頽廃のバベロン

04 喧騒の目覚め


『――スカー――オスカー、起きた方がいい』

「……ぐっ」


 暗闇の何処からか呼ぶ、少女の声。

 ぐわんぐわんと痛む頭を抱えながら目を覚ましたオスカーは、今自分が冷たく湿った地面に倒れ伏している事に気付いた。


 どうなったんだ、ここは何処なんだ……確か……。


 強く打ったのか混乱している頭を何とか動かして、記憶を巡らせる。


 そうだ、アビーの背に乗って、渦の中心を目指したはいいけど、波があまりに激しくて、振り落とされて……。


 暗黒の渦の内部は凄まじい海流が渦巻いていた。

 そこに飛び込んでいったアビスとオスカーは、凄まじい力の流れに飲み込まれ、揉みくちゃにされた挙句、頭部を岩石のような物にぶつけ、気を失ってしまっていたのだ。

 しかし、腹ばいになった自分の体には、確かに硬い、久方ぶりにも感じるアスファルトの湿った冷たさを感じている。


「ここは……陸に着いたのか……」


 自身の現状を確認しようと体を起こしかけたオスカーだったが、その時、いつかに感じた嫌な感覚が、ぐらぐらと痛む頭に突きつけられた。


「おっと、動くんじゃねぇぜ」

「……っ」

『まずいかもしれない、オスカー』


 アスファルト以上に硬く冷たい、鋭い感触。

 意地悪い女の声を聴いたオスカーは、ゆっくりと目線を向けつつ、反射的に手を挙げた。


「ほぉう、コイツぁ逃げねぇな」

「ガルル!おりこうなウサギさんだことだ!」


 世界各地を歩き回っていたオスカーにとって、このような状況は以前にも覚えがあった。

 自らの頭に突きつけられているのは、拳銃。

 周囲を囲むのは男たちが二人と女が一人。

 恐らく要求されるのは金銭か、あるいは……。

 数度ほど遭遇した事があるこの状況だったが、しかしひとつだけ、今までとは全く異なる部分があった。


「……っ!?」

「あぁ?なんだ?オレ様の顔に何か付いてんのか?」

「確かに汚ねぇケダモノヅラのテメェの顔面になんかしら付いてる可能性は否定できねぇが……ただ、コイツぁ違うなぁ」


 周囲を囲むゴロツキの姿は、どれもオスカーにとっては今まで見た事も無い姿をしていた。

 先ほどこちらに向けて声を荒げた男の顔や腕には体毛がびっしりと伸びており、その口や耳は獣のように長く、鋭く、灰色の体毛にはこげ茶色のブチ模様が点々と描かれている。

 額に拳銃を向けていると思っていた女は、なんと拳銃を手に持っている訳では無く、その腕がライフルのような形状をしており、まるで一昔前の映画のサイボーグのような外見の鉄仮面で顔を覆い、襟を思わせる丸鋸が突き刺さっている。

 もう一人は未だ声を発してすらいないが、ずんぐりとした図体に深緑の肌を、ボロボロのコートだったと思われる黒い布に身を包みハンマーを手にするその姿は、さながら未来にタイムスリップしてしまったオークだ。

 三者三様どころの騒ぎではない外見をした三人のゴロツキに、オスカーは目を疑う。


「るせぇぞノコギリ女!コイツがナニモンだろうとさっさとドタマぶち抜いてやりゃあいいだろうが!」

「まぁ待てよ。少しゃあ落ち着いて物事考えたらどぉなんだ?なぁ?」

「……確かに、コイツは殺さない方がいいゾ」

「んだよお前もかよ!」


 懐から取り出した拳銃の引き金を引こうとした獣人を宥めるように、今まで黙っていた巨人が口を開いた。

 もはや架空の世界に迷い込んだような状況に、オスカーは更に頭を悩ませた。


「この辺りじゃあ割かしありふれたアタシ達の顔に対してキモチ悪ぃ害虫を見たような反応……何より、全身にこべり付いたクソみてぇに黒い泥……間違いねぇ、コイツは『ドリフ』だな。しかも今しがたここに潜り込んできたばかりの、な」

「あぁ?ドリフなんざ珍しくもねぇだろうが」

「確かにそうだゾ。でも重要なのはコイツが『今まさに』ここに迷い込んだってコトなんだゾ」

『オスカー、隙を見つけて逃げれない?渦に巻き込まれて、消耗してしまって、オスカーから出る事が出来ない』


 脳裏に響くアビスの声にそうは言われるが、しかし彼の経験上、ここで走り出せばどんなに危ない事になるかよく分かっていた。

 それ以上に、何やら興味深い言い争いを始めたゴロツキ達の会話をこのままある程度確認してしまいたい気持ちもあるのだ。


「ドリフは漂着してから暫くここでの正式な住人としては認められていない、野良犬みたいなモノなんだゾ。野良犬なら、何処かに連れていかれようが、その辺で野垂れ死んでいようが、誰も何も口出しする必要なんて無いんだゾ」

「つ、つまり……?」

「っだぁ同じノラ犬の頭にゃ難しかったか?足りねぇ頭でよぉく考えろ!コイツを誰かに飼殺されようが殺されようが正式な住人として登録されるまではお咎めナシなんだよ。こんな最下層じゃあ確かにそんな事いくらでも出来るがよ、でも上に住んでる小奇麗なヤツらはそうはいかねぇ。表立って『好き勝手出来る人間』の所有なんざ認められていねぇが、でも『メトロ』での正式な住人じゃねェなら話は別だ」

「……!」

『オスカー、やはりここが……』


 ノコギリ女の言葉に、自らが目的の場所に辿り着いた事にようやく気付いたオスカーとアビスだったが、しかしこの状況を何とか打開しない事には、あの黒い海を漂っていた方がマシな結果になってしまう。


「あぁそういう事か!つまりコイツのドタマをぶっ飛ばしてもオレ達は誰にも文句言われねェ!」

「だから違ェよ!売れるんだよ!マニアに!上層の連中の一部の金持ちマニアにとって生きた状態で好き勝手出来る人間ってぇのは喉からケツが出るほど欲しいモンなんだよ!」

「確かにドリフ以外にも一般人の奴隷を専門に取り扱うヤツもこの辺にはいるゾ。でも外界からの漂着物であるドリフ、しかも所有してもお咎めがない迷い込んだばかりのヤツは、上層の厳しいルールですら例外の存在で金持ちなら欲しがるヤツが結構居るゾ」

「ど……どれくらいで売れるんだ?それ」

「さぁなぁ。出身や種族にもよるだろうさ。でもよぉ……」


 ぐいっと顔を近づけるノコギリ女。

 鉄仮面の向こうから見えるぎょろりとした血走った目が、オスカーの灰色の瞳を捉えた。

 顎を掴まれたオスカーは唾を飲み込み、一時のチャンスを伺うが、三方を囲まれてしまっては、この狭い路地から逃げ出す手段がない。

 このままでは、オスカーですら知ってはいるが経験した事も無い悍ましい事に巻き込まれてしまう。


「取り敢えず、他の誰かに連れてかれちまう前によぉ、飼っておくってのは悪くないだろぉ?」

「くっ……」

「あぁ~、よく話は分からなかったが……売れるってんなら悪くねぇな。倉庫にでも入れておけばいいか?」


 汚らしい笑い声をあげるゴロツキ達。

 絶望的な状況に、一旦は体を預けるしか無いかと半ば諦めかけていたオスカーの耳が、ひとつの音を掴んだ。


『……足音、誰かがこちらに走ってくる』


 自らの笑い声にかき消されているのか、ゴロツキ達は気付いていないが、濡れたアスファルトを蹴る小さな足音が、路地の向こうから聞こえてくる。

 その直後。


「ガルルルルル!ガルッ――がぽあっ」

「なっ――おい!?」

「っ!?」


 狭い路地裏に突如として響き渡る銃声。

 一瞬何が起きたのか分かっていないノコギリ女とオークだったが、目の前で獣人の頭部が割れ、握り潰したトマトのように弾けたのを見て、咄嗟に目線を銃声の方へと向ける。


「――ふぅ」

「だ、誰だぁキサマ!女かぁ!?」


 路地の向こうに拳銃を構えて立っていたのは、紫色の髪をひとつに結んだひとりの女性だった。

 黒いライダースーツを身に纏った女性は、赤紫に輝く機械的な片目で狙いをつけると、再び引き金に指をかける。


「あっ、アイツは見覚えがあるゾ!この辺りのガンショップの店員だゾ!」

「っち!言われちゃあ確かにそうだが……!」


 再び噴き出す一発の弾丸が正確に、ノコギリ女の顔を撃ち抜こうと空気を切って突き進むが、見切りを付けて振るわれたもう片腕のブレードに弾き飛ばされてしまう。


「こっちは客だぞぉ!?」

『オスカー、これは……助けなのか?』

「……このまま、大人しくしてよう」


 咄嗟に弾丸を弾き飛ばしたノコギリ女だったが、その一瞬で紫髪の女性を見失う。

 気付くと彼女はノコギリ女の死角から体制を低くし、拳銃を構えつつ突撃していた。


「ぐっ……!なんだコイツぁ!?」

「――ふっ!」


 対応しきれず身を守れなかったノコギリ女の首を、鋭く振り落とされた女の足が突き刺さる。

 鈍い音が響き、鋼鉄に包まれ重たそうに見えた女の体がアスファルトを転がった。


「し、死ねだゾ!獲物は横取りさせないゾ!」


 声を荒げたオークが、両手で持ち上げたハンマーを振り下ろそうとしたその瞬間を狙い、女性は目線をオークの方へと切り返し、素早く拳銃を構えなおすと、その大きな的に向けて、数度引き金を引いた。


「ぐ、ぐぉお!」


 体のあちこちに空いた穴から鮮血が噴き出し、力を失ったオークの手からハンマーが滑り落ちると、コンクリートで塗り固められた頭が持ち主の頭に激突し、ミシッ、という嫌な音を鳴らした。

 鼻からも血を噴き出したオークは、そのままの体制で後ろ向きに倒れ、そうして、騒がしかった路地裏は一瞬にして沈黙した。


「――始末の悪い客の責任を取るのも、店の仕事なんでな」

「……っ」


 弾倉から空の薬莢を落とし透き通った金属音を鳴らしながら、オスカーの方に振り替える女性。

 その片目はやはり、機械で出来ている義眼のようだった。


「来訪早々地元民が騒がしくてすまない」

『この人、敵対する気はないみたい』

「……あ、あの……」


 言葉をかけようにも喉から声が出なかったオスカーに向けて、女性は少しほほ笑んで手を差し伸べた。


「ようこそ、混沌の大都市……メトロへ」

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