第71話 銀竜の正体

 銀竜はまず初めに、ヴァリエと名乗った。


「何故、聖女と同じ名前を使っているの?」


 後方に控えていたポーラが尋ねた。すると、ヴァリエは物寂しそうな表情をした。


「聖女……。あれから大分経つというのに、未だ聖女、ですか」

「えぇ。今、聖女と呼ばれている人はいないし、過去を遡っても、片手で足りるほどしか現れていない。だから調べれば、すぐに名前が出てくるのよ。アンリエッタ・ヴァリエ・カラリッドという名前が」

「そうでしたか。そこまで調べたのであれば、わたくしの正体など、分かるのではないですか?」


 ヴァリエは視線をポーラから、同じく後方にいるユルーゲルへと向けた。


「ここに来る前は、召喚された竜、というだけの認識でしたが、どうやら違うようですね。体は竜だが、人格は聖女。何故そうなったのでしょうか。やはり、竜に喰われて……」

「いえ、貴方がそのような考えをする、ということは、この結果は本当に貴方にとって、不本意なものだったのでしょうね」

「では、やはり私が聖女を使って、竜を召喚したのですね」

「えぇ。その証拠に、あちらをご覧になってください」


 そう言うと、ヴァリエは頭上を仰いだ。上には、洞窟内に光を射れる小さな穴しかないと思っていたが、薄っすらと何かの模様が見えた。


「魔法陣?」

「そして、あちらも」


 ポーラが呟くと、ヴァリエは洞窟の隅に顔を向けた。そこには、黒い塊があり、特段気にするような物には見えかった。しかし、ユルーゲルは何かを感じたのだろう。黒い塊に近づいて行った。


「もしかして、これは私ですか?」

「あまり動揺しないのですね。そうですよ、それは貴方です。大魔術師様」

「あの魔法陣を見れば、予測がつきますよ。大方、銀竜を外に出さないために設置したのでしょう。私という体も使って」

「長期間、魔法が解けないことから、そうなのでしょうね。これも予想済みでしたか?」


 残念そうにヴァリエが聞いた。

 もっとユルーゲルに、動揺してほしいという気持ちがあったのかもしれない。このような目に合わされたのだから、無理もないことだと思った。


「多少は。一応私なりに、この時代に連れてこられた原因を探っていましたので」

「これが原因っていうんですか?」


 同じ過去からこの時代にやってきた、と仮定していたアンリエッタが、すかさず尋ねた。


「飽く迄も、私の仮説ですが。私の魔法陣を利用したのではありませんか。アンリエッタさんをこの時代に呼ぶために」

「その通りです。五百年前、貴方に協力して魔法陣を起動させました。その時、貴方が何をしたかったのか、何を呼び出したかったのか分かりませんが、竜が召喚されたのです」


 思い出したくない話だったのか、ヴァリエは再び体を丸くした。目を閉じていても、語ることまではやめなかった。


「その時、竜が暴れ出して、魔法陣が狂ったのでしょう。竜の下にあった魔法陣と繋がっていた、わたくしの方の魔法陣にも影響を受け、気づいた時にはこの通り、わたくしは竜の姿になっていました」

「融合した、ということですか?」


 ユルーゲルは振り返ることなく尋ねた。


「どうでしょうか。今は私がこの体の主導権を握っていますが、最初の頃は、意識までも竜が占めていましたので、どちらかというと、吸収された、と表現するのが正しいと思われます。竜の鱗が、緑から銀になったのは、わたくしの影響でしょうけれど」

「それじゃ、さっき言っていた自我が保てないって言ったのは……」

「えぇ。未だこの体には、竜の意識があります。ただ長い年月で衰弱したため、わたくしの力で抑え込むことが可能になったのです」


 その力が神聖力であり、補充を要求したのは、ヴァリエ自身も竜同様弱っていると言っているようなものだった。


 ヴァリエはマーカスの方を向いた。


「抑えることが出来なかった間、竜はわたくしの力を使い、生贄となる者を選び、呼び寄せました。彼女も近くに来ているのでしょう」

「あぁ」

「安心してください。わたくしの力で近づけないようにしていますから」


 ヴァリエの言葉を聞き、思わずアンリエッタは口を手で覆った。


「じゃ、さっき私の神聖力で、パトリシアさんが苦しんだように見えたのは……」

「わたくしと貴女の力は同じものなのですから、当然の反応でしょう」

「それはつまり、お前がこの時代のアンリエッタってことで、間違いないんだな」

「えぇ」


 返答は、マーカスにではなく、アンリエッタに向かって言った。だからアンリエッタも、もう一度ヴァリエの言葉を思い出して、質問をした。


 私があなただというのなら……。


「私があなたの体を奪ってしまったんですか?」

「違います」

「じゃ、何でさっき、あんなことを言ったんですか? 私の体に入った魂って。私のことを、そう言っていましたよね!」


 思わず声を張り上げてしまい、罰が悪そうに目を逸らした。


「誤解をさせてしまったことは、申し訳ないと思っています。けれど、貴女が奪ったわけではないのです。この時代に呼び寄せた時、大魔術師様とは違い、わたくしがまだ生きていたがために、幼いわたくしの魂が消滅してしまい、それを補うために、貴女が入ってくれたのです。だからむしろ、恩人だと思っています」

「なるほど、そういうことだったんですね。しかし、私の魔法陣を使ったからと言って、簡単に呼び寄せることなど、いくら聖女であっても容易ではなかったはず」

「仰る通りです。元々聖女として欠落していたわたくしには、とても難しくて、逆に生贄となる子を呼び寄せてしまうこともありました」


 聖女としての欠落……ヴァリエが言うには、神聖力の扱い方についてのことだった。

 膨大な神聖力を持ちながら、母であった先代の聖女のように、大きな結界を張ったり、一度に数多くの人々の傷を癒したり、土地を潤したりすることが出来なかったのだ。


「私が上手く神聖力を扱えないのも……」

「恐らくわたくしの体だからだと思います。時期的に、今回彼女が生贄となってしまったのは、竜の仕業ではなく、わたくしのせいでしょう。だから、貴女を探して貰ったのです。もうそのような子たちを作らないために」


 もうここまでくれば、何故ヴァリエが私を呼んだのかが分かる。

 事前の調べによって導き出した仮説は合っていた。小説での銀竜の結末も知っている。何もかも、その未来に向かって話が進んでいるのに、嫌な気持ちになるのは何でだろう。


「わたくしたちを殺してはくれませんか?」


 その役割を任されたのが、私だからだろうか。


「……どうして、私なんですか?」

「この体ごと消滅させるには、わたくしの、いえ貴女ほどの力が必要だからです」


 剣で切りつければ、体が残る。その体には二つの魂が存在しているために、下手したら死んだ体にどちらかが留まってしまうことを危惧したのだと、ヴァリエは言う。


「お願いです」

「……でも、どうやったらいいか分かりません」

「簡単ですよ。わたくしたちの体に、ありったけの神聖力を流してください」

「魔法ではダメなのかしら」


 私が躊躇っているのが伝わったのか、ポーラが口を挟んだ。


「ダメではありません。この体が塵になればいいのですから。ただ、わたくしは彼女に頼みたいのです」

「アンリエッタ……」

「大丈夫です」


 私も一度は死を経験しているから分かる。彼女の、ヴァリエの気持ちは。どんな最期を迎えたいか、それを決められ、望みが叶うのは、どれだけいいことか、理解できるのだ。


 私だって、望み通りの最期を迎えられるのなら、そうしてもらいたい。

 苦しくても、ベッドの上で死ねたことは、私にとって幸福だった。冷たい地面の上は嫌だったからだ。


 ヴァリエにはもう、その選択すらできないのだ。ならば、私も覚悟を決めるしかない。


「やります。やれますから」

「アンリエッタ」


 ポーラに気持ちを伝えると、正面にマーカスが立った。マーカスもまた、こんな結末を望んでいなかったような顔をしていた。


 だから、抱き締めて、背中を軽く叩いた。幼子をあやすみたいに。けれど、返ってきたのは力強い抱擁だった。


 ちょっと、私が死に行くわけじゃないんだよ! それとも、この決断に怒ったのかな。


「マーカス。私がこの世界に来られたのは、銀竜の、ヴァリエさんのお陰なんだよ。マーカスに会えたのだって、そう。だから、願いをかなえてあげなくちゃ」

「アンリエッタが嫌な思いをしてもか。損な役割を強いられていてもか」

「貧乏くじを引くのは、まぁ慣れてるから」


 この体に入っちゃったせいで、誘拐されたり、されかかったり。前世でも、あんな親戚がいなければ、苦労しないでいい苦労もしたから。


「だから、放して」


 そう言うと、渋々体を放してくれた。けれど、表情は変わっていない。こんな時、どうすればいいのかは、決まっている。


「汚したくないから、預かってて」


 手首に巻かれた青いリボンを解き、マーカスの手首に縛った。きつく、すぐには取れないように。


 そして、マーカスの横を通り、ヴァリエへ近づいて行った。

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