第5話 猫に愛を妖魔に愛を

「ニャンコさんは?」


 振り返った先には巨大な影はなく、静かな雨の向こうで朝焼けがにじんでいる。

 白猫を探そうと辺りを見渡し、ここが高校の近くであることに気づいた。自宅からも都心からも遠いこの町は破壊されてなく、普段どおりの平穏な空気が流れている。


「あそこだ」


 カラカサが私の手のなかで足を傾けた。

 その方向には木々がこんもりと茂っていて、紅葉になりかけの木の間から白い猫耳だけが飛びでている。


「今度は手をだすなよ」


 カラカサはまた人型になった。


「うん」


 もう朝だ。これでうまくできなかったら父上を呼ぶしかないと、覚悟を決めてうなずいた。


 カラカサが私を背負って猫耳のほうへと駆ける。

 

 ひと息にたどり着いた場所は、ブランコやアスレチックもある公園。そこを囲う森の中に猫はいた。

 大きな猫がなるべく小さくなろうと丸まっていた。逆立っていた毛はぬれて体にはりつき、なんだかしょんぼりとしている。


 雨がイヤなのか。水がイヤなのか。だから木の下に身を隠そうとしているのだろうか。そんなの、普通の猫と変わらない。

 やっぱりあれは、怪獣でも妖魔でもなく猫だ。


『妖魔に愛を与え改心させるのもひとつの方法だ』


「カラカサ待って!」

「あん?」


 白猫へ再び蹴りを放ちかけていたカラカサが刺すような視線を向けてきた。けど、かまわず続ける。


「大きな傘になることできる?」

「はあ?」

「大きな傘になれるなら、ニャンコさんにさしてあげて」

「はあああ?」

「お願い。さしてこそ傘でしょ」

「まあ、お嬢の指示ならやるけどよ」


 カラカサは太い樹木へ駆けあがると、枝を伝いのぼっていった。


 カラカサは和傘姿となって猫耳の上空へと躍りでると、傘を広げ回転しだした。くるくるしながら傘のすそが伸びていく。猫の頭頂におり立ったときには、巨大猫をすっかり雨から防げるほどになっていた。


「エッ?」


 雨粒に細めていた白猫の目が見開かれた。雨がおさまったからか、頭にいるカラカサに驚いたからなのか、丸い黄色の瞳は上を向いてくぎづけになり、口は半開きに。


「きゃーかわいい! やっぱり猫だよ! 猫!」

「ネコ……。ワレ、ネコ」


 おっきなおめめは私を見つめてきた。


「うん。私とおうちで雨やどりしよう。猫はぐうたらして人間を癒してこそ猫だよ」


「ネコ……。ワレ ハ ネコ」


 白猫の目線の位置がだんだん低くなりだした。体が縮みだしている。


「カラカサ、もう元に戻ってこっちへ来て」


 このままでは猫が巨大傘に押しつぶされるかもと、カラカサを呼び戻す。

 傘は人型になって、隣に並んだ。


「雨やんだな」

「え。もうやんでたんだ」


 天を仰ぐと、東の端から太陽が光を放っていてまぶしい。


 くらんだ目をまばたいた。

 開けたときには、白猫はとうとう普通の猫サイズになっていた。

 ワレハネコ、と呪文のように白猫はくり返している。


「うんうん。あなたは猫。家でごろごろしよう」


 なでようと白猫の背なかに手を伸ばす。

 猫背がびくんと波打ち、毛がまた逆立った。鋭いかぎ爪が手の甲をひっかいた。

 どうやらまだ心のなかは荒れているらしい。ならば、とポシェットに手を伸ばす。


「また大きくなる前に蹴りいれとくか」

「だめ!」


 片足をあげたカラカサを制し、私は煮干しを手のひらに乗せた。


「さあ、おたべ」


 猫の鼻がひくつく。けど、後ずさった。


 私はちょっと悩んで、距離をとってみようと考えた。


 白猫の前に煮干しをひとつ、そこから三歩離れてひとつ、さらに三歩先でひとつと置いていく。

 残り二本となったときには、ブランコの前まで来ていた。


 ブランコに座り、一本は足もとへ、もうひとつは私の口へほうった。


「んーおいしい。ニャンコさんもどうぞ」


 安心させるべく猫なで声を猫に送るも、白猫はすぐには動かない。

 小刻みにブランコをゆらして見守る。

 空にあった厚い雲は縮れ、淡い桃色に染まってただよう。じわじわと太陽がのぼり、小鳥がさえずりだした。


 公園がオレンジ色に力強く照らされ始めたころ、ようやく白猫はひとつ、またひとつと食べながら前進を始めた。


 すると、街が、ビル群の風景が戻ってきた。太陽の力か白猫の心が癒されてきたからか。強力な怨念がつくりあげたまやかしが浄化されたらしい。よかった。

 でも、事後処理が大変になりそうだ。いつも妖魔が起こした被害の記憶を抹消する妖かし部隊がいるけど、範囲が大規模だから苦労するかもね。


 あ。苦笑いしたら、白猫も笑ってくれたように見えた。

 今度こそ誘いにのってくれそうな気がする。


「猫のきみは、一緒にごろごろしよう」


 煮干しを食べながら私の足もとまで来た白猫は、残り一本の煮干しにしばし視線を落とし、私を見あげた。


「ワレはもうただの猫ではなく、猫だが」

「猫は猫だよ? 招き猫、ネズミ捕り猫、眠り猫……化け猫、みんな猫だよ」


「ワレは家を壊した」

「大きくなったんだからしかたないよ」


「……ワレは猫を食べて、ワレは我を忘れた」


 衝撃的な告白。言葉を失いそうになって、白猫を擁護する言葉を探す。


「……それは、なんか原因があったんでしょ? だって、かわいい猫が化け猫になるなんて、なにか」


「そうだな」


 白猫の瞳が暗く沈んだ。過去を思いだすのがつらいのだろう。苦々しげに顔がゆがんだ。けど、白猫はぽつりぽつりと語りだした。白猫がいた家は百匹ほど猫がいたが、いつからか世話してくれる人間がいなくなったと。


 閉じられた家で猫たちは共食いするしかなかったそうだ。そして、猫を食べるごとに怨念が貯まっていき、化け猫となって巨大化したときには、自分がなんなのかわからなくなっていたんだとか。


「それは、人間が悪い。ニャンコさんは悪くないよ。

 それと、もとはちゃんと猫だったし、いまの見た目も猫だし。私と煮干し食べて、ごろごろしよう」


「……そうか。ならば、もっと煮干しくれ」


 黄色の瞳は子猫のようにきらめいた。そのかわいさに胸がきゅんとした。


 ……ああ、よかった。このコを倒さず、笑顔を見られてよかった。そうだ。これからも、このコを救ったように妖魔を助けたいな。普通のキャンパスライフを過ごすよりも。

 だから、私は、父上の仕事を継ごう。


「うん。一緒に帰ろう」


 手を広げると、白猫は私の胸へと飛びこんできた。私は抱きしめた。

 そのとき。

 グスン、とカラカサがすすり泣いた。


「オヤジさんの娘だな。いい仕事できるじゃないか」


 どうやら、妖怪も泣くらしい。パーカの袖で目をこすった。片方だけ赤いはずの目が両方とも赤くなっている。

 ハンカチを渡そうとポケットに手を突っこむ。すると、煮干しが一本はいっていた。

 お礼に渡したらどうかなと思い、ハンカチではなく煮干しをさしだす。


「カラカサがいてくれたおかげだよ。ありがとう」


「ほうびが煮干しかよ。……しょっぱいな」


 カラカサは涙ぐみながら笑った。それを見て私は笑った。白猫も腕の中で体を丸くしながら笑った。夜半よわをそっと照らす月のように。



《おわり》

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猫好き女子高生の妖しい職場体験 八木寅 @mg15

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