第16話 絶界の魔王城

「これが絶界の壁にございます」


 ドスメルグ鬼岩帯。その名にふさわしくゴツゴツとした巨岩が転がる岩場、眼鏡女はその中にそびえ立つ巨大な白い石の壁を指差した。それは薄らと青白い光を放っている。


「それにしてもあれだな……、少々拍子抜けしたぞ。1000年も経つと王都レイダートと旧魔王城が橋1本で繋がっておるとは」


 1000年前。王城のテラスに立ち海の向こうにある旧魔王城を幾度となく眺めたものだ。間にある海流は激しい渦を巻き帆船の航行を許さなかった。それは魔王による城への侵入を防ぐ海上の防壁とも噂されたらしいが真実のほどはわからない。魔王城を目指した冒険者パーティはぐるりと大陸を周る様にして陸路でそこを目指したという。史書で読んだ戦いの記録、1歩進むごとに1人の友を失ったとは大袈裟だがそれほどに壮絶な戦いだった事は想像に難い。


「魔王討伐の直後、この一帯は立入禁止区域となり魔王城を取り囲む様に絶界の壁が建てられました。賢者パルティスによる結界が施されておりまして並の魔物ではあれより外に出られない仕掛けになっていたとか」


「知っている。人間の世界と魔物の世界を完全に分断する、だから絶界の壁と名付けられたのだろう」


「そうにございますが……。年代的にはクミン殿下が時空の狭宮に送られた後に建て始められたはずのものをなぜご存知で?」


「姉……、パルティスが目の前で設計図を描きながら説明してくれたからな。ところで建て始めてから完成までどれくらいの期間を要したかわかるか?」


「ちょっと難航した模様ですね、本来なら1年で出来る規模の工事に3年を費やしたと記録にありました」


「だろうな……。パルティスは魔法を操れば超のつく一流だが、筆を操れば幼児とさほど変わらぬ。よくもあれがこれになった」


 絶界の壁を眺める俺の顔をファリスが覗き込んできた。その表情にどこかつんつんとしたものを纏っている様子だ。


「ク・ミ・ン。お主、なんだそのいつになくゆるっとした面構えは。あの壁にでも一目惚れしたのか?」


「ゆるんでなどおらぬ。ファリスの瞳がゆるんでいるから俺の顔がそう映って見えるのだ!」


 ファリスと他愛もない言葉の殴打をいくつか続けながら歩く内に絶界の壁を見上げるほどの距離に迫った。壁の奥にある魔王城跡へと向かう為の入り口、頑丈そうな鉄の扉が設けられている。その両脇には完全武装した兵士が背筋をピンと伸ばした姿勢で直立していた。眼鏡女が懐から薬入れを取り出して王家の紋章を見せると兵士の1人がこくりと頷く。そして、腰にぶら下げていた角笛を口に当てるとブォーッとした音を響かせた。内側にも兵士がいて彼らへの合図がそれだったのだろう、ギギィと音を立てて扉は開かれた。


「な、なんだこれは……。既に始まっているではないか!?」


 魔導師の格好をした者達が杖を振りかざす度に宙を飛び交う炎の魔法に吹き荒れる風の魔法。手に手に剣や槍を携えた剣士やら戦士が数多の魔物の群れに斬り込んでいく。うすらと危惧した程度の魔王復活だったが現実に起きてしまった。そのど真ん中へ飛び込むべく背負った剣の柄に手をかける。


(しまった! 肝心な時に10歳の身体とは……)


 その時、俺の左脇に控えていたファリスの姿が目に入った。あらぬ方に向いて口を大きく開けながらけだるそうにしている。それは、明らかにあくびだった。


「ファリス! この様な切迫した状況で何をしている!?」


「ん? 見ての通り耳をほじっておるだけだ」


 次いで右脇に目線を走らせる。そこには愛用の杖を一心不乱に磨き上げている眼鏡女の姿があった。別に今しなくてもよかろう事を殊更熱心にしているという事は、俺に何か尋ねられるのを避けようとしているのだろう。


「おい! 眼鏡女。目の前の光景とお前達の身構えがちぐはぐな理由を説明しろ」


「えぇーーと。私がちゃんと魔王城の現状をすぐに説明しなかったのがいけなかったのかもしれません……。ここは、王国立勇者パーティ体感遊戯園『ブレイブスクエア』となっております」


「勇者パーティ体感遊戯園だと? なんだそれは!?」


「簡単に申せば、勇者パーティに成り切って遊べる公営の施設にございます。魔動源で動かしている魔動人形の魔物を相手に、1000年前の戦いの雰囲気をお客さん達が味わっているわけです」


 そう言われて魔物の中で一際目立つドラゴンに目を凝らす。咆哮をあげて尻尾を振り回して人間を攻撃している様に見えるが、それを繰り返しているだけで人間を仕留めにいこうとする致命攻撃を繰り出すわけではない。暴れまわっている様に見える魔物は全て遊具なのだとわかった。よく見ると身体に刻印された王国の紋章と個体を整理する為の割り当て番号の様な数字があった。


「つまりは勇者ごっこか……」


「殿下、まさしくそれにございます」


「俺達の時代は木の棒を振り回して人間同士で勇者役と魔物役に分かれてやっていたものだが……」


「はぁ? そんな程度で勇者気分に浸れるものにございますか?」


「くっ……。何だかよくわからぬが魔王と戦った歴史をバカにされている様で腹が立ってきたぞ!」


「クミンよ。お主が1000年前の時代遅れな人間というだけじゃ! その引け目を今時の若者文化の否定としてぶつける様ではおじさんじゃぞ。わっはっはっ!」


(くそっ。ファリスごときの物言いに反論出来ぬとは)


「眼鏡女!そう言えば俺がここに来るのを渋ったな。あの反応は何だったのだ!?」


「勇者ごっこをする場所に、伝説の勇者のご子息である本物の勇者候補を連れてくるのはいかがなものか? ふとそう思ってしまったもので……。特に今の殿下は10歳のお姿ですのでバカにされたと思って激怒するのではないかと……」


「ぬぬぬぬっ……。これが1000年も隔てると言う事か、よもや魔物を模した人形と戯れる時代が来ようとは思わなかった」


「くっあははつ! 同じ1000年でも引き篭もって暮らしたクミンと時の流れを見守った妾では、1000年の意味がかわるものよの。いや、あれだ。ルディナスを勇気づけようとしたクミンは傑作じゃったぞ、まさしく勇者じゃ。のっははははっ!!」


「くぬぅ。ファリス! お前も途中で俺の誤解を指摘出来たはずだ。よくも泳がせてくれたな!?」


「あの何とも勇ましいクミンを忘れて欲しいか? ならば妾と今すぐまぐわうのじゃ!!」


「調子に乗るなーーーー!!」


 右手に集めた魔法力が一気に爆ぜる。紅蓮の炎をがファリスを直撃し包み込む。本来なら相手を一瞬で蒸発させるほどのものだがファリスの聖繭の衣は完全にそれを防ぎ、逆に炎を消し去っていく。一瞬の怒りの高ぶりはあるものの、もちろんそうなるのがわかってやっていた。お互いに少々チカラを付けすぎてしまったかもしれないが幼馴染同士のケンカである事に違いはない。しかし、ついていない時とはつくづくついていないものでそれが新たな患いを招き込んだ。


「今のものすごい炎魔法、背負っている魔動器剣で発動したのですか? どこのメーカーのものでもなさそう……。もしかして自作!?」


「あれだけの炎を瞬時に消しちゃう防具もすごいですね! あれ、このエルフさんはただの布切れみたいな服しか身に着けていない様な……」


「くそっ、お前ら近寄るな! 勝手に剣に触るな!!」


 勇者ごっこに興じていた中でも殊更にその世界にどっぷりと浸り過ぎた者達に取り囲まれ、好奇の眼差しを浴びせられながら勝手に身に着けているものをまさぐられる。身体の至る所から気持ち悪い感触を覚えているが、だからと言って一瞬で吹き飛ばすわけにはいかない。人間とは魔物より質の悪い存在かもしれない。そう思った時、取り囲む集団の中に異質な存在を感じ取った。その者の手は眼鏡女の懐に侵入すると何かを掴みとっている。普通の者ならば簡単には気付かない速さに達していたかもしれないが、俺の前ではそうもいかなかった。


「おい、眼鏡女! 何かをすられたぞ、目の前を走って逃げているガキだ」


 重装甲の戦士や法衣で身を包んだ魔法使い。その様な格好で俺達を取り囲む勇者ごっこのやつらでひしめいていた人の輪の中をひょいひょいと駆け抜けていく子供。その手に握られていたのは王家の紋章が入った薬入れだった。本当ならば俺が駆けて追いついて捕らえてしまえばいいところだが、勇者ごっこのやつらの前でチカラを使い過ぎるのは何かと面倒な事になりそうだ。眼鏡女ならば魔動器杖の効果を適当に組わせる混成魔法でなんとかするだろう、と思ったのだが何かをする素振りはなさそうだ……。


「ぐわっ! なっ、なんだこれ!?」


 そう言葉を発したのは逃げている最中の子供だった。完全に脚は止まりその場にただ立ちすくしていた。そして、何がどうしたのかわからぬがそうなってしまった子供の姿にわずかばかり同情したくなったものである。


「あれでは……、すこぶる気持ちが悪いだろうな……」

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