第4話 雨の記憶

 運命を受けいれた刹那、私は地から浮いた。カラカサが私を抱いて疾走していた。


「手刀でできたかもしれないのに」

「お嬢がオレのキックを信用してくれたらオレひとりで倒せたのに」


 ため息をはいたら、ため息で返された。


「ニャンコさんはキックでダメージ受けてる感じしなかったよ。あれで倒せそうもなかったけどな」

「そうだったかもしれない。けど、あんな危険な状況にお嬢が出ることはない。お嬢になにかあったらオレはオヤジさんに顔向けできない」


 フードの影の中でカラカサの顔はうつむいた。父上からの恩に報いたい気持ちでいっぱいなのだろうか。


「傘の役目を思い出させてくれた」


 しずくがひとつ落ちてきた。

 ……妖怪って泣くの?

 見上げると、次から次へと降ってきたのは雨。白みだした空にはうす墨インクがにじんでいる感じだ。

 そしてその空の下、白猫怪獣が私たちを追いかけてきている。そのとき。


「え、ちょっと。なんでよ」


 カラカサは和傘の状態に戻った。和傘形態の一本足でも強い脚力だけど、人型より走力が劣る。つまり、白猫につかまる可能性が高くなる。


「傘はさしてこそ傘だ」


 なんてこと。あの雨の日にカラカサは浸りだした。

 自動で開きぬれるのを防いでくれるのはありがたいけど、今は逃げるのが先決だ。


「まったくもう」


 カラカサからおりた。

 傘の足首をもって走る。

 どっちが速いかわからないけど、夢うつつ状態のカラカサよりはマシかもしれない。


 あの雨の日は私も知っている。私にとっては猫の日だけど。

 カラカサが思いだしたせいで、私も走りながら思いだしてくる。



 あのとき幼い私は父上と手をつないで歩いていた。

 突如夕立が。

 鉄道の高架下へと逃げこんだ。

 そこでは、若者がケンカをしていた。


「雨宿りしたけりゃオレを倒してからだ」


 若者のひとり――パーカのフードをかぶった男がこちらに気づき、ゾンビみたいに揺れながら近づいてきた。

 ヤダコワイと私が身をすくめたときには、父上は男の足首を握っていて、男は和傘姿の妖怪になっていた。ケンカしていた他の若者たちは逃げ去っていった。


 和傘妖怪のは人間型の一本足になっている。父上は足首をつかんだまま、普通の傘のように妖怪を頭上に突きあげた。


「おまえは傘の妖怪、カラカサだな」


 カサカサと言われた妖怪は足首をつかまれて驚いたのか、首根っこをつままれた猫みたいにおとなしくなって、うなずくようにヒザをちょっとだけ曲げた。


「傘はさしてこそ傘だ。ほら、開いてわしらの傘となれ」


 父上は右手でカラカサを持ち上げ、左手で私を連れて雨の下へとでた。


「ああいつぶりだ。ヒトのために開いたのは」


 カラカサは固まった体を伸ばすようにゆっくりと傘を広げた。

 開いた傘は穴だらけの骨むきだしだった。雨はまったく防げない。


「帰ったらなおしてやろう」


 ふふ、と楽しげな父上の笑い声は高架下に反響し――、にぃという鳴き声とともに返ってきた。


 えっ、と高架下を振り返ると、そこにいたのは小さな小さな猫。泥まみれだったから、一瞬モグラかと思った。

 ヒトか母猫かに捨てられたのだろうか。周りにはこのコの他に猫はおらず、一匹で震えていた。


 父上は私とカラカサから手を離すと、たもとに子猫をいれた。つまり、猫も連れ帰ることになったわけだ。その猫はあとで私がギンタと名づけ、ともに成長することになった。

 だから、あの雨の記憶は、私のなかでギンタとの出会いが大きい。あとは、帰り道での父上の言葉だろうか。


「妖魔退治は、害をなす妖魔を滅するのが主な仕事だが、妖魔に愛を与え改心させるのもひとつの方法だ。妖魔になりかけてたカラカサに愛を与えたようにな」


 当時、かっこいい父上の仕事に憧れていた私は、この仕事の方法を脳裏に刻みこんだのだった。



 と、私まであの雨の日に戻っている間に、白猫は――いない?

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