第54話 決行日

 そして、瞬く間に決行の明後日になった。


 アンリエッタを、恐らく拉致しようとしている集団は、聖職者が一名,聖騎士が二名の他、裏稼業をしていそうな傭兵と冒険者が数名、という一風変わった編成だった。


 けれど、その内訳を言わなければ、普通の旅人の一団と、そう変わりはない。

 何故なら、聖職者とは名ばかりで、見た目が体格のよい男。聖騎士に至っては、傭兵と何ら違いが分からない人相をしていた。そして最後に冒険者。この者らの方が、聖職者なのではないかと思うような、人当たりの良さそうな顔と空気を纏っていた。見た目と肩書が一致しているのは、傭兵だけだった。


 ギラーテを守る門番は、自警団の団員が就いている。すでに人数と特徴を伝えておいたため、彼らが検閲を受けている間に、知らせが詰所へ迅速に届けられた。


 予め日にちを指定しておいたお陰で、団員たちが慌ただしく、配置につくことはなかった。いつ来てもいい様に、すでに配置していたからだ。


 来日して早々、事を起こすとは思わないが、念のためである。ギラーテの住民たちには、警備強化週間でパトロールを多くしている、と伝えていたため、怪しまれることはなかった。


 その者らの報告で、カラリッド家が差し向けた集団は、今宿屋にいるらしい。


「大丈夫よ、アンリエッタ」


 ジルエットのカウンターで、神妙な面持ちで立っていると、ポーラに話しかけられた。


 ポーラは、その集団がジルエットに押し入ってきた時、もしくはアンリエッタを攫おうとした時に、現場にいなければならないため、朝からやってきていた。

 ジルエットが開いている時は、店の中に。閉まっている時は、家の中で待機しているのだ。


「不安に思うかもしれないけど、普段通りに、ね」

「すみません。顔に出ていました?」


 朝、出かけて行くマーカスにも、同じようなことを言われた。また、囮に使うことについても、謝られた。


 そのことについてアンリエッタは、怒ったり、非難したりしなかった。自分のことである以上、すでに覚悟は出来ていたからだ。ただ不安な気持ちは、どうやっても隠し切れないらしい。


 ――身構えていたら、向こうが警戒する恐れがある。だから、普段通りに。怖いだろうが、我慢してくれ。


 ――ポーラのように傍にいなくても、姿が見えなくても、助けに行くから。


 念を押すように、マーカスはアンリエッタに言っていた。そして決まって最後にこう言うのだ。


 ――すまない。


 アンリエッタを囮に使わなくとも、カラリッド家が差し向けた集団を始末することは可能だった。それを敢えてしなかったのは、決定的な証拠が必要だったからだ。それも強い力を持った者の証言も。


 閉鎖的な国であるゾドに切り込むには、曖昧なカードでは、すぐに消されてしまう。知らぬ存ぜぬを通されれば、そこでお仕舞いである。だから、否定できない明確なカードが必要だった。それが今回の作戦である。


 ゾドと教会のやり方に不満を持つ者がいることや、魔塔だけでなく、ソマイアとしても有益なカードになるため、大規模に人を動かしても、疑う者はいなかった。それだけ、ゾドと教会が好き勝手やってきたことが分かる。


 ポーラはカウンターに背中を預けた。


「どっちかっていうと、顔より態度にね。ドアが開いただけじゃなく、お店の前を誰かが通っただけで、反応するんだもの。相手よりも、アンリエッタが気になってしまうわ」

「そんなに反応していたんですか、私」

「えぇ。朝開けていた時から。まだ彼らが、ギラーテに着いて間もなかったのに。……今日、来ると思う?」


 一瞬驚き、目を逸らした。アンリエッタは素人だ。ポーラのように、情勢も分からない。戦闘においても経験不足で、相手の出方を読むことが出来ない。


 アンリエッタが出来るのは、勘を頼りに動くこと。その勘が言う。


「はい、来ます。根拠はないんですけど」

「マーカスが言っていたけど、それがアンリエッタの勘、なのね」

「ポーラさんから見たら、こんな不確かなものに頼るのは可笑しい、って思うかもしれませんが。ずっと、これでやってきているんですよ、私は」


 ポーラが振り返って、アンリエッタの頭に触れた。


「誰が可笑しいだなんて言ったの。それのお陰で、ここまで生き延びてこられたのでしょう。馬鹿になんてしないわ」


 すでにポーラには、マーシェルのゴールク孤児院から、逃げてきたことは知られている。受け入れられているとは分かっていても、羞恥が拭えなかった。すると、ポーラはアンリエッタの頭を撫でるように、髪を救い上げた。


「言うのが遅くなったけど、良く似合っているわよ、アンリエッタ」

「ありがとうございます。ずっと茶色にしていたから、違和感とかないですか」


 アンリエッタ自身も、ようやく銀髪の自分に慣れてきたところだった。

 元の髪の色に戻っただけなのだが、やはり目立つのか、街を歩いていると、どうも視線が気になって仕方がなかった。学術院では、あの事件があったせいか、そこでも視線が向けられていた。


「ないわ。むしろ、しっくりしていて良いくらいよ。とても綺麗に見えるし」

「ポーラさんに言われると、凄く嬉しいです」


 お世辞であっても、美人のポーラに言われると、自信が持てた。今でも時々、茶色に戻そうかと思うことがあったからだ。


「私もようやく、アンリエッタの笑顔が見られて嬉しいわ」

「あっ」


 いつの間にか、気を張っていた顔が、笑顔になっていたことに気づいた。ポーラの優しい気遣いのお陰だ。


 王女だと分かっても、変わらず接して欲しいのは、アンリエッタも同じ気持ちだった。そして、囮になっても構わない理由の一つでもあった。自分のためだけじゃなく、他の人の助けになるなら、良いと思えたのだ。


 ここまでの人数を動員しているからには、成功させないと。自分のためだったら、ここまで気を張ることはなかっただろう。


 結局、昼の開店時間内には、何も起こらず、店仕舞いした。



 ***



 勘は時刻までは教えてくれない。だから、消えてなくなるまで、不安はずっとアンリエッタの胸にあり続けた。


 昼の店仕舞いを終えた後、いつも通り家事に取り掛かるつもりでいた。けれど、さすがにそんな気分にはなれず、店のキッチンに入った。


 不安な気持ちから、憂鬱さが増して、アンリエッタは台に手を置いて、溜め息を吐いた。


「!」


 その途端、足元で何かが動いた。下を向いていなければ、気がつかなかっただろう。


 キッチンで動くものと言ったら、黒いアレだと連想するが、動いた“それ”は、アレよりももっと大きいものだった。色は黒ではなく、透き通るような青白い、大きくて長い……。


「蛇?」


 何だってキッチンに蛇が現れるの⁉ いや、それよりもこれは危険なものだ。今すぐ逃げなくちゃ!


 アンリエッタは急いで、ドアに向かって駆け出した。しかし、蛇の動きも早かった。アンリエッタが動いた瞬間、同時に動き出した。そして、ドアノブに手がかかる前に、アンリエッタの体に巻き付いた。


 前は紐で、今度は蛇? いい加減にしてよね。


 怒りの感情のままに、神聖力を蛇に向かって放った。すると、普段はアンリエッタの周りを漂っていた神聖力が、鋭い刃のように蛇を切り裂いた。それで一旦は自由になったものの、蛇の再生力の方が上回り、再び拘束された。


「!」

『あまり抵抗しないでいただきたい』

「だ、誰⁉」


 すぐ近くから、突然男のような低い声が聞こえてきた。近くにいるのは、体に巻き付いた状態の蛇しかいない。まさか、と思い蛇の顔を見た。


「もしかして、この蛇が喋ったの?」

『察しが良くて助かります。そして、我々はあなた様に、危害を加えるつもりはありません』

「今まさに、危害を加えられているんだけど」


 ガシャン。


 再び神聖力を使おうとした瞬間、足に何かを嵌められたような音がした。足元を見ると、錠のような足輪が右足に付けられていた。


『それは神聖力が使えなくなる道具の一種です。しかし、あなた様ほどの持ち主であれば、効力に期待できないので、申し訳ありませんが、こちらも付けさせていただきます』


 声の主に合わせるように、蛇から別の足輪が出現して、左足に付けられた。


『こちらは、神聖力を使うと、電流が流れる仕組みになっておりますので、先ほどのようなことは、控えた方がよろしいでしょう』


 これでアンリエッタが怯えて、言うことを聞かせようとする魂胆なのだろう。だが、気弱なそこら辺の女と、同じにしてもらっては困る。


 可愛げないとか、我が強いとか、色々言われたけど、気の強さと精神の強さを舐めないで欲しい。何が電流よ。いちいちそんなのに、怖がってなんていられないわ!


 アンリエッタは遠慮なく神聖力を使った。


「うっ!」


 案の定、電流が足元から体全体に流れた。けれど、ユルーゲルから受けたものに比べたら、大きな打撃ではなかった。


 大丈夫。耐えられる。気を失うほどじゃない。


『なるほど。随分と気丈な方だ』

「それはどうも」


 あまり相手の口調に、変化は見られなかった。だからアンリエッタも、何でもないように振る舞った。少し息が乱れたが、屈した態度を見せてはならなかったからだ。


「アンリエッタ? どうかしたの?」


 息を整えていると、ドアの向こうから、ポーラの声が聞こえた。こちらの物音に気がついたらしい。咄嗟に声を出そうと身を乗り出した。が、蛇に口を塞がれた。


『大丈夫です。少し物を落としてしまっただけなので、心配しないで下さい』

「‼」


 蛇から突然、アンリエッタの声が聞こえたのだ。


「そうなの? なら、手伝おうか?」

『いえ、私一人で十分なので、問題ありません』

「分かったわ。必要になったら言ってちょうだい」

『はい。ありがとうございます』


 何てことなの。この世界に、ボイスチェンジャーのようなことが出来るなんて……。巻き付かれているから分かったけど、この蛇だって神聖力で作られた物。ということは、私の声で返答したのも、神聖力で……?


 声の主は、アンリエッタの声で、上手いことポーラを退けてみせた。このようなことを出来ることを、ポーラは知らない。故に、さっきの声が、アンリエッタの声だと疑うことはないだろう。

 そして、アンリエッタ自身、神聖力を使って、この状況を打破することも出来ない。


 それでも、何とか考えないと。どうにかして、外部に助けを求める手段を……。


 ドン!


「え?」


 突然、首に強い衝撃を受けて、アンリエッタは気を失った。



 ***



 人相の悪い男が一人、横たわったアンリエッタを見下ろしていた。意識がないことを確かめ、蛇に合図をすると、蛇は縄へと姿を変えた。


 そして、男は麻袋を取り出し、その中にアンリエッタを押し込んだ。


「気が強かろうが、所詮は女だ。ずらかるぞ」


 アンリエッタの入った麻袋を担ぎ、男は床に出来た、黒くて丸い亜空間へと飛び込んだ。

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