出航準備 1



 ドゼ将軍は、恐ろしく勇敢だ。いつだって、軍の先頭で切り込んでいく。彼は決して、自分を顧みない。いつだって、軍を優先する。


 だが、俺は知っている。

 彼は、自分の勇気を掻き立てて、戦っているのだ。



 ここへ来る前、ライン河の国境で戦っていた彼は、イタリアへ、ボナパルト将軍に会いに行った。そして、彼の「友人」になったという。ドゼ将軍は、ボナパルトの対イギリス軍に移籍し、ライン河畔を後にした。

 永久に。





 対英戦略の一環として、フランス軍は、遠征に赴くことになった。船に乗って、だ。行先はごく上層部の者しか知らなかった。俺も出航するまで知らなかった。

 それには何の不満もない。だって周辺には、いやらしいイギリス軍の密偵らがうろうろしているのだから。


 まず、イタリアへ向かったのだが、将軍に同行したサヴァリによると、あちこちの遺跡を訪れたり美術品を鑑賞したり、まるで観光客のようだったという。

 どうやらボナパルト将軍から観光目的のようにふるまえと、司令が出ていたらしい。


 けれど、行先もわからずにふらふら旅をされたんじゃ、副官としてはたまったもんじゃない。ドゼ将軍に同行したのはサヴァリだった。あいつはしつこいから、自分たちはどこへ行くのかと、何度も尋ねたという。


 ついにドゼ将軍は、

「将軍はイタリアを経由して、逃げずにローマに留まった」

と、こっそり耳打ちしてくれたのだそうだ。


 逃げずに?

 当たり前だ。ドゼ将軍が逃げるわけがない。

 


 ドゼ師団の遠征への出航準備は、イタリア、ローマのチビタベッキア港で進められた。あの頃、ドゼ将軍は、大忙しの日々を送っていた。


 武器や食料、物資の調達はもちろん、母を残して船に乗りたくないと言い出した戦隊長に、名誉と義務を説いて説得することまで、彼の仕事だった。

 それは、もうひとつの戦争だった。戦争の、祭りのような側面、活気ある、気持ちの張った時間だった。





 ローマには、ボナパルト司令官の妹、ポーリーヌがいた。彼女から、ラインの英雄・ドゼ将軍に、ひっきりなしに、サロンへ来るように、お誘いが来ていた。時には、婦人たちの私室まで出向くよう、促す手紙もあった。


 だが、俺の上官ドゼ将軍は、決して彼女らの元へ行こうとしなかった。代わりに、ドン・ファン役を引き受けたのは、サヴァリだった。サヴァリは、俺と同じく、ドゼ将軍の副官になっていた。



「ドゼ将軍は、パリにいた時も、軍人や、限られた人としか、会おうとしなかったんだ。有名人のサロンに呼ばれても、断ってばかりいて。花の都で、彼は、まるで隠者のように、引きこもって暮らしていたんだ」


 2年前の、ライン河右岸進出やケール出撃を、パリの新聞は、華やかに報じ立てた。本人の知らぬ間に、ドゼ将軍は、パリで、大変な人気者になっていた。去年の春、ディアースハイムの戦闘で脚を銃撃された時は、ストラスブール中の女性が、見舞いに押しかけてきたくらいだ。(※司令本部がストラスブールにあり、ドゼはここで療養していた)


 その後、ドゼ将軍は、ボナパルト将軍に呼ばれて、パリへ異動した。


「パリでも、ストラスブールと同じように、あちこちのマダムから、サロンへ来てくれるよう声をかけられたのに」


 サヴァリは口を尖らせた。

 ドゼ将軍が引き籠って暮らしていたということは、彼の副官であるサヴァリも、当然、どこのサロンへも出られなかったわけだ。


「サロンには、パリじゅうの美女が集まるっていうものな」

俺が揶揄すると、サヴァリはむくれた。

「違う! コネ作りだよ! 軍人だけじゃなくて、政府の人間とも、パイプを作っておくんだ。そうすれば、軍への補給が滞れば、口をきいてもらえるし、僕達の給料未払いだって、なんとかなるはず!」


 実際、ライン方面軍にいた当時は、武器弾薬はおろか、医薬、食料に至るまで、軍は不足に悩まされた。

 しかし、聞くところによると、俺らのいたライン・モーゼル軍が窮乏していた一方で、ボナパルト将軍麾下のイタリア(遠征)軍の兵士達には、きちんと給料が支払われていたという。

 フランスが貧乏なのは、知っている。政府に金はない。いったい、どういう手を、ボナパルト将軍は使ったというのか。もちろん、フランス兵士として、略奪は、厳しく禁じられている。少なくとも、ライン軍ではそうだった。



「今だって、ボナパルト将軍の親族と、接触しておくのは、とても大切なことだ。今や彼は、遠征軍の、総司令官だから」

サヴァリは言ってのけた。


「ボナパルト将軍のまん中の妹は、ルクレール将軍(*1)と結婚したばかりだろ?」


 ポーリーヌは、結婚前にジュノー(*2)と、また、あろうことか、フレロン(*3)とも噂があった。


「だが、彼には、もう一人、美人の妹さん(*4)がいるぜ? それに、養女(*5)も、大層愛らしいと評判だ」

サヴァリが鼻を蠢かす。


「下の妹は、止めとけ。ミュラ(*6)が狙ってる」

ミュラは血の気が多い。恋敵とあらば、決闘くらい申し込みかねない。こんなんでも、サヴァリは俺の同僚だ。ライン・モーゼル軍時代からの仲間だ。慌てて、釘を刺した。


「そんなつもりは全くない。あのな、ラップ」

サヴァリはむっとしたようだ。

「その時々で、力のある人間におもねることは、とても重要だ。ドゼ将軍にはそれができないから、僕が、代わりにやってるんだ」


 童顔でよく気の回るサヴァリは、ローマの女性たちのサロンで、大いに人気を博しているらしい。

 俺は、肩を竦めた。


「そんなこと言って、お前、ドゼ将軍が笑ってたぞ。『(遠征には)女性を連れていけないので、みんな、買いだめに走ってる(*7)、って」

「下品な!」

「言ったのは、俺じゃない。ドゼ将軍だ!」



ふくれっ面のまま、サヴァリは包みを取り出した。

「ボナパルト将軍の妹さんから、ドゼ将軍へ、贈り物を預かってきた」

「キャンディー(*8)じゃないか」

「うん。明らかに子ども扱いされてるな、ドゼ将軍」

俄かに暗い顔になり、サヴァリは頷いた。



 権力におもねるどころか、ドゼ将軍は、自分に与えられた名誉ある役職を、拒んでばかりいた。

 何度指揮官を命じられても断り続け、将軍たちのチーフの地位を提供されれば、即答で、これを断る。新聞がどんなに彼の英雄ぶりを報じようと、人気がどれだけ上がろうと、社交的な集まりに加わることもない。


 ドゼ将軍は、金や富や地位には、全く関心を持っていない。


 彼は、自分からはるばる、イタリアの勝者、ボナパルトに会いに行った。ボナパルトが対英軍を設立すると、麾下に入ることを承諾した。

 その時彼には、ドイツ軍の右翼司令官(旧ライン軍総司令官)という、栄誉ある地位が授けられていたというのに。


 ……「ボナパルト将軍は、優れた軍人だ。彼の栄光は、彼の下にいる者の上にも輝くだろう」


 他ならぬドゼ将軍自身から、そう聞かされた時は、唖然としたものだ。彼が、栄誉を求めている? あり得ない!

 それに、誰がどう考えても、ドゼ将軍の方が、ボナパルト将軍より、格上だ。


 たとえば、昇進は、ドゼ将軍の方が、断然、早い。

 准将brigadier は4ヶ月と2日、将軍major generalに至っては2年も、ドゼ将軍の方が早い。


 ドゼ将軍が、ライン軍の将校として、最高ランクに着いた年齢(25歳)では、ボナパルトは、しがない大尉capitaineにすぎなかった。ヴァンデ鎮圧を拒否し、パリに出てきたはいいが、金も仕事もなく、食事は一日一食、という貧乏時代である。(*9)


 格としては、ドゼ将軍の方が、断然上なのだ。それなのに、自分から、はるばるイタリアまでボナパルトに会いに行ったあげく、その下に入るなんて。


 ボナパルトにしてみれば、ライン軍の英雄が、向こうから懐に飛び込んできたようなものだ。ドゼ将軍を取り込むことによって、自らも、箔をつけることができたわけだ。



 ドゼ将軍がボナパルト将軍の部下になったことは、正直、不満だ。普通、逆だろう。イタリア軍の勝利だって、南ドイツでのライン軍の活躍があってこそだ。

 だが、俺は、ドゼ将軍が行くところなら、どこまでもついていく。たぶん、サヴァリも。








 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


*1 ルクレール将軍

 前年(97年)の戦いで、イタリア(方面)軍の勝利の知らせを運び、ライン方面軍に休戦の知らせを齎した。小説「負けないダヴーの作り方」25話「最後の命令」で、この様子を描いています。

https://kakuyomu.jp/works/16816452218559266837/episodes/16816452219031315787



*2 ジュノー

 トゥーロン包囲戦(1793)で、ナポレオンの補佐官に。後、ジュノーは、ナポレオンの下の妹、カロリーヌ(結婚後。*4)ともスキャンダルを起こしている。


*3 フレロン

 ルイ=マリ・スタニスラス・フレロン。政治家。ダントン派から、反ジャコバン派に転向した変節漢。


*4 もう一人の美人の妹

 カロリーヌ。後にミュラと結婚する。


*5 養女

 オルタンス。ナポレオンの最初の妻、ジョゼフィーヌの連れ子。一説によると、ナポレオンは彼女をドゼと結婚させようとしていたとある。

https://www.napoleon.org/histoire-des-2-empires/biographies/desaix-louis-charles-antoine-1768-1800-general/

 一方で、彼女は、ナポレオンの初期からの補佐官・デュロックと恋仲だったとも。

https://www.frenchempire.net/biographies/duroc/

 ちなみに、彼女が結婚したのは、ナポレオンの弟、ルイだが、後に別の男性(タレーランの実子)と不倫、子をなした。


*6 ミュラ

 ナポレオン時代の元帥、後、ナポリ王。ミュラは、エジプトから帰還してすぐ、ブリュメールのクーデター(1799.11)で、カロリーヌの保護を手配した。翌年、彼女と結婚。


*7

 特派員に認めた、ドゼ自身の言葉

 "Chacun fait des provisions puisqu'on ne peut (pas) emmener de dames."


*8 キャンディー

 "diavolinos" と呼ばれる飴(bonbon)。詳細わかりません。どなたか、ご存じの方、教えてください。


*9

その3年前には、故郷コルシカに帰ってばかりという、不自然な休暇が多く、軍をクビになった記録もある(彼の後任が指名されていた)





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る