第72話 銀竜の最期

 アンリエッタは銀竜の体、鱗に手を当てた。


 銀竜に殺されるかもしれないって思っていたら、まさか私がそっち側をすることになるなんてね。殺すとしても、私じゃなくて、マーカスかルカの役目かと思っていたから、何だか変な感じがする。


「すみません、このようなことを頼んでしまいまして」


 ヴァリエが声をかけてきた。気を遣ってくれたのか、アンリエッタの方を見ることはせず、優しい口調で謝罪した。


「いいえ。この世界に招いてくれたことには、感謝しているんです。私は人を好きになることが怖かったから」

「わたくしは期待に答えられないがために、期待されるのが怖かったです」

「似ていますね、私たち」


 言葉を変えれば、愛情が怖いから答えたくない。だから、人を好きになりたくない。ヴァリエの言っていることと、そう差はなかった。


「だから、貴女が選ばれたのでしょうね。魂の波長が合ったのだと思いますよ」

「そうですね。あなたの気持ちが少し分かるのも、そのせいかもしれません」

「……そろそろ、お願いできますか」


 はい、と返事をした後、アンリエッタは一つ息を吐いた。


 命に関わることだからかな、何だか緊張する。力を自分の意思で、目一杯出すのは初めてだし、失敗もできないから。


「行きます」


 掛け声と同時に、神聖力を一気にヴァリエへと注いだ。最初から何も考えずに、全力で。



 ***



 異変はしばらくしてから起こった。ヴァリエの体ではなく、その下にある何かが神聖力に反応していた。


「魔法陣⁉」


 そうか、とアンリエッタは驚きつつも、納得した。ヴァリエに会ってから、彼女はこの場から一歩も動いていなかったからだ。その理由が、この魔法陣である。


 反射的に苦手意識が表に出てしまい、力の出し加減に乱れが生じた。斑が出来て、雑になったのだ。その影響か、ヴァリエの方も変化が出ていた。


 女性らしい温厚な雰囲気はなくなり、獰猛で荒々しい圧力のようなものを感じた。思わず視線を追うと、鋭い目つきと牙を剥き出しにした口が、こちらに向けられていた。


「あっ」


 怯んだ気持ちと一緒に、出す力が弱まり、体も一歩も後退りした。


「!」


 その瞬間を待っていたのか、魔法陣が光り出し、鎖状のものが銀竜の体に巻き付いて締め上げた。まるで、魔法陣から出さないとばかりに。


 よく見ると、さきほどのヴァリエが指した、頭上の魔法陣も光っている。ヴァリエが魔法陣から出る意思がなかったから反応していなかっただけで、今でも起動していたらしい。


 それが神聖力で無効化されたことで、竜の意識がヴァリエを押しのけて出てきたようだ。自由になれる機会を見逃すつもりはないらしい。しかし、神聖力が弱まったことで、魔法陣が再び役目を果たそうと動き出した。


 竜の必死さに、恐怖を覚えたアンリエッタは、もう一歩後ろに下がった。手だけは辛うじて、竜に向けていたが、神聖力を出せているかも怪しかった。


「アイスニードル!」


 掛け声と共に、竜の体に氷の塊が刺さった。それは一つではなく、複数。唖然としていると、次々に氷が飛んできて、竜の動きを鈍らせていた。


「アンリエッタ! 手を止めるんじゃないの!」


 ポーラの怒鳴り声に、体がビクッと反応した。振り向こうとした瞬間、竜が悲鳴を上げた。


「効果は薄いですが、援護しますので、安心してください」


 そうだ。振り向いている場合じゃない。


 ポーラだけじゃなく、ユルーゲルも魔法陣に魔力を注いで、援護してくれているのだ。アンリエッタはもう一度竜に近づき、神聖力を流し込んだ。


「うっ!」


 けれど、今度はアンリエッタの方に異変が生じた。指先が痛み出したのだ。じんじんした痛みから、次第に切られたかのように、痛みが走る。


 視線を指先に向けた途端、アンリエッタは驚いた。指の先端から甲にかけて、血管が浮き出たかのように、緑色をした何かが、侵入していたのだ。


 よく見ると、指の先にある竜の体から、そこの一帯だけ鱗が剝がれていた。


「どう、して……。何が、起こって、いるの?」


 もう怯まないという気持ちから、神聖力を止めることはしなかった。が、その間も鱗は剥がれ続け、アンリエッタの体も、どんどん痛みが広がっていった。


 手から腕。腕から上半身に。足まで痛み出した瞬間、立っていられなくなってしまった。


「アンリエッタ⁉」


 マーカスの声が聞こえたが、すでに横たわってしまい、見ることも答えることもできなかった。それなのに、神聖力が体から出続けているのが、痛みの合間から感じられた。


 グギャァァァァアアアア‼


 竜の叫びに、思わず私の方が叫びたいくらいだ、と言いたくなった。しかし、叫べるほどの余裕はなく、息をするのがやっとだった。


 痛い、痛い! このままじゃ、私の方が死んじゃうよ!


 ――大丈夫です。痛みはわたくしが引き受けます。


 一瞬、誰? と思ったが、安心させるような口調と声、痛みが消えたことによって、相手がヴァリエであることが分かった。しかし、次に疑問が生じると、声に出すことも、思うこともなく、答えが返ってきた。


 ――どうやら、わたくしの意識が、竜に追い出されてしまったようなのです。貴女は言わば、わたくしの体でもあるため、このようなことが起きたのでしょう。


 アンリエッタは息を整えながら、立ち上がった。しかし、頭の中は混乱状態だった。


 ――今は深く考えず、竜を消すことだけを考えてください。


 そんなことをしたら、あなたは? あなたの魂はどうなるの?


 ――貴女の中で静かにしているか、自然に消滅するか、になるでしょう。長く生きたわたくしと貴女とでは、魂の強弱が違うのですから。


 で、でも、この体の本来の持ち主は、あなたでしょう。


 ――いいえ。十八年間使ってくださった、貴女のものです。わたくしは干渉しませんので、ご安心ください。


 一番危惧していた部分を言われ、思わずギクッとなってしまった。


 ――さぁ、お二人のお陰で、竜も疲れてきています。


 そうだった、とアンリエッタは竜に近づいて、再度手を伸ばした。竜の体は、ほとんど鱗が剥がれた状態で、痛々しかった。が、アンリエッタの体も、緑色をしたものが、全身にまで至っていて、似たようなものだった。


 チラッとマーカスを見ると、こっちに来るのを耐えているかのように見えた。


 うん。ヴァリエの言う通り、早く済ませよう。あんな顔をさせたくないもの。


 三度目の正直とばかりに、アンリエッタは神聖力を流し込んだ。竜も雄叫びを上げる。最後の力を振り絞るように。


 ギュギャァァァァアアアア‼


 その雄叫びが聞こえなくなる頃、竜の体から煙が立ち込み始めた。


 次第に色を失っていく体。生気を感じない竜の目。


 洞窟内に時折入り込んでくる、強い風が吹いた。砂のように崩れ落ちる竜の体は、風に乗って川の上を通り、外へと出て行った。


 長いこと竜が待ち望んでいた、外へ。ヴァリエが望んだ通り、塵となって。

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