第2話 ウツビァクを飼いましょう

「風呂場じゃねえの?」

「浴槽は空で、洗い場のタイルや壁も含めて、乾いた状態だったとのことです。ルミノール検査も速やかに行われましたが、空振りでした」

「ならちょいとやりにくいだろうがキッチンか」

「そちらも否定されています。ルミノールの反応がなかったんです」

「むむ。では、大きくて広いビニールを床に敷いて、その上で……死後の切断なら、出血量は比較的少なくて済むだろう」

「それでも程度問題で、相当量の血が出ただろうとの見立てです。大きなたらいのような器で受け止めなければいけないくらいには。ビニールシートと血、それに器が使われたんだとしたらそれも含めて、どう処分したのやら」

「そりゃあ、川めがけて投げたんだろうよ」

「うまく行きますかね? 女性だから無理なんてことは言いませんが、ビニールシートをくしゃくしゃに丸めてガムテープか何かで留めたとしても、うまく投げられない気がします。たらいとなると問題外でしょう。ましてやこの強風。気象庁に問い合わせしないと断言はできませんが、風向きはちょうど逆みたいですよ」

「うーむ」

「せめて、重みのあるボール状の物体でなければ、川まで届かせるのは無理だと感じるのですが、武藤さんはどう思われます?」

 問われた武藤は今は閉ざされている窓を少し開け、風の向きと強さを肌で感じてみた。再び閉じてから、「頭部や血を重しにすれば何とかなるんじゃないかとも思ったが、こりゃ無理だな。やはり球の形で、重みがいる」と認めた。

「ではまさか、他に犯人がいると?」

「いいや。さっき聞いたとんちんかんな証言がある限り、葉山ひろみを犯人と見なさざるを得ない。管理人とのやり取りもそれなりにまともだしな。事件に巻き込まれておかしくなり、奇妙な証言をしたってことではあるまい。

 てことはだ、被害者の頭部や大量の血を処分する何らかの方法を用意していたに違いない。この部屋から何か見付かってないか。大学生が持つには多少不自然な物とか、使い道がなさそうな物とか」

「でしたら幼児用のプールが。ほら、空気を入れて膨らませるタイプの。あれを見たときは、血を受け止める器にしたんじゃないかと興奮しましたが、外れでした。ルミノールの反応、皆無だったので」

「そういうのではなくってだな。例えば、ドローンはどうだ? 宙を移動して、頭部やビニールシートを川に落としたのかもしれないぞ」

「それならさっき詳しい同僚に聞いたんですが、この暴風雨ではまともに操縦するのは非常に困難で、大きなスイカほどの重さがある人の頭部を運ぶとなると、機械もそれなりに大型である必要が出て来るし、実質不可能だろうと言われました」

「何だ、もう思い付いていたのか。早く言ってくれよ」

「すみません」

「それにしても人の頭ってのは、そんなに重量があるんだっけな。葉山ひろみが砲丸投げか何かの経験者でもない限り、頭を川まで放るのは厳しい気がしてきたぞ」

「そういうパーソナルデータは、確認できていませんね」

 武藤達がそんなやり取りをした直後、部屋の外が騒がしくなった。警官の止める声をかき消す大音量で「いいからいいから! 話は通じてるんだ」と言う声が近付いてくる。

「あの声、房橋ぼうのはしさんですね」

「誰かあいつに知らせたのか?」

「まさか。いくら奇妙な状況の殺しだからって、こんなにも早く助言を求めやしません」

「じゃあ、一体……無線を勝手に傍受してんのかな」

 ドアの開け放たれたままの玄関の方をにらむ武藤。そこへ、落ちぶれて腐った二枚目俳優のような顔の房橋カケルが姿を現した。

「聞いたよ、武藤ちゃん。こんなに面白げな事件を知らせてくれないなんて、ひどいなあ。推理小説っぽいトリックでも、つまらないダイイングメッセージ辺りは君達に任せてもかまわないんだけど、化け物が殺しただの密室状態だのとなると、捨ててはおけない」

「……」

 武藤はどやしつけるつもりでいたが、気持ちを切り替え、無駄なことはしないとあきらめた。こいつにさっさと解かせて帰らせ、事件は早期解決、一見落着となるのであれば、名探偵を利用するのも悪くはない

「よかろう。話してやるから静かに聞いてくれ。近所迷惑にならんようにな」


 概要を聞き終わった房橋は開口一番、「相変わらず、頭が固いな」と言い放った。以前、まだ付き合いが浅い頃なら、「何だと?」と色めき立つに違いない場面だが、もう慣れっこになった今、聞き流すだけの余裕が刑事側にはある。

「君達は『頭は硬い物だ』という固定観念に囚われているんだ」

「……何を言ってるんだ?」

 この台詞にはさすがに引っ掛かりを感じ、訝る目つきで探偵に問う。

「頭を柔らかくして、『頭は柔らかい物だ』と見なしてみるんだ。還元するなら、困難は分割せよっていうことさ」

「何を言ってるのか、まだ分からん」

 首を傾げる武藤の隣で、部下の若い刑事が手を小さく挙げた。

「あのー、つまり、被害者の頭部をそのまま放り投げるのは大変だけれども、分割すれば行けるじゃないか、という意味でしょうか」

「お、ご名答。さすが、ちょっとは若いだけのことはあるね」

 音を立てない、形だけの拍手をする房橋。そんな探偵を目の当たりにしながら、武藤はまたも首を傾げた。

「まだ飲み込めないんだが」

「武藤さん。房橋さんの説明は、我々の頭の固さと、被害者の頭部というか頭蓋骨の一般的な硬さについて一度に語ろうとしてたため、ややこしく聞こえたんですよ」

 部下の補足で、やっと分かってきた。

「つまり何だ。スイカを丸ごと一個投げるのが難しいのなら、切り分ければいいじゃないかっていう理屈か」

「そのようです」

「――房橋探偵。実際問題、人間の頭をスイカみたいに切り分けることはできんだろ。少なくとも、家庭にあるような包丁やのこぎりでは、簡単ではない」

「別にきれいに切る必要はないでしょう。投げられるだけのサイズにすればいいんだから、金槌か何かで骨を砕いた上で、細分化すれば事足りる」

 想像してみるとおぞましい絵面だが、殺人犯の世界に禁止コードなんて存在するはずもない。

「しかし、頭を分割しただけでは問題の解決にはならないぞ。頭部切断時に出たであろう血液と、ビニールシートなり受け皿なりも処分しなくてはならん」

「血液はいざとなったら、犯人自身が飲み干せば済む」

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