第25話 魔魂晶

(はっ、母上! 俺の身体に何をしているのですか!?)


 右腕で押しのけようとしたのだが完全に痺れていて動かなかった。声を出そうにも喉が痺れている。恐らくこれは母上が行使した麻痺魔法、聖女の能力でそれを発動されれば16歳になったばかりの俺のチカラでは抗う事も出来ぬ。だが、一刻も早く何とかせねばならぬ事態だった。一糸まとわぬ姿の母上が俺の上に覆い被さり2つの生温かいものを押し付けてきていたのだから。そして、肌の温もりを直に感じると言う事は……俺も裸だった。


(くっ……、意識が飛ぶ)


 それはほんの一瞬だけの出来事だったかもしれない。本来ならば脳まで完全に麻痺して意識もないところだったが、ほんの僅かな間だけ意識を取り戻す事が出来た。その時に見えたのが母上の裸体だった。そして、俺の全身をその身体全体でまさぐる様にしているのを感じながら再び俺の意識は遠のいた。その時、微かにではあるが母上の後ろに控える人物の気配が掠めていった。


「ミンク様! ミンク様! 大丈夫にございますか!?」


 静かにまぶたを開けると俺の身体をさすりながら顔を覗き込む白い髭面が見えた。その瞬間は明らかに動揺している様子だったが、俺が静かに落ち着いて一呼吸入れたのを確認するとゴットンの顔に安堵の色が拡がった。


 俺が意識を失ったのはデライト原石を握りしめた直後の事だった。ゴットンが採掘場で黒寒の魔法力を吸い込んだと思われる原石を掘り出しジバイト葉腋に浸した状態で戻ってきたものを掴んだのである。原石の中にあった魔法力が俺の体内へ流れ込み、俺は黒寒の記憶に触れるはずだった。


「何か手がかりは見えましたかな?」


 ゴットンに尋ねられた瞬間、身体中から汗が吹き出すのがわかった。またたく間に肌着は一刻も早く脱ぎ捨てたいほどの状態に変わる。


(あれは俺の目で見た光景の様だった……。だが……)


 全く身に覚えのない記憶。母上にあの様な事をされたのであれば心の底にはっきりと刻み込まれ消えない傷として残るだろう。


「いや、何も見えなかった……」


 取り敢えずそう言う他はなかった。僅かに声が上擦ってしまっている、眼鏡女かファリスが側にいれば異変に気づかれたかもしれない。行動を別にしていたのが幸いだったと思われた。


 頭の中に沸いた物を一度洗わねば気が済まない感じがした。なぜ、黒寒の目線のものではなく俺のだった?何のあてがあるわけでもないが、とにかく何か別の事を考えられさえすればいい。もしかすると時酔いの影響か?記憶に触れるのであれば過去の人の想いを共有する行為、時の流れに干渉するのだから時酔いを起こしている身では常ならざる事が起きても不思議ではない。何かの記憶のかけらみたいな物が重なり合って生成されてしまった幻影という可能性だってあるだろう。


(これは駄目だな……。今の俺は冷静さを欠いている)


 推論を土台とし、その上に重ねた推論など意味を成さない。遠からず眼鏡女の知識か1000年を体感しているファリスの経験を求めた方がより正確なものに近づけるはずだ。何もわからぬが、今は何もわからない状態にしておくのが一番いいのだとわかっただけマシというものだ。



 これと言った収穫もなく城へ戻る事になった。まるで出迎えるかの様なタイミングで現れたのはファリスだ。


「デライト原石への魔法力注入が終わったぞよ。これである程度は時酔いを抑えられる様になるはずじゃ」


「よし! 早速試させてもらうとするか。ん? 待て……。なんだこれは?」


「せっかくじゃから妾の姿形に整えておいた。クミンの側に妾はいつもおるぞ!」


「おい! 魔法力を取り出す時はヌルヌルとしたジバイト葉腋を垂らした上でさすらねばならぬのだぞ。事情を知らぬ者がそんな俺の姿を見たらどう思う?」


「変態じゃの」


「そうだ! 少し考えればわかったはずだろ? 丸でも四角でもいい今すぐ普通の形に作り変えろ!!」


「例えクミンが変態だと思われようとも、妾はそうではないのを知っている。それでよいではないか!」


「最悪、俺はお前からは変態だと思われる様な事になろうと一行に構わん! 他の女性から変態だと思われるのが困るのだ」


「この浮気者!」


「いつ、お前と本気の間柄になったのだ!?」


 いつもの騒騒しいやり取りが始まった事で俺が戻ったのに気付いたのだろう。眼鏡女が駆け寄って来ては実にいい頃合いで言い争いに楔を打ち込んでくれた。


「クミン殿下! 魔動器杖に魔法力を充填していましたところ籠の中に変わった石がいくつか紛れ込んでいる事に気付きました。私は初めて目にしたものなのでよくわからないのですが、何か魔物と関係ある物ではございませぬか?」


 眼鏡女の開かれた右の手の平に乗っていたもの。赤、青、黄と色の種類は様々だったが鮮やかな光沢を放ち中央部に真っ黒な核の様な物が収まっているそれは1000年ほど前に確かに見覚えのあるものだった。


「魔魂晶!?」


「殿下、ご存知なのですね?」


「クミンよ、これが落ちたという事は本当にあの時のアレらは?」


 1000年以上前に魔物と戦い倒した事のある者ならば知っていて当然の事、それはファリスも幾度となく手にした物だった。


「1000年ほど前に存在した魔物そのものだ……」


 魔王と人間の戦いが行われていた頃。魔王が率いる魔物を倒すとまるで宝石の様に美しい石を落とす事が確認された。その色と大きさで持ち主だった魔物の特定も出来る様になると、それは討伐成功の証として利用される様になった。大陸中の各国が資金を提供し、強力な魔物が落とす石ほど高額の交換金が冒険者ギルドで支払われる様になったのである。数多の冒険者パーティが戦いに身を投じる様になると、町の武具屋や道具屋に宿屋では石自体が通貨の如く使われたものだった。


(しかし、俺にとってはどうでもいいものでしかなかったな。魔族はこれを落とさないらしい。つまり、俺は望む魔族ではなく魔物と戦っていた証拠なのだから)


「眼鏡女、ブレイブスクエアには一体どれほどの魔動人形が備えられていたのだ?」


「約500体と聞いております。確か私が戦った時、しかとは数えておりまぬがそれほどの数を倒したとは思いますが」


「500体と報告してきたのは誰だ?」


「ベルステンにございます……。デライト原石を他国に売却していたと言うのは偽りで、もし密かに魔動人形増産に用いていたとしたら500では済まないかもしれません」


 魔物の卵の様なものが旧魔王城の辺りに無数に用意されているとしたら?最悪の事態の片鱗が頭に浮かんだ時、その動転はまさに始まってしまっていた。足下がグラつき始め、やがて地鳴りを伴った地震へと変わる。


「アキレスの眼鏡に無数の反応が……。きゃっ!」


 敵の弱点を見抜く特性を持つ道具のレンズにヒビが入り始めていた。とても追い切れる数ではない魔物を捉えてしまった負荷がかかっているのだろう。かつての持ち主だったパルティス姉様から聞いた覚えがある。魔王城に突入する直前、レンズにヒビが入り無数の魔物が姿を現した、と。そのまま魔物の姿を捉え続けては弾け飛んでどこかへ行ってしまいそうだったので慌てて懐にしまったという。眼鏡女にもそうする様に指示を出す。


「こっ、これは……。魔物が時空の狭宮の中で現れる時と同じではないか!?」


「魔轟暴嵐界が起きた時と同じじゃぞ!」


 空間に黒い穴が空き魔物が飛び出してきた。全く同じ光景を目の当たりにした俺とファリスだが、例えるものの名称が違った。俺は時空の狭宮をよく知っているが魔轟暴嵐界というものを見た事がない。ファリスはその逆だ。俺とファリスはそれぞれの言葉を発した直後にお互いに顔を向けたまま言葉を失っていった。実際にはほんの数秒間かもしないが、それは酷く永く感じられる時だった。

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