第14話 怨因

「ブブブブッ……! クミン、それはもうやめよ」


 その原因が過呼吸状態の苦しさだけにあるのかは不明だが顔を紅潮させたファリスが半ば強引に唇を逸した。


「取り敢えず聖繭せいけんの衣とやらを使わないと約束するならやめてやるが、どうだ? 詠唱を続けている間しか発動出来ないのだろ?」


「憎っくきクミンを成敗するのだ、使うに決まっておるじゃろ! さあ、それが恐ろしくば再び唇を重ねるがよい」


「やめろと言ったり続けろと言ったり、せわしないやつだな」


 そうは言うものの、今度は目を瞑ってその瞬間を堪能しようという気満々のファリスに再び聖繭せいけんの衣を発動させる気配は感じられなかった。


「そうじゃクミン! どうしてお主は1000年を越えて今も生きておるのじゃ!? しかも、1000年前より少し若返っておるとはどういう事じゃ?」


「話せば長くなる事情があってな。それより、お前の恨みを買う様な事をした覚えはないのだが、俺は何かしたのか?」


「私と結婚する約束をしていたのに1000年前突然姿を消してしまったではないか。しかも、遠い異国でそこの姫君と結婚したのじゃろ」


「待て、色々とおかしな話になっている。まず、お前と結婚の約束をした覚えはないぞ」


「何を言うか! 1010年と3ヶ月と2日前にこの木の前で誓いあったではないか。あのタコの絵はお主が約束の証として刻んだものじゃ」


「その頃俺は6歳だぞ。そんなものは子供同士の戯言ではないか!」


「妾は50歳の年頃娘だった、本気に決まっておるじゃろ!」


 このまま2人だけで話し続けさせては再びファリスの怒りが燃え上がってしまうとでも感じ取ったのだろう、眼鏡女が間に入って話題をずらす。


「ところで、クミン殿下が異国の姫君と結婚した話はどこの誰から聞いたので?」


「なかなかお主が迎えに来ないから王宮を訪ねた時に賢者パルティスから聞かされたぞ。だから、もう私との結婚は叶わぬ、と」


「話をややこしくしてしまったのは我がご先祖さまでしたか……。クミン殿下、ファリス殿、先祖に変わって末裔たるルディナスがお詫び申し上げます」


「いや、俺が時空の狭宮に送られるのは王国の一部の者しか知らない機密事項で表向きは異国へ養子に出された事になったはず。いつ帰還するかもわからない俺を諦めさせる理由を咄嗟にパルティスが考えたのだろう」


「時空の狭宮?」


 1000年前に何が起きて、それから1000年後の今に何が起きたのか。全ての事情を打ち明けた。最初は半信半疑といった様子で聞いていたファリスだったが、なにより今の時代に存在しないはずの俺が存在してしまっている現実を見せられているのだから理解は早かった。少なくとも遠い異国で他の女性と結婚したと信じ込んでの恨みは消えた様子だ。そして、1000年の時を越えた俺の身の上をわかってもらった上で癒しの巫女を訪ねた本題に移る。



「それでだ。時酔いらしき現象を癒やしの巫女と呼ばれるお前のチカラで治す事は出来るか?」


「子供の姿に戻ってしまうくらいだから時の焦点が定ままらぬ程の重症じゃの。だが、出来る。……かもしれぬ」


「出来るのか出来ないのかはっきりしろ!」


「まずは聖繭の衣の説明をした方が早そうじゃの。あれは妾の癒しに特化した魔法力を使ってどんなに傷付けられてもすぐに再生する魔法の糸で衣を編む術じゃ。人間とは逆で癒されれば傷付くのが魔物というもの、衣に触れれば癒されて崩壊する」


「ん? それでは俺に体当たりしたところで癒されるだけで砕けるわけではなかったのか?」


「何でも程よい加減というものがある、治癒する必要のない者に治癒の魔法力を注げば治癒酔いを起こす。元気が出過ぎてラリってしまうのじゃが、妾ほどの魔法力でそれをやれば元気が爆発して相手はたちまち廃人になる。砕けたのは魂じゃ、フォホホホホッ!」


「巫女様、笑いながら恐ろしい事をおっしゃらないで下さいませ。怖さ倍増にございます……」


 天を仰ぎ見て高笑いしていたファリスだったが急に神妙な面持ちに変わり話を続けた。


「妾の魔法力をクミンの身体にわけてやる方法がないわけではない。さすれば重い時酔いと言えど癒やしのチカラで抑える事は出来るじゃろう。それには少々協力してもらわねばならぬが?」


 ファリスは目を細めながらうつむき加減になっている。何か言いづらい深い事情でもあるという様な素振りだ。


「何をすればよい?」


「妾と熱く愛おしくまぐわうのじゃ! 生命出る処が通じれば、そこを道として癒やしの魔力を移す事が出来る。フォッフォッフォッ」


「ファリス! あの虚ろな表情はそういう事か、言いながら自分でニヤけてしまうのを予防する為に顔を作ったな!?」


「クミンは時空の狭宮とやらに閉じ込められて、女生の柔肌に1000年も触れておらぬのじゃろ? 人間の16歳の身でそれは地獄じゃろ、妾の身体をいくらでも好きにするがよい」


あっと言う間に衣服を脱ぎ捨てたファリスが覆い被さってきた。妙に柔らかいものを顔に押し付けられてたちまち息が苦しくなる。


「今の俺は10歳の身体だぞ! ファリスは自分がどれだけヤバい事をしようとしているかわかっているのか!? おい、眼鏡女。法に照らし合わせるとファリスはどうなる?」


 いつもなら。俺とファリスが険悪な雰囲気になりそうだったらすぐに割って入るつもりで眼鏡女が控えているのだが、今回はそのタイミングを失してしまった様だ。ただただ顔を赤らめて突っ立っていた。


「死罪にございます」


顔面蒼白になったファリスの動きが止まった。その瞬間を丁度良しと見計らったかの様に眼鏡女が頭の中に浮かべていたものを外に出す。


「魔動器杖を使って魔法力を移し替えるのはどうでしょう?」


「移し替えるだと、出来るのか?」


「あまり使わない魔動器杖に充填しておいた魔法力を体内に戻してから他の魔動器杖に再充填する事があるのです。方法はそれと同じです」


「それだ! でかした! さすがは賢者パルティスの末裔」


「チっ!」


 眼鏡女は背中の籠を下ろすと何本あるのか数える気も起きない杖の中から1本を選び出した。傍目には乱雑に突っ込まれた杖の束、何回見ても一体どの様に整理しているのかわからぬが眼鏡女は迷う事なくそれをやってのける。


「クミン殿下、このジバイト葉腋を手の平に満遍なく塗って下さいませ。これはジバイトの木の葉をすり潰したもので魔動器杖から魔法力を吸い出す効果がありますので」


 眼鏡女は王家の紋章が入った薬入れから小瓶を取り出してヌルヌルした液体を俺の手の平に注いだ。これが魔動源を活用した今の時代の便利な生活を支える重要な素材の1つらしい。都市中の地下に管を張り巡らせ、ジバイト葉腋に染み出した形で魔動源を都市の隅々まで行き渡らせている。それを施設や住居が組み上げる事で生活のあらゆるものに魔動源を活用出来ているらしい。


「ファリス殿はこれに魔法力を注いで下さいませ!」


 当のファリスは渋っていたが俺の顔を見てやるしかないのだと察した様だ。俺はひと目ではっきりとわかるほどに怒りの顔を作っておいた。ファリスが杖を握って詠唱を始めると杖が青白く輝き始める。キュゥゥゥゥーーーーン、突如何やら耳障りの悪い金属音の様なものが響き始めた。


「おい、眼鏡女。なんだこの音は?」


「さっ、さあ? 魔動器杖からこの様な音がしたためしがございませぬので……」


 その音は徐々に大きくなる。これ以上聞き続けては鼓膜が破れそうだと思った瞬間の事だった。ボン!ズッドーーーーン!杖の先端が外れて遥か彼方へ飛んで行った。


「何がどうなった?」


「わかりませぬ……。が、杖が壊れたのは確かです」


「わっはっはつ! クミンよ、やはり妾とまぐわうしかなさそうじゃの」


 レイクウッド枯れ地。とてつもない巨木が1本あうだけで他には何もない寂れた場所にファリスの艶に満ちた高笑いが響いていた。

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