第2話 ロッジの管理人姉妹

 急な連絡にも関わらず、ロッジの手配はすんなりとできた。クマ騒動でキャンセルが続いているらしい。その前に問い合わせたキャンプ場が臨時休業だったのだから当たり前だ。誰もクマが――雪男かもしれないが――出るような場所でテントを張りたいと思うはずがない。


 ロッジやキャンプ場に電話をしたのはあたしだ。引っ込み思案で内弁慶のロキシーは知らない人とは話ができない。行き帰りの経路を調べ電車のチケットを予約するのもあたし。代わりにロキシーはお金を出す。これが役割分担というものだ。


 中学を卒業してからは部活には入っていない。あたしは宿題をまとめて片付けるだけで、気兼ねなくロキシーとの小旅行に臨むことができた。ロキシーはキャスケットを深く被りすぎ、マフラーに口元を埋め俯きがちに見えたが、お昼に電車の中で食べたハローキティのだるま弁当は、ずいぶんお気に召したようだった。


 最寄りの駅を降りてすぐ捕まえたタクシーに行き先を告げると、運転手は少しばかり驚いた表情を見せ口ごもった。おおかた「こんな物騒な話で持ち切りの時期に、良くもまあ――」と言い掛けたのだろうが、クマが出た出ないで客足が遠のき減った稼ぎを、さらに無くす愚かさに気付いたのだろう。


「でも何だね。クマもテントならともかく、ロッジまで壊して襲うって話じゃないからね。お嬢ちゃんたちも、外を歩くときだけは充分気を付けなよ」

「はぁ。気を付けます」


 まあ、ロキシーは外をうろついて、その危険なクマだかサスカッチだかを探すつもりなんだろうけど。


 キャスケットのつばの下で、ロキシーは眉根を寄せ険しい表情を浮かべている。余計なお世話だ、という意思表示だと思ったら、肘であたしのわき腹を突いて何かを急かしてくる。


「サスカッチ! 聞いて!」


 ああ、そうか。


「でもクマじゃないとか、ご遺体の状態が変だったとかいう話もあるんですよね?」


 今度は運転手がくしゃっと顔を歪め、渋い表情を浮かべた。


「読んだよ。オカルト雑誌のヨタ記事ね。屍体を荒す動物は何もクマだけじゃないし、山の天気は平地とは全然違うからね。せっかく猟友会もパトロールしてくれてんのに、話をややこしくしてほしくないよ、まったく」


 ロキシーは脇腹をつつくのをやめない。


「あのー、例えば雪男とかビッグフットの仕業とか――」

「ないね!」

「やっぱり!」

「でもそういや、その記事書いた記者? ライターは昨日乗せたな。名詞貰ったし、2度目だったから顔おぼえてたけど。ガセネタばら撒いて営業妨害するんなら、乗車拒否してやりゃ良かったかな」

「ほんとですねー」


 ロキシーは難しい顔をしているが、運転手は何か隠している様子もないし、雪男について気持ちよく話してくれそうにもない。


「ねえロキシー。取材に来たヒューペルボリアの編集者さんが、オカルト雑誌らしく盛っただけなんじゃない?」


 地元にとっては迷惑な話だろうけど。


 歯型がどうとか、遺体が凍り付いてたとかって話の真偽は、遺体を収容した消防か警察でなければ分からないだろう。そしてそれらの人達が、タクシー運転手より口が軽いとも思えない。


「ま、オカルトは秘められたもの。虚実のあわいを揺蕩たゆたうのが楽しみ方の一つだからね」


 車内ではだんまりだったロキシーは、タクシーを降りたとたん饒舌になった。オカルトが趣味というのなら、そのスタンスでタクシーの運転手に話を吹っかけて、のらりくらりとヨタ話を楽しむのが本当なのかもしれない。ロキシーの代わりに、あたしが相手をできるほど詳しくなれば良いんだろうけど、オカルト関係の本には怖い話やグロいイラストがいっぱいで、手に取る前にくじけてしまう。申し訳なさでいっぱいだ。あるいは、ロキシーが思うさまオカルト談義に花を咲かせられるような友人ができれば。


 それはそれで、ちょっと寂しい気もするな。


 せっかくの小旅行なのに、気持ちが沈みかけて。

 あたしは少しの罪悪感と共に、頭に浮かんだ、友人に囲まれ談笑するロキシーのビジョンを打ち消した。


 タクシーを降り、山道を少し登った先の木立ちの間に、数件のロッジの屋根が並んでいるのが見える。いちばん近くの管理棟の扉を開け、あたし達を迎えてくれたのは、まだ歳若い女性だった。


「ご予約の黒咲様ですね。ようこそいらっしゃいました、管理人を務めております古森こもり飛冴あすさです。こちらにサインをお願いします」


 あたし達より少し年上、まだ大学も出ていないかもしれない。長い栗色の髪を束ね柔らかく微笑むその姿は、山小屋よりも図書館のほうが似合いそうに見える。足が不自由なのだろう。引き摺る右足を庇い、左手でアルミの杖をついているのが痛々しい。


「ごめんなさいね。私はこんなだし、人手も足りないから行き届かないこともあるかとは思いますが、何かあったら遠慮なく言ってくださいね」


 あたしの視線に申し訳なさそうな表情を浮かべると、飛冴さんは壁にかかったキーを手に取り差し出した。


 名前を呼ばれたロキシーはあたしを盾にして前に出ない。あたしは若干の心苦しさと共に5のナンバープレートの付いたキーを受け取る。


「おねえちゃん、お客さん?」


 不意に背後から声を掛けられ、ロキシーがびくりと身を竦めあたしの上着を強く握る。振り向くと、木の陰から白いコートの少女が顔をのぞかせていた。


 飛冴さんの二つか三つ年下だろう。目鼻立ちはそっくりだが、姉と同じ色の髪はぼさぼさのウルフカットで、瞳は不安と警戒で揺れている。どこかロキシーと通じるものを感じ、あたしは笑みを浮かべた。


妙雪みゆき。お客様を5番棟にご案内してさし上げて」

「ん」


 少女は木立ちの間を歩きだした。道は木立ちの中ではなく、目の前に続いている。近道でも教えてくれるのだろうか。


「木立ちの中に来いって言ってるんじゃなくて、並走するから同じ方向に歩けってことだよ」

「なるほど。なんかロキシーと似てるね」

「ハァ?」


 ほんの僅かな間を置いて、思い切り不機嫌な反応を見せるロキシー。声と同時に脛に蹴りが飛んでくる。


「痛いって!」


 そんなに気に障ること言っただろうか?


 木立ちの中を行く妙雪と奇妙な形で並んで歩くと、やがてロッジが見えてきた。水道を備えた調理棟のある広場を中心に、ランダムに点在する形で立っている。ロッジ同士の間には木立ちや茂みがあり、たとえ満室だったとしてもプライバシー面の問題はなさそうだ。


 入り口の扉にNo.5の札が取り付けられた棟を指し示すと、あたし達の返事を待たず、妙雪はそのまま木立ちの奥に消えた。


「……自由だな」


 ロッジの中は板張りで、簡素ながら山小屋の雰囲気を味わえる内装になっていた。二人用のテーブルと椅子に、ロフトスペースの寝床。ユニットバスは小さいものの、キッチンには冷蔵庫とレンジが備え付けてある。薪を買って共同の調理場を使わずとも、ロッジの中で食事を済ませることもできる。


「どうする? やっぱりバーベキューやるなら外が良いかな?」


 ロキシーが通販で取り寄せた高価い牛肉と、到着してから駅前のスーパーで買い込んだ地元野菜を冷蔵庫に納めながら訊いてみる。


 なんだか不機嫌そうなロキシーは応えずに、あたしを手招きして椅子をさし示す。


「なに? 座ればいいの?」


 言われるがまま大人しく腰を下ろすと、ロキシーは向き合う形であたしの膝に腰を下ろし、そのまま胸に顔を埋めてきた。


「えっ、なに? 何で今日はそんな甘えんぼさんなの?」

「いいから黙ってて……」


 これはこれで役得だし、甘えさせるのがあたしの役目なんだから構わないけれど。

 久し振りの外出だ。駅やなんかの人の多さで人酔いしたのかもだし、ひと目のある電車内ではあたしの膝や胸を枕にできず、バブみ不足に陥ったのかもしれない。


 あやすように腰に手を回し、少し揺らしてあげていると、ひとつ大きく息を吸ったロキシーは下からねめつけてきた。


「なんか忘れてない? わたし達は人を襲ったサスカッチを調べに来たんだよ?」

「わ、忘れてないよ。赤木山で続いた死亡事故が、雪男の仕業かもしれないんでしょ?」


 あたしはロキシーの決めて掛かる物言いを、怒らせないようにやんわりと修正する。タクシーの運転手や管理人の飛冴さんの様子からは、まだ事件を起こしたとされるクマが見付かった様子はない。けれど、警察や消防、猟友会のパトロールは続いているし、妙雪が森をうろつくのを、飛冴さんが禁じている様子もない。不幸にして人を襲ったクマはいるのかもしれないけど、ロキシーの思うようなことは起こっていないんじゃないか――もっとも、クマに襲われる危険があるってだけでも、ロキシーに山歩きをさせるわけにはいかないんだけど。


「じゃあ白乃しらのが調べてきて」

「えぇー……」


 膨れたロキシーが無茶振りをかます。


「それから――」


 ロキシーはあたしの頬に両手を伸ばし、腰を浮かせて正面から目を合わせる。

 キスでもされるのかと身構えたら――


「誰にでもデレデレすんな! ちゃんと調べてこなかったら、白乃だけお肉抜きだから!」


 思い切り頭突きをかまされ、目の奥に火花が散る。


「誰にでもってダレ? 管理人さん? 妙雪ちゃん? でれでれなんてしてないでしょ!?」

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