第2話 出会いと分岐点
「え?」
緑と茶色しかない場所に、綺麗な金色が現れれば、誰だって驚くだろう。
もし、木漏れ日が当たっていたら、幻想的に見えるかもしれない。
残念なことに、今は曇っていて、林の中は少し薄暗い。だから、気がつかなかった。
恐る恐る近づくと、それは人で。綺麗に見えていた金色は髪の毛だった。
よく見ると、少し汚れている。
行き倒れ……かな、これは。
イズル夫妻に出会った過程を思い出し、アンリエッタは金色の髪に隠れた顔へ、手を伸ばした。
「うん。息はしているし、体温もある」
それから、身なりを確認した。
ローブで少ししか見えないが、剣を所持している。なのに、アンリエッタがこれほど接近しても、目を覚まさない、ということは、寝ているわけではないはずだ。
「怪我をしているのかも」
こんな家の近くで死なれても困るし。
けれど、明らかに男だと思われる人物の身体チェックは、……憚られる。
盗人に思われるのも嫌だし。
「とりあえず、応急処置をしておけば、勝手に目を覚まして、どっか行くよね」
そうだ。そうしよう。
アンリエッタは倒れている男に手を翳し、神聖力を注いだ。
神聖力には、癒しと浄化の力もある。
仮に怪我をしていなくても、衛生面の問題も心配はないだろう。
そっと立ち上がり、アンリエッタは男を見下ろした。
本当なら、家に連れて行って、ベッドの上で休ませてあげるべきなんだろうけど……。
この人には、関わってはいけないような、そんな気がする。
ごめんなさい。
罪悪感は残るものの、アンリエッタはその場を後にした。
***
「これで良かったのよね」
アンリエッタは勝手口のドアを閉めると、そう呟いた。
関わってはいけない。
私の勘が、そう言っている。
これまで、その勘に助けられてきた。
孤児院を抜け出すタイミング。
イズル夫妻を見た瞬間。
この家を決めたのも。
だから、これは正しい選択。そう思うのに……。
アンリエッタは振り返った。
「気に……」
なっちゃ、ダメ。
首を振り、夕方の開店に向けて、準備をし始めた。
***
「ありがとうございました」
本日最後のお客様を、アンリエッタはお店の外まで見送り、ふと空を眺めた。
もう一面、夕焼け空だった。
もっと先の方を見れば、オレンジ色の下に紫色をした空が伺える。
あと数時間したら、ここも暗くなる。
アンリエッタはお店に入るわけでもなく、ただ見つめた。
お店の中ではなく、その先。もっと、奥へと。
あっちはもう、暗いかもしれない。
「関わってはいけない」
そう。そう、決断したじゃない。
「関わってはいけない」
もう一度呟き、アンリエッタは片付けに取りかかった。
***
そう決断したのに、どうして私はここに居るんだろう。
すでに暗くなった林の中に足を踏み入れているのに、アンリエッタのぼやきは募るばかりだった。
あれから片付けをしていても、帳簿を付けていても、気がつくと、アンリエッタの視線は林に向かっていた。
何がそんなに気になるというの?
あぁいう人間、旅をしていた時だって、孤児院にいた時だって見ていたし、気にしなかったのに。
少し前に見た男の顔を思い浮かべた。
歳は少し上くらい?
顔は、ちょっとかっこ良かったかな?
身なりも、ちょっと良さそうだった……。
って、そんな理由で気になった訳じゃないんだけど!
何考えているんだか。
それに、あれから数時間は経っているし。
体力は回復していると思うから、もう居ないはずよ。
そうに決まってる!
なら、何で行くの?
……確認よ。確認。居ないことを確認しに行くの!
居ないと思って確認する! と、思うと居るのが、お約束なのは、何となく分かる。
だから、これはそういう風にしてしまった自分に対する怒りであって、断じて目の前で、昼間と変わらない格好で蹲る男に対してではないと、思いたい。
だけど、言いたい。
何で、まだ居るのよ!
「まだ、何かあるの?」
何気なく出た言葉に意味はなかった。ただ思ったことを口にし、男へと手を伸ばした。
すると突然、手首を掴まれた。他の誰でもない、この男にだ。
「へぇ~、驚かないんだ」
そう言いながら、男は顔を上げた。
金髪というのは知っていたけど、青い目なんてね。
まるで、何処かの物語に出てくる登場人物みたい。ファンタジーに一人は、金髪碧眼はお決まりの如くいるもんだしね。
昔話に登場する、白馬に乗った王子が、そんな風貌だからなのか、そういう人たちが多いのか、そこは分からないけど。
その上、中性的な顔立ちとは、なんて私好み。
騎士風のイケメンだったら、怪しさ満点だったんだけどなぁ。一応、孤児院並びに教会から逃げてきた身としては。
ともあれ、見た目は良くても、第一声の印象は、悪かった。
やっぱり、関わらないのが正解だったのだと、後悔した。
「あら、ご期待に添えなかったのなら、今から叫びましょうか」
林の中だから、さぞかし響くでしょうけど。
私は笑って見せた。
「そんなサービス、いらないよ」
誰もサービスとは言っていない。
「それに助けてもらったのに、礼も言わないのは、悪いだろ。顔も見たかったし」
「それなら、もう十分でしょう」
用件は済んだんだから、手を離せとばかりに、睨んだ。
「何故?」
何故だって? こいつの頭をかち割って、中を見てみたいものだわ。馬鹿なのかしら。
「お礼を期待して助けたわけじゃないからよ。それに完治したのなら、この場を離れてくれた方が、一番のお礼になるとは思わない?」
「思わない」
即答だった。しかし、次の言葉が出てくるまで、少し間があった。
「……言葉よりも態度で示す方が良いというなら……」
手首を掴んでいた手が、するりと離れることなく、私の手を取り、慣れた仕草で、男は頭を垂れた。そして、あろうことか、唇を落としたのだ。
「ひっ……!」
「……酷いな。これで悲鳴をあげられたのは、初めてだよ」
残念そうな顔で見上げられたが、私は騙されなかった。短い悲鳴と共に、手を引っ張ったのにも関わらず、強く握り締めたからだ。
孤児院に時々来る貴族だって、キスをする振りをするだけなのに、本当にするなんて。
「こ、こっちだって、こんなことされたのは初めてなんだから、仕方がないじゃない。しかも、見ず知らずの男に」
すると見上げていた男の顔が、驚いて目を見張った。
「あぁ、そうだった。俺はマーカス・ザヴェル。よろしく」
立ち上がり、自己紹介したマーカスはアンリエッタに笑いかけた。
マーカス・ザヴェル。何処かで聞いたことがある名前。
そう思った途端、アンリエッタはマーカスの容姿を改めて確認した。
金髪碧眼と中性的な顔立ち。
間違いない、彼は私が前世で読んでいた小説『銀竜の乙女』の登場人物だ。
『銀竜の乙女』とは、ヒロインであるパトリシア・ザヴェルが、銀竜の生贄となる証を持って生まれてくる所から始まる。
パトリシアはマーシェル国のザヴェル侯爵家の一人娘で、他に兄のアイザックと弟のマーカスがいた。
このマーカスは、姉のパトリシアが生贄にならないよう、銀竜を説得すると、家を出て行方知れずとなるのだが……。
どうして、マーカスがここにいる?
しかも、此処はマーシェル国ではなく、隣国のソマイアだ。ソマイアには、生贄の伝承はない。
だから、仮にこの世界が、『銀竜の乙女』の舞台なら、マーカスはマーシェルにいないとおかしい。行方知れずとなる前後であったとしてもだ。
「……アンリエッタ・イズルよ」
気を取り直して、私も名前を名乗る。
そういえば『銀竜の乙女』には、アンリエッタ・イズルなんて、いなかった。つまり、こいつに関わっちゃいけないという、勘は正しかったんだ。
それなのに、重要人物助けちゃったよ。
後悔先に立たずとはこのことだ。
さらに言うと、貴族の令息に失礼な態度を取っている気がするけど、向こうは名前を名乗っただけで、貴族とは言っていない。私は知らないことになっているから、大丈夫よね。
「いい加減離してくれない?」
手を思い切り、自分の方に引っ張ったが、外れなかった。
「それはダメだ」
「どうして! あなたと手を繋ぐ趣味はないんだけど!」
「離したら、逃げるだろ」
何を言っているんだ、こいつ。
当たり前でしょ。仮にここが『銀竜の乙女』の世界でなかったとしても、私の平和のためには、逃げるに決まっているじゃない。
とはいえ、本当にそんなことを言ったら、離してはくれないだろうから……。
「逃げたら困ることでもあるの?」
とりあえず、冷静になってみた。
「当たり前だ。今晩の寝床を探さないとならないからね」
「……ウチに泊まる気?」
「野宿させる気か?」
マーカスはにこりと微笑んだ。
余計なことを言うんじゃなかった。
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