第4話 ティー・ロワイヤル

 7月の、鬱屈うっくつとした湿気が漂う真夜中のことでした。全天を覆う雲の中で月光が反射しているのか、空は一面を気持ちの悪い薄紅に澱ませています。夢売屋の店内には雨上がりの湿気を吐き出すような、むせかえるような木の臭いが立ちこめます。裸電球がチカチカと点滅する中、店長は宵からの蒸し暑さに辟易へきえきとしながら着ているチュチュの編み上げ部分をくつろげました。時刻は12時になんなんとする頃、開け放たれた入り口から顔を覗かせる者がおります。


「オーナー。貴方、そんな格好でよく捕まらないね」

「顔面凶器のお前に言われたくねえな」


 店長がそう言うのも無理はありません。やって来た子供屋は眉と言い鼻と言い唇と言い、顔中がピアスに覆われているのです。棘の生えたような口元でにんまりと人懐っこい笑みを浮かべると、のそのそと椅子に座る店長の元まで近づいて来ます。


「だいたい、何で夢売屋に客が来るのよ。子供のことなら、直接オレに言ってくれればいいのにさ」

「こっちに連絡があったから仕方ねえよ。けど、念のためにお前を呼んだんじゃねえか」

「へいへい、ありがとうございますよ」


 そう言って、子供屋は口元のピアスを噛みました。子供屋に限らず、ネヴラ商店街の店子たなごたちはこの店長に頭が上がらないのです。とは言えオーナーの持ってくる仕事はおいしいものが多いので、子供屋は内心ほくそ笑んでおりました。


「それに、お前のとこには猫がいるからな」

「いいでしょ、可愛いんだから」


 動物好きで知られた子供屋は、店で数匹猫を買っているのです。店長は、この猫たちに会いたくないのでした。愛猫の魅力を力説する子供屋を尻目に、動物を愛玩する神経が理解できない様子でした。


「昨夜執事に電話させたのですけど、こちらでよろしいでしょうか」


 ふと、この商店街には似つかわしくない上品な声が店内に響きました。時計の針は天辺を回っています。見ると、入り口には御高祖頭巾おこそずきんに渋いしゃの着物を着た女性がたたずんでいました。手には一本の白杖。柔和な曲線を描く目元に、目尻の笑い皺が人の良さを窺わせます。


「ああ、ここであってる。おいおい、ご婦人が一人で来るようなところじゃねえぜ」

「一人ではございませんのよ。を連れて来ておりますの。こちら、連れて入っても構いません?わたくし、目があまりよくなくて」

「お利口さんなら構わねえぜ」


 店長は立ち上がると、それまで自分が座っていた椅子を婦人に勧めました。リードに繋がれたを連れた婦人は「ありがとう」と椅子にちんまり腰掛け、彼女のを椅子の側に座らせます。


「ご婦人。紹介しておくが、今日は子供屋も呼んである。場合によっちゃ、こいつに依頼してくれてもいい」

「どうも!子供屋してます、トモって言います」

「そう……子供屋さんというのがいらっしゃるんだったら、そちらにお願いした方がいいかもしれませんね」


 婦人は、懐から一葉の写真を取り出しました。写っているのは、よわい十歳くらいの可愛らしい少年です。


「半年前に亡くなった、息子のアラタです。今日は、この子の代わりがいないかと思って参りましたの」

「亡くなられたんですか」

「ええ。下校途中の交通事故だったわ。四十過ぎて出来た子だったから、辛くてたまらなくて」

「心中お察しします。それで、今日のご用件というのはつまり……息子さんに似た年頃のお子さんをお探しということですよね」

「似ているくらいじゃだめなの。同じじゃないと。わたくしには、アラタ以外の他人を代わりとして育てるなんてできないわ。アラタが蘇ればとさえ思っておりますのに。……存じております。そんなことは不可能だって。ですから夢売屋さんにご連絡したんです」


 うつむいてしまった婦人を前に、店長とトモは顔を見合わせました。そのとき、チカチカとしていた裸電球がいよいよいけなくなってきました。店長はチッと舌打ちをすると、商品棚を漁って乳白色の蝋燭を取り出してきました。マッチで火を灯すと、燭台を置いた椅子の周りがぼうっと明るくなって、ほのかにミルクのような甘い匂いが漂います。


「ご婦人、こいつにならできるぜ」


 婦人は、はっと顔を上げました。壁際で水煙草を準備しながら、店長がトモを指さします。


「えっと、オレと提携してる施設に養子希望の子供たちが何人かいます。その中からアラタくんにとにかく似ている子を探し当ててみせますよ」

「それでも……」

「もちろん、条件にアラタくんのことは付け添えます。心配しなくても、オレがやってるのはあくまでマッチングなんで。お客さんや子供たちの意に沿わないことはしません」


 それを聞いて、婦人は溜め息をつきました。それは、安堵でしょうか、愚弄でしょうか。しばらく黙って考えている様子だった婦人は、開き直ったように声の調子を改めて言いました。


「わかりました。子供屋さん、貴方に任せましょう。その代わり、わたくしが納得できるような子でなければ……そのときはわかっていらっしゃるわね」

「はい、承知しました」


 自信に満ちた表情でトモは頷きました。それからトモは、たっぷり1時間以上に渡って婦人を質問責めにしました。アラタの体つきや健康状態はもちろん、癖や趣味特技、性癖に至るまでありとあらゆる情報を手帳に書き付けます。そして、1週間もあれば適当な子供がいるかどうかわかると言うのです。トモと婦人は、1週間後の同じ時刻に再び夢売屋で会う約束をして、その夜は別れました。




 1週間後は生憎の雨模様でした。嘔吐を催す程の湿気の中、婦人は1週間前と同じように夢売屋の椅子に座ってトモを待っておりました。


「お待たせしました。ごめんなさい、こんなに降るとは思ってなくて」


 もはや意味を成していないようなボロ傘を入り口で畳みながら、トモは一人の少年を店内に招き入れました。小柄なトモよりも一回り小さいその少年は、ほくろの位置や髪型こそ違えど先週見た写真のアラタと瓜二つでした。


「おお、わたくしに顔をよく見せておくれ」


 少年が近寄ると、霧のような婦人の視界に少年の顔がぼんやりと映ります。婦人は少年の頬に触れました。温かな子供特有の皮膚の感じが伝わってきます。


「さあ、今日から君はアラタだ。アラタくん、お母さまにご挨拶しなよ」

「……よろしくお願いします」


 か細い声で少年が言うなり、婦人の目から涙が流れ落ちました。


「ああ、何と言うことでしょう!アラタの声だわ!」


 婦人は少年を抱いて、おいおいと泣きました。泣きながら、何度も何度もトモへのお礼の言葉を並べます。トモは「お礼なんていりませんよ。御代さえ払っていただければ」と、いつもの人懐っこい笑みを浮かべたのでした。






 少年を自宅に連れ帰ってからの婦人の生活は、幸福に満ちあふれていました。婦人は少年を学校にもどこにもやらずに、一日中で可愛がりました。最初こそ新しい環境で緊張を見せていた少年でしたが、一月ひとつきもするとそれにも慣れ「お母さま」と呼ぶ声にも親しみが感じられるようになりました。子供屋の躾が効いているのか、不思議なことに少年は癖や趣味特技、性癖に至るまでアラタと全く同じなのでした。婦人にはそれが嬉しくてたまりませんでした。


「ああ、アラタが帰ってきたわ」


 婦人は幸せの絶頂にありました。ところが、しばらくして婦人は違和感を覚えるようになりました。確かに少年はアラタに瓜二つでした。言動や性向までアラタにそっくりでした。そこまでは理解できるのですが、この少年はアラタと体臭まで似通っているのです。いくら体質が近い子供を連れて来たからといって、ここまでそっくりの子供が二人といるでしょうか。もちろん、婦人は嬉しいのです。嬉しくてたまらないのです。しかしながら、アラタと少年が似ていればいるほど、薄気味悪い悪寒が背中を走るのでした。


 蒸し暑いある晩、婦人が悪寒に悩まされていると、寝室に少年が入って参りました。


「お母さま、大丈夫?具合が悪いの?」

「ああ、アラタ。大丈夫よ。ちょっと寒気がするだけ」

「そうなの?」


 それを聞くと、少年は部屋の外へ駆け出ていきました。10分ほどして戻ってきた少年の手にはティーカップ。受け取ると、温かなカップの中から紅茶と僅かにブランデーの香りが漂います。少年は得意げに、


「お母さま、寒い日によく飲んでいたでしょう?」


 と、微笑みました。


「どうしたの、お母さま。飲まないの?」

「アラタ……貴方はどうしてブランデーの瓶のある場所を知っていたの」

「……」

「どうしてわたくしが寒い日によくブランデー入りの紅茶を飲んでいたって知っているの!」


 婦人は持っていたティーカップを取り落としました。


「アラタ、貴方は一体誰なの!何者なのよ!」

「いやだなあ、お母さま。ぼくはアラタだよ」


 言うや否や、少年は獣のような声を上げて高く笑いました。






「……夢はどうだった?」


 耳障りのいい男声に婦人が目を覚ますと、そこは元のカビ臭い夢売屋の店内でした。婦人はどきどきと動悸がおさまりません。目の前では乳白色の蝋燭が燃え尽きて、細く煙が上がっています。


「どこからが夢だったのかしら」

「子供屋があんたに話を持ちかけたところからだ」

「そう……この蝋燭に夢を見せられたわけね」


 店長は先程と寸分も変わらぬ様子で水煙草を吹かしていました。トモは心配そうな顔で婦人の顔を見ています。婦人は懐からハンカチを取り出すと、額いっぱいにかいた冷や汗を拭いました。


「恐ろしい夢だったわ。わたくしは、アラタさえ戻ってくればそれでいいとばかり思っておりましたけど……違ったようですわ。死んだ人間は蘇らない。それはわたくしが一番よくわかっていたはずなのに」

「……そうだな」

「結局、誰もアラタの代わりになんてならないことがわかりました。アラタの死を受け入れないといけませんわね」


 そう言って、婦人は傍らのの頭を撫でました。


「アラタがいないのは悲しいけど、わたくしは一人ではございませんものね。この子がおりますから……これからはこの子を可愛がりながら、きちんとアラタを弔いとうございます」


 顔に、犬のようなSM用のマスクを被せられたは、婦人の手に頬擦りをしてくぐもった鳴き声をあげました。肌色の体に革のベルトが食い込みます。婦人は微笑むと、目の前の燭台を手に取って皿にたまった液体の蝋を、の刺青だらけの背中に垂れ流しました。は吼えました。それは、が車でアラタと事故を起こして以来千度目の咆吼でした。



めでたし めでたし

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