第3話 教師の鏡
春先の
ネヴラ商店街の顔屋の店内では、スマートフォンの着信音がけたたましく響きます。
「もしもし」
「……サカグチか?」
「オーナー……何か用ですか」
「客の紹介だ。うちに来たんだが、お前のところの方がいいだろうと思って」
「……そうですか。ありがとうございます」
「相変わらず
「構いません」
サカグチが言い終わるより先に、相手に通話を切られました。サカグチはチッと舌打ちをして、スマートフォンをスーツの胸ポケットにしまいました。ネヴラ商店街のオーナーでもある夢売屋の店長は、しばしば客を紹介してくれます。それはありがたいのですが、大抵紹介されて来た客というのは一癖ある客ばかりなのです。サカグチは溜め息をつきました。
「ここが顔屋であってるかい?」
ギシギシとガラス戸が開かれると、ジャージ姿の中年男が顔を見せました。サカグチが頷いて、どうぞとカウンターの椅子を引くと、中年男は後ろ手で戸を閉めながら上機嫌で入って来ました。
「こんなべっぴんさんに接客してもらえるなんて嬉しいねえ」
中年男の言っていることは、決して誇張ではありません。サカグチは男が見ても惚れ惚れするほどの、あっさりとした美人なのです。金に近い茶髪、店内の空模様の壁紙と相まって、西洋の絵画のような雰囲気が感じられます。それは、錆び付いたレトロな商店街にあって異質な存在でした。
「……お褒めに預かり光栄です。夢売屋さんからは何と言われてご来店なさいましたか」
「『あんたみたいなゲスには、あっちの店の方があってる』って言われちゃったよ」
中年男は、ちっとも気にしていない様子でガハハと声高に笑いました。マスクから出た鼻が
「いやね、聞いてよ。俺、小学校の先生してたんだけどね、教え子にした『指導』が悪いってんで懲戒免職になっちゃってさ。酷いもんだよ。可愛いからさ、どの子どもも分け隔てなく可愛がってたのによ」
「……そうですか」
「とにかく子どもには愛情が必要なんだよ。愛情は態度で示すだけじゃ駄目なんだ。やっぱり体に訴えかけないと。撫でたりさすったり、抱きしめたりさ。肉体的接触こそ愛情で『指導』する一番有効な手段ってのが、俺の教育観だ。俺ほど使命感持ってやってる教育者なんてなかなかいないよ?」
興奮して語りながら、中年男は勃起しているようでした。教師というものは得てして話の長いものなのでしょう。カウンター越しに中年男を見下ろしながら、サカグチは彫刻のような冷ややかなすまし顔で聞いておりました。
「……それで、お客様のご要望はどのような顔でしょう」
「いや、さっきも言った通りね、俺ほどの教育観と使命感を持った人間は珍しいよ。この力を世のために使わないと悪いだろう。そこで、顔を変えてもう一度教壇に立ちたいと思ってね。もう一度学校で勤められるなら、どんな顔でも構わない」
「左様でございますか。承知しました。少々お待ちください」
そう言って、サカグチは手にしたタブレット端末で何やら調べ始めました。樹脂製の手袋をはめた長い指が液晶画面を優雅に這いまわります。しばらく検索していると、どうもお目当てのものに行き当たったようで、物凄い笑みを浮かべました。
「お待たせいたしました。教員免許を保有している顔が一つ、ございました」
「おお!それはありがたいね」
「元々隣県の学校で勤めていた者の顔です。人間関係のトラブルもなく、仕事ぶりも悪くなかったとか。困窮して依願退職し実家に帰ったと聞いていますが、本当のところまではわかりません」
「それだったら問題ない。その顔をもらおうかな」
「こちらの文面に目を通していただいて、ご承認いただけましたら購入手続きに入らせていただきます」
事務的な表情に戻ったサカグチが、タブレット端末を差し出しました。中年男がその中身を読んでいる間に、サカグチは店の奥の棚から何かを取り出します。中年男は一目それを見るなり、契約文書そっちのけで釘付けになってしまいました。それは、
「こちらが、ご要望の顔でございます。運転免許と教員免許が付属しておりまして、それら込みのお値段となります」
「あ、ああ……」
「お客様の今の顔を下取りさせていただくこともできますが。下取りした分は、もちろん値引きさせていただきますよ」
「ああ、頼む」
中年男は青白い顔をして、くたびれた財布から万札を取り出しました。
「お客様すみません。お支払いは、カードか電子マネーでお願いいたします。現金は汚いので」
「わ、わかった。じゃあカードで」
「ありがとうございます」
カード決済をしながら、サカグチは今にも口笛を吹きそうな格好でした。タブレット端末で何やらカレンダーのようなものを開いて操作していましたが、それが終わるや否や雑にカウンターの上に置きました。
「お支払いが確認できました。ありがとうございます。明日、本日と同じ時間に来ていただけたら顔の設置作業をいたします。施工は向かいの
梅の季節が終わり、中年男の住む街に桜の季節が訪れました。中年男は運良く
「主任さん、すまん。今日はもう失礼してもいいだろうか」
「ええ、今日はもう仕事はありませんし、金曜日ですもんね。構いませんよ」
「では、失礼させてもらうよ」
やらなければいけないことというのは、この新しい顔に関することでした。免許証と一緒にもらった「使用上の注意」の中に、この顔になる上で守ってほしい項目がいくつか記してあったのです。そのうちの一つが、「生活が落ち着いたら下記の場所に行くこと」であったのは中年男を驚かせました。別に、この顔の前身に興味があるわけでもないし、この程度の注意書きなら守らなくとも問題ないようには思われました。しかしながら、あの顔屋の物凄い笑みが目に焼き付いて離れないのです。何か、約束を守らないと恐ろしいことが起こるような気がして、仕方がないのです。
「使用上の注意」に書かれていた住所に行ってみると、繁華街の奥まった通りにあるネオンのケバケバしい雑居ビルでした。地下に続く階段にまで、妙なお香のような臭いが充満しています。Bitchと書かれた扉を開けると、煙いほどのお香の臭いに混じっていかがわしい臭いが鼻をつきます。
「あら!ワダちゃんじゃないの!久しぶりじゃない」
カウンターの奥から、短髪で髭面の男に呼びかけられます。一瞬バーのマスターかと思われましたが、自分と、もとい以前の顔の持ち主ワダと懇意らしいこの男の見た目はどちらかというとママらしき風貌です。右腕に絡みついてくる屈強な男も、どうやらワダと知り合いらしく、親しげに声をかけてきます。
「本当!アンタ何してたの。アンタがいないからココの売り上げだいぶ減ったんだから」
「え、あの……」
「ママ、早速シフトに入ってもらうよね」
シフト……ここで働けということだろうか。そのとき、獣の
「もちろんよ。御贔屓だったお客さんもちょうど来てるし、相手してちょうだい」
「いや、いやいや無理です」
「四の五の言うんじゃないよ。アンタ、エグいプレイが好きだったくせに今更恥ずかしがっても無駄だよ。それに……」
「……」
「アタシにお金借りてるの、忘れたわけじゃないだろうね」
そう言ってママは中年男の鳥肌の立つ腕をひっつかみました。そして、ゴムとセーラー服を胸元に押しつけながら高笑いするのでした。
こうして中年男は、自分が性的に搾取される側になって愉快に暮らしました。
めでたし めでたし
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