第3話 却下、却下、却下
結局、マーカスを家に招き入れたアンリエッタは、とりあえず彼を風呂場へと向かわせた。
マーカスがいない間にやることが山程あるからだ。
先ずは、明日の仕込みからだ。
アンリエッタは、エプロンを着け、茶色の髪を高く、一つに結った。
こんな状況なのに、店を出すのかと、一瞬躊躇ったが、生活のためには背に腹はかえられない。
明日もお客様が私のパンを待っている。
出来ることなら、仕込みや夕食よりも、記憶に残っている『銀竜の乙女』について、紙にメモ書きしながら、今後の対策を練りたかった。それが出来ないのなら、手を動かしながら、ゆっくりでもいいから、思い出すしかない。うかうかしていたら、マーカスが出てきてしまうからだ。
とりあえず、先ずやるべきことは、今が小説のどの辺りなのかを、マーカスからさりげなく聞き出すこと。
これは最優先事項だ。
銀竜の元に行く前なのか後なのか。
でも、銀竜って、確かマーシェルに居るんじゃなかったっけ。
小説の舞台はマーシェルであり、そこから出ていない。
そうなると、後。つまり、現在行方不明中ということになる。なら、侯爵家に帰ることをお薦めする?
『銀竜の乙女』は、行方不明の弟・マーカスを探しにヒロインのパトリシアが旅に出て、男主人公のルカ・カリフに出会い、互いに困難に向き合って愛を育む、ロマンス小説だ。
マーカスが侯爵家に帰ったら、小説の内容が変わり、次が予見できなくなる可能性がある。
いや、舞台はマーシェルなんだから、そもそも隣国のソマイアにいる私には関係のないことだ。
そうよ、マーカスを家に帰らせるべし!
わざわざ小説通りにお膳立てしてあげる義理もなければ、余裕もない。
「何をしているんだ?」
「なんて格好しているの?」
いかにも風呂上がりな格好をして現れたマーカスに、私はこっちのセリフだとばかりに言った。
「少しは驚くとかはないのか」
孤児院で、男の子たちの世話をしたこともあるし、前世では兄がいた。私の恥じらう姿でも、見たいのか。この忙しい状況で。
「驚いている時間はないの。誰かさんのせいで、一日の予定が崩れちゃったんだから。それよりも、服を着て。風邪引かれると、困るの」
「ふぅん。で、何しているんだ?」
可愛くない態度を取れば、退いたり呆れたりするのかと思ったが、手強い。
「明日の仕込み。ウチはパン屋なの。だから、風邪を引かれたら困る理由、分かった?」
「……分かった、従うよ」
あら、意外に素直なところもあるのね。
そういえば、小説ではすでに行方不明だったせいか、マーカスの人物描写があまりなかった。
生贄になる姉のために、銀竜に会いに行くほど、姉思いの弟。くらいの印象しかない。その弟を探しに行くくらいなのだから、姉弟関係は悪くないのだろう。
でも、マーカスは今此処にいる。パトリシアのことが心配ではないのだろうか。
***
夕食まで済ませた後、マーカスにはリビングで寝るようお願いした。
お店兼自宅の我が家に、客室などない。
私の部屋以外の部屋は、あることにはあるが、物置部屋と化していて、使おうとするならば、片付けなければならない。
今晩だけなのだから、我慢してほしい。
「そのことで、相談があるんだけど……」
「却下」
「まだ何も言っていない……」
「でも、却下」
その内容は、だいたい予想がつくだけに、アンリエッタはなるべく考えないようにした。脳内に浮かんだ内容を、呼び寄せない為だ。
「……しばらく世話になる」
アンリエッタの様子を眺めたマーカスは、断言した。
なりたい、ではなく。なる、と。
「……っ。却下!」
「問題でも……あぁ、金か。それとも部屋のことか? それは、何とか空けられるって、言っていたから、それじゃないよな。じゃぁ、後は何だ?」
色々あるでしょー!
もう何から突っ込んで良いのか分からないけど、何か言い返さないと、相手の都合の良いまま承諾させられてしまう。
「何も――……」
「ま、まず、体面ってものもあるでしょ! 女の一人暮らしに、いきなり同居人、しかも男となんて、怪しまれるじゃない。お、お店の評判にも影響するかも、しれないし……」
「う~ん。兄妹ってことにすれば良いんじゃないか」
まるで上手いことを言ったとばかりに、マーカスは人差し指を上げた。逆にアンリエッタは、その発言に対応できずに、固まっていた。
「丁度、目の色が同じ青をしている。年齢は幾つだ?」
「……十八歳」
「俺は十九だから、兄で妹。これでいいな」
マーカスは、指で自分とアンリエッタを指して、確認までした。
いやいや、おかしいでしょ。私も普通に答えちゃったけど。
確かに目の色が同じなら、似てなくても……いや、そこもそうなんだけど、マーカスが十九歳だって!
小説のマーカスは、確か十七歳の時に家を出ている。
あぁ、なんで目の前にいるマーカスが、十七歳に見えないことを、先に思わなかったんだろう。
つまり、どう考えても、銀竜に会った後になるわけだ。それなのに何故、侯爵家に帰らずに、此処に居ようとするのだろう。
「よ、良くないよ。両親は行商に出て、私は付いていきたくないから、この街・ギラーテでパン屋をしている、ってことになっているんだから、兄がいるってことにしたら――……」
「行商の護衛をする必要がなくなったから、妹を手伝いにやってきた。というのは、どうだ?」
「筋は通っているけど。そうなると、親の護衛より、妹一人にしておくのは、どうなの!?って、非難されるよ」
マーカスは目を見張った。すると、次の瞬間、突然笑い出した。
「な、何で笑うの? 非難なんて、されたくないでしょ」
「いや、それくらい平気だ」
「あることないこと、噂されるんだよ」
「どのみち、されるよ。突然、人一人現れれば、しない方が可笑しい」
それはそうだ。私も此処にお店を出した時、随分と言われた。何処から来たとか、両親とどうして一緒に行かないのか、とか色々だ。
「じゃ、問題ないな」
「ま、待って! えっと……そう、お金。パン屋の稼ぎじゃ、あなたを養えないわ」
「養って貰うつもりは、元々ないんだけど……」
「あら、そうなの。なら――……」
明日出て行って貰うしかないわね、と意気揚々と言おうとしたが、最後まで言わせては貰えなかった。
「傭兵の仕事で金を稼ぐ」
「無理よ」
今度はアンリエッタが、間髪入れずに言った。
「この街、いえソマイアは、傭兵の役割を冒険者が担っているから」
それは、ソマイアが学者の国だからだ。ソマイアの北の辺境にあるギラーテであっても、それは同じだった。
学者、つまり研究を第一に考える者たちが集まる。テーマは、この世界ならではの魔術から神聖力、魔物に至るまで。その他にも、前の世界同様、天文学に地学、化学や医療に関することまでもしている。
そうなると、学者たちからしてみれば、現地に視察としていく場合に護衛とする者は、傭兵だろうが冒険者だろうが、それに関してはどちらでも良かった。しかし、研究に必要な素材はというと、部屋に籠りがちな学者にとって、それはなかなか入手が困難な代物だった。
そこで、冒険者が大いに重宝されたのだ。
ただ腕が立ち、護衛や戦闘を重視する為に、魔物に付着する貴重な素材を傷つけてしまう傭兵よりも、魔物の討伐から、素材集めの依頼までこなしてくれる冒険者の方が、学者たちに歓迎された。
それゆえに、ソマイアの辺境であっても、ギラーテには冒険者ギルドが存在し、
「傭兵はいないの」
である。
マーシェルから来たマーカスには信じられない話かもしれない。
マーシェルは騎士の国だからだ。
ソマイアにも近衛騎士団や国防を担う騎士団、貴族が独自に抱えている騎士団があるが、それとは訳が違う。
マーシェルに属する騎士団だけでも、第一から第五まであり、近隣の国に貸し出す余裕すらあるほどだった。その他にも、教会が運営する聖騎士部隊。街の自警団も、騎士団並みの装備を持っているほどだ。
騎士団に縛られたくない者は、傭兵として各地を転々としたりしていた。
そういった背景のせいか、マーシェルには孤児が多い。隣国の応援で行った戦争で亡くなる者、魔物の討伐で命を失う者が多いからだ。
アンリエッタの本当の親も、もしかしたらそういう類いの者なのかもしれない。
「だから、ここでお金を稼ぐなら、冒険者ギルドに登録することをお薦めするわ」
「そうか、話には聞いていたが、ここまで違うんだな」
「そうよ。無理なら――……」
故郷に帰ったら、と言おうとしたが、またしても阻まれた。
「じゃ、明日行くから、付き合ってくれ」
「何で……」
「金が必要だろ?」
それはあなたがいなければ、必要のない問題でしょ! と言いたい心と、お金は幾らあっても良いと思う心が、せめぎ合って、結局何も言えなかった。
「俺はこの街に来たばかりで、場所が分からない。助けてくれたんだから、そこまで面倒を見ても、良いんじゃないか?」
その結果、とんでも発言が、マーカスから飛び出した。
「な、何を言っているの!」
「俺を助けてくれた人物は、所持品を取ることもなく、怪我を治してくれるような善良な人間だと思ったんだけどなぁ」
俺の勘違いだったのか、と言わんばかりに、しょげた態度を見せた。
好みの風貌の、そんな姿を見れば、良心が痛まないわけがない。
助けた責任という重みに、イズル夫妻を思い出した。
見ず知らずの私に、ここまでしてくれたんだ。
関わりたくなくても、せめてマーカスが、次へ行ける手助けくらいなら、大丈夫だろう。
「分かったわ。お客さんに丁度冒険者がいるから、明日の朝紹介してあげる。それで良い?」
そうすれば、お店を休まずに、マーカスの望みも叶う。
もう追い出そうとするつもりがないことを感じ取ったのか、マーカスは嬉しそうにアンリエッタの手を握った。
「あぁ。それで構わない。だけど、その冒険者は男か?」
「うん? ……そうよ。それに、その方がマーカスも良いでしょ」
嬉しそうな顔から一変、訝しげな表情で、覗き込んできた。
紹介して貰うのに、性別なんて重要なのかしら。
「まぁ、それはそうだけど……」
「もう私が出来る妥協は、ここまでよ。明日も早いから、私はこれで――……」
部屋に向かおうとした最中、足がもつれるかのように、体がふらついた。倒れると思った体が、温かいものに受け止められたのを感じた。
それを確かめるよりも先に、アンリエッタは睡魔に襲われた。
いつもなら、もうベッドの中にいる時間だからなのか、問題は山積みでも、目の前の問題が解決したことによる安堵かは、分からない。
それでも、今は寝ちゃいけないと分かっていても、眠かった。
寝ちゃダメ……。ダメなんだって……。
***
「アンリエッタ?」
声をかけてみるが、腕の中の女は目を閉じたまま、反応がなかった。
まさか、この状況で寝るとは。
完全に寝ていることを確認してから、マーカスはアンリエッタを抱き上げた。
リビングを出て、アンリエッタの部屋のドアを開ける。そして、ベッドの上に置こうとした瞬間、
「今日はありがとう、アンリエッタ」
額にそっと、唇を当てた。
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