第3話 ヒューペルボリア取材班

 途方にくれながら、あたしはロキシーを残してロッジを出た。

 頭突きで痛いのはロキシーも同じだ。その証拠にロキシーの目には涙が浮かんでいた。


 彼女には思慮が浅いというか、衝動で行動してしまうところがある。あたしが動くことで、ロキシーが大人しく待っていてくれるなら、それで御の字なのだけど。


「でも、どうしたものかな」


 荒唐無稽とはいえ仮説を持っているロキシーと違い、あたしには調べる取っ掛かりがない。クマが捕まったというニュースでも入っていないか、あるいはあたし自身がクマの痕跡を見付けるか。


 父親が剣道の町道場を構えていた関係で、中学時代は手足のまめが潰れ、血尿が出るほど稽古に励んでいた。ロキシーに比べれば体力には自信があるとは言うものの、


「人の味を覚えたクマ相手じゃなぁ……」


 とりあえず、仕事の邪魔でないようなら、飛冴さんに地元の近況を聞いてみよう。役場の連絡先が分かれば、クマのパトロールや駆除の状況を訊くこともできる。

 管理棟に向け歩き出すと、木立ちの間に妙雪ちゃんの白いコートが見えた。


「おーい」


 妙雪みゆきちゃん彼女にも聞いてみよう。そう思い呼び掛けてみたが、声が届かなかったようだ。意外と早い妙雪ちゃんを小走りで追ううち、彼女の奇妙な仕草に気が付いた。


 歩きながらもしきりと何かを気にしている様子で、時折足を止め辺りを見回す。そうしている間じゅう、口元をずっと動かしている。


 わずかな風と葉擦れの音以外、人の声やそれと誤認するような鳥や獣の鳴き声も聞こえない。


 あたしではない誰かと話しているのだと気付き、ぞっとして足が止まった。


 妖精さんやお花さんと話すような子相手でも、あたしはからかったり馬鹿にしたりはしない。それらは信じる強度や方向性が違うだけで、信仰に近しいものだ。うかつに踏み込んで荒してしまっても、決してお互いのためにはならない。それはまあ、オカルト好きのロキシーと上手くやっていくうえでの、心構えでもあるのだけれど。


 けれどあたしの目には、妙雪ちゃんはそれを煩わしく思い、振り切ろうとしているように見えた。声を掛け捕まえて、森から連れ出したほうが良い。


「妙雪ちゃーん!」


 あたしの判断が遅かったのか、追い付く間もなく、妙雪ちゃんの姿を見失ってしまった。

 ざわざわとした悪い予感に苛まれつつ、あたしはきびすを返し管理棟へと急いだ。


 管理棟に辿り着くと、そこでもトラブルの真っ最中の様子だった。


 戸口を挟んで、中年の男が飛冴あすささんと話している。茶のダウンジャケットを着た、おそらく30代の男。髭が目立たない代わりに髪も薄く、どこかぬるっとした掴みどころのない印象を受ける。男が嫌な感じの薄笑いを浮かべているのと、飛冴さんの怒り寄りの困惑の表情を見て、あたしは行動を決めた。


「管理人さん大変です! 妹さんが――」


 わざと空気を読まず大声で駆け寄り、あれれ、困ったな。急いでるのに、部外者のおっさんがいて話しづらいぞ? という顔をしてみせる。


「――それじゃあ、また改めて」


 ほぼ本心なので、芝居らしい芝居も必要なかった。男は苦笑して飛冴さんに名詞を押し付けると、ロッジの方へ歩み去った。


「どうされました、都留儀つるぎさん?」

「飛冴さん、妙雪ちゃんの様子がおかしくて。森の奥に走って行っちゃったんです!」

「まぁ……」


 おや?


「人を襲うクマが出るんですよね? 連れ戻さないと危ないんじゃないですか?」


 飛冴さんは確かに表情を曇らせているものの、どこかあたしと噛み合わない。「私の心配してるのは、そこじゃあないのよ?」とでも言うような――


「確かに赤木山での事件だけど、この辺りでは目撃情報もないの。あの子はいつも森で遊んでいるから、大丈夫だと思うわ」

「でも、相手は野生動物ですから。パトロールを警戒して、移動してるかもしれないし」

「心配してくれてありがとう。帰ったら妹にはきつく釘をさしておくわね」


 奇しくも、当事者である飛冴さんはクマ――ロキシーに言わせれば、サスカッチ――の危険を感じていないのが分かった。楽観的に過ぎるようにも思うが、タクシーの運転手の反応を思えば、これが地元の住人の肌感覚なのだろう。


 代わりに、飛冴さんからは役場の鳥獣害対策係の連絡先と担当者の名前を教えてもらえた。それに、もうひとつ。


        §


「え? ヒューペルボリアの取材員、ここに泊まってるの!?」


 頭から毛布をかぶり、スマホで頭が七つあるサメの映画を見ていたロキシーは、あたしの報告の最後の一つに食い付いた。

 目がキラキラと輝いている。これでどうやらお肉を食いっぱぐれることはなさそうだけど。


「管理人さんが受け取った名刺、ちらっとだけどロゴが見えたし。山を下りるんじゃなく、ロッジの方に歩いて行ったから、間違いないと思うけど」


 ロキシーは露骨にそわそわしている。喜んでもらえるのは嬉しいけど、正直あたしは乗り気じゃなかった。人の生き死にを煽情的せんじょうてきに扱う記事そのままに、どうにも好きになれそうにない類の人間に思えたからだ。


「『我々ヒューペルボリア編集部は、取材班を編成しさらに事件の謎に迫る!』の成果、聞き出しに行こうか?」


 スマホにサスカッチ出現のページを表示して見せながら、ロキシーはいたずらっぽい笑みを浮かべた。


 たいした苦労もなく、男の泊まるロッジを突き止めることができた。あたし達の他に宿泊客がいなかったからだ。

 男は突然の来客にいぶかし気な顔をしていたが、あたしを盾にしたロキシーが、スマホでヒューペルボリアのwebサイトとメールマガジンを見せると、警戒をゆるめ中に招き入れてくれた。


「コーヒーでいいな」


 前園まえぞのと名乗った男はあたし達の返事を聞くでもなく、電気ポットのお湯でインスタントコーヒーを入れ、テーブルに着いたあたしとロキシーの前に並べた。紙コップに粉を適当に振り入れただけで、スプーンで混ぜてすらいないが、話を始める前の儀式のようなものだ。あたしも口を付けるつもりはない。


 前園はキッチンシンクにもたれ、コーヒーの湯気を顎にあてながらロキシーに不躾な視線を絡めていたが、ふと得心するような表情を見せた。


「ああ思い出した、ロクサーヌ・ウィザースプーンじゃないか。何故こんなところに――父親が日系……いや、日本人だったか」


 緊張8割、期待2割だったロキシーの表情が、スンッと醒めたものに変わる。


「『はりの上の亡霊』撮影時の話を、ぜひとも詳しくインタビューしたいところだが――」


 よくは分からないが、ロキシーにとって、決して楽しいものでない子役時代の話だと察し席を立ちかけたが、テーブルの下でロキシーの手があたしを押し留める。


「改めて席を設けるべき話だな。今日はそっちの記事について聞きたいんだろう? 大事な読者だ。これから書く内容について以外なら、話せる範囲で答えてあげるよ」


 幸い雰囲気の変化を察した前園は、それ以上踏み込んでは来なかった。


「ありがとう。わたしが訊きたいのは、遺体の詳しい状態とはっきりした死亡原因よ。クマの襲撃、滑落、凍死。どれも珍しいものじゃないわよね?」


 ロキシーの受け答えが女優モードに変わっている。身分をごまかし隠す必要が無くなったからだ。どんな相手にもそつなく対応できるよう、ペルソナを演じ分けるけど、疲れるからとめったに使いたがらない技術なのに。


「順番が問題だよ。屍体は2件とも凍ってから損壊し、食い荒らされてる。屍体になってから凍ったのか、凍らされることによって亡くなったのかは、まあ、次の記事で書く予定だ。僕が裏社会・犯罪系のアングラ雑誌を担当していたら、冷凍倉庫を使った屍体処理屋の線でまとめるところだね」


「歯型のほうは?」

「クマやイノシシでないのだけは確かだ。正直話を盛った。けど、僕だってサスカッチの噛み痕を見たことがあるわけじゃないしね」

「そうそれ、そのサスカッチ。なんでヤマゴンじゃなく雪男だって話になるの?」


 あたしが口を挟むと、ロキシーと前園はそろって顔を向けた。

 何? あたしなんか変なこと言った?


「ヒバゴンのこと?」


 ロキシーは首を傾けたまま確認する。


「そう、それ!」

「イエティ、ビッグフット、サスカッチ、アルマスティ。大雑把に巨大な未知の類人猿と言っても、その土地で目撃されたものは特徴も一つ一つ違う。今回は赤木山だからさしずめアカギゴン、アカギッティー……アッキーか」


 おっさんセンスないな。

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