はするが……」

「いえ、それはいいんです。それなら、このメトロで生きていくと決めるだけですから」

「……そこは旅人と言ったところか」


 納得したように頷いたカノンが一口紅茶を口に含むと、席を立ち、棚から何枚かの書類を持ち出して来た。

 机に並べられたそれらの書類をオスカーとアビスが覗き込む。

 本来であれば全く解読不能なはずの文字も、何故だかオスカーはすらすらと読む事が出来た。

 これが言語統一サービスか……とオスカーは改めて実感すると、書類を手に取った。


「この街で住民として登録する為に必要な書類だ。これを最寄りの管理組織……ここだとバベロン・タワーという場所に持っていけばいい」

「この一番下の書類は?」

「あぁ、それはな……」


 他の書類とは様式が異なる一枚の書類。

 オスカーからそれを受け取ったカノンが、彼にも見えるように手に取り、指を指しながら説明を始めた。


「いくら正式な住民として登録されたとしても、何処から流れ着いたかも分からないドリフを受け入れてくれる仕事は少ない。しかしそんな中でも、ただひとつ、確実で、確かに稼げる仕事がある。それが――『ランナー』だ」

「ラ、ランナー?」

「君の世界に居たかは分からないが、分かりやすく言えば賞金稼ぎだ。混沌としたこの街じゃあ多種多様な厄介事が無限に溢れてくる。そういった厄介事を解決する為の依頼を熟し、報酬を受け取る。それがランナーという仕事だ。管理組織に申請して適正が認められればその日からランナーとして活躍する事も出来る」

「依頼を本人が受注するから素性も問われない、という事ですか……」

「もちろん、依頼の中にはドリフに適さないモノや、そもそも危険な事に巻き込まれる可能性のモノもある。千差万別だ。だから――」


 そういったカノンが、ずいと顔をオスカーへと近付けた。

 彼女の機械仕掛けの義眼がキラリと輝く。


「私が君の専属の依頼仲介人になろう。ここでの生活に慣れるまでの間ではあるが、悪くない話だろう」

「でっ、でもそれじゃカノンさん……」

「もちろん、幾らか分け前は貰う。まぁ報酬の一割あれば十分だ。あくまで副業だからな」

「そうじゃなくて……なんでそこまで親切にしてくださるんですか?」


 彼の不信感から来る言葉に、カノンは静かに鼻で笑うとひとつの木箱を取り出し、机に置いた。


「それは……?」

「まだ中身は見せられないが、そうだな……私はこれを渡すべき人間を探しているんだ。そしてオスカー……私は君がそうなんじゃないかと思っている」

「……え?」

「すまない、よく分からない話だとは思う……この木箱を渡してくれたのは私の大切な友人でな。『渡すべき人物』が現れたらそうするようにと頼まれているんだ」

「渡すべき人物……」


 先ほどから語られる言葉に、オスカーは幾つもの引っ掛かりを感じた。

 木箱の中身は何なのか。

 元の持ち主は誰なのか。

 そもそも何故自分がその渡されるべき人物だと思われているのか。

 親切にしてもらっている理由の答えが、全く分からないモノで、彼は理解が追い付かなかった。


「まぁ、改めて言いなおせば……オスカー、私は君に親切したくてこういった事をしている訳ではない。私は君を試したいと思っている。この木箱の中身を渡すべき人物で本当に正しいのか……その為に、君のこの世界での生き様を、近くで見届けたいと思っている」

「……分かりました。どういう事だかはまだ良く分かりませんが、ここ以外に行くあてもありませんし。協力してくださるなら……契約します」

「……フフ、やはりオスカー、君は……」


 暫く笑んだまま頷いたカノンが木箱を仕舞うと、イスから立ち上がり、ペンを投げて寄越した。


「よし、それじゃあ今から私達は共生関係だ。もちろんアビス、君もだ。書類に記入が出来たらバベロン・タワーにある中枢管理組織……『ユグド』の支所に向かうとしよう」

「ユグド……」

「あと、そうだ。オスカー、いつまでも敬語のままだと疲れるだろう。君の話しやすいように話すといい。仕事中、直感的な会話が必要になる場面もあるだろう」

「……分かった、カノンさん」


 そう言われたオスカーは、すこし戸惑いつつも自らの口調を正した。

 そんな二人を、アビスは交互に見つめている。


「そうだ、腹も空いているだろう?バベロン・タワーに行きがてら、幾つか行っておきたい場所もあるんだ」

「僕達と?」

「食事、ワタシには必要ない」

「そうなのか?私の知っているイデアは……まぁそれは良い。食事は適当に済ませるとして、大事なのはもう一つの場所……」


 不思議そうな目をするオスカーに、カノンは店の外を指さした。

 その先にあったのは、破損して廃車同然の状態になっていた彼の愛車……ワンタンだった。


「君の相棒を、私の友人に診てもらおうと思うんだが、どうかな?」

「……っ!」


 彼女のその言葉に、オスカーは強く頷いた。

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