第10話 黄色い騎士の懸念(マーカス視点)
コンコン。
扉を二回叩いたマーカスは、アンリエッタの部屋の前で、返事が返ってくるのを待っていた。
幼い頃から叩き込まれていた礼儀作法は、二年やそこらでは、簡単に無くならないものらしい。返事を待たずに入ろうとは思わなかった。
「どうぞ」
一日のすべきことを終えて、後は寝るだけとなった時間に訪ねる者は限られる。そんな相手が誰だか分かりきった中で、訪問を受け入れてくれることに、安堵していいものか、それとも警戒心を持ってくれと思うべきか、内心考えつつ、マーカスは扉を開けた。
「……」
「どうしたの?」
マーカスは溜め息を吐き、アンリエッタに近づいた。
読書をしていたのか、開いたままの本を膝の上に乗せていた。そのアンリエッタが座っている場所は、ベッドの上。着衣はパジャマのまま。
あの二人にも、こんな気安い姿をさらけ出しているのだろうか。
そんな嫌な感情を表すかのように、マーカスはアンリエッタの近くに座った。
「……」
「何だ?」
今度は、マーカスが尋ねた。アンリエッタが眉を寄せた意味に気づいてはいたが、それをわざと無視するかのように、笑顔を向けてみせた。
「座るなら、そこに椅子があるから、そっちに座って」
「こっちの方が話しやすい」
アンリエッタの指差す方向には目もくれず、マーカスはベッドの端に座ったままその手を掴んだ。
けして広いとは言えない部屋の壁際に沿って置かれたシングルベッド。俺が脇に座れば、窮屈に感じるのは無理もないだろう。けれど部屋に、安易に入らせたアンリエッタが悪いのだ。
すかさずアンリエッタは、逃れるように手を引っ込めた。
「今は二人だけなんだから、兄妹の振りをする必要はないんじゃない?」
当然だ。そんな振りなんてしていない。どうしてそう思うんだ。むしろ、そっちがしているんじゃないか。
「普段からしていれば、周りに怪しまれない、とは思わないか?」
「兄妹って、必ず仲が良いわけじゃないんだから、わざわざそこまでしなくても大丈夫でしょ」
明確な兄妹設定を話し合っていなかったが、アンリエッタも俺と同じ考えで安堵した。しかし、アンリエッタに元々兄妹がいたのだろうか。一人っ子とは思えないような発言が気にかかった。
「何の本を読んでいるんだ?」
マーカスがもう一つ気になることを聞くと、アンリエッタは一瞬驚いた顔をした後、すぐさま本を閉じた。
言いたくないことなら、無理に聞くつもりはない。
沈黙が、返事を強要しているように思われるのは心外とばかりに、マーカスは口を開いた。が、耳に入ってきたのは、自分の声ではなかった。
「神聖力の本なの」
恥ずかしそうに、本で顔を隠しながら、アンリエッタはそう言った。
神聖力。
初めて会った時に、かけて貰ったアンリエッタの力。
何故、今更恥ずかしがるのだろうか。
「その、何て言うか。……先に言っておくけど、絶対に笑わないでよ」
「笑うところでもあるのか?」
「違う! そう言う意味じゃなくて、……だから、その……」
本を抱き締めながら言うアンリエッタが可愛くて、ついからかいたくなった。だから、両手を胸の位置まで上げて落ち着かせるように言った。
「わかったわかった。わかったから、言ってくれ」
「……からかわないでよ」
念を押すように前置きをするので、マーカスも大人しく頷いた。
「私が神聖力を持っているのは、知っているでしょ。だけど、私……持っているだけで、ちゃんとした使い方を知らなくて」
「ちゃんとした?」
何を言っているのか分からず、マーカスはアンリエッタの言葉を繰り返した。
現にその力で、怪我や体の疲労まで、軽減させてもらっていたからだ。それを使えていないなどとは、到底思えなかった。
「うん。力を出すだけなら出来るけど、それ以外は出来なくて。……そうだな。例えば、魔力なら魔法が使えたりするじゃない。ただ風を出すだけじゃなくて、物を切ったり、浮かせたり。あとは剣の場合なら、ただ振り下ろすんじゃなくて、さまざまな場面に合わせて、技を出したりするでしょ。私が言いたいのは、そういうこと」
「あぁ」
アンリエッタがマーカスにも分かり易いように、剣で例えてくれたお陰で、ようやく気が付いた。あの時、アンリエッタがマーカスにしたのは、神聖力をただ“かけた”だけなのだということに。
魔法の光属性が使う回復のように、鍛錬したのち使えるものと違い、神聖力は力そのものが、相手に祝福を与えることが出来る。
「なるほど。それで、それが指南書というわけか」
「うん。独学でやろうかなって。それで技術も必要だけど、知識も足りてないから、まず本から学んだらって、ポーラさんが薦めてくれたの」
ポーラ……か。ふと自警団の詰所で見た、赤毛の女を思い浮かべた。
俺に対して、明らかに敵対心と警戒心を包み隠すことなく、露わにしていた。それにも関わらず、あっさりと団長に橋渡しをするほどの度量を持つ女。
まぁ大方、団長にでも、監視を頼んでいる可能性はあるだろう。
そんなことを思いながら、マーカスはそれまで感じていた疑問を投げかけた。
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