第13話 聖繭の衣

 癒しの巫女と呼ばれるエルフによる高高度からの頭突きで虫の魔物の右前脚は粉々に砕け散った。傷口から緑色の体液をドロドロと垂らしながらもだえている巨躯の足下には当のエルフが頭の先から地面に突き刺さっていてピクりとも動かない。不思議な事にその辺りを中心に、ただの土だったところに草が芽吹き始めている。その現象を引き起こしているであろうエルフの身体はうすらと青白い光を放ち続けていた。何とも異様な光景がしばらく続いた後、先に次の行動を採ったのは虫の方だった。


「ギシャァァァァーーーー!」


 金切声を上げて左前脚を水平に一閃させる。その先にあるのは地面に突き刺さったままのエルフの胴体、爪が直撃すれば上下に真っ二つになってしまうだろう。ただし、そう思っているのは虫の魔物だけではないか。バギーンと虫の魔物の左前脚が砕けた。


「殿下、攻撃は最大の防御などと申しますが防御が最大の攻撃になってしまう場合もあるのですね」


「あいつ、性格だけではなく身体もガチガチだったか」


「ちゃんと聞こえておるぞ! か弱い乙女に向かってなんとも不躾な物言いじゃ」


 エルフは地面に両の手の平を当てて力を込め自らの頭を引き抜きながら言い放った。一体何をどうしているのかわからないが顔にかすり傷の1つもついていない。そのまま両腕を屈伸させ反動で跳び上がるとくるりと1回転して脚から着地する。


「無視してやるつもりだったが丁度いい。こいつでウォーミングアップが済んだら次はクミン、お前の番じゃ!」


 エルフは虫の魔物に向き直ると何の構えをとるわけでもなく無防備な身体を晒し出した。それだけ見れば完全に隙だらけ、どこからでも致命的な一撃を浴びせる事が出来る。2回の攻撃で2本の脚を失う羽目になった虫の魔物、さすがにもう残りの4本を繰り出す様な事はしない様だ。大口を開けてエルフを丸呑みにしようとした。硬い身体を使った攻撃が効かないのであれば体内の消化液で溶かしてしまおうという事だろう。その口がエルフの頭に届こうかという瞬間、エルフの身体の輝きが更に増した。


「殿下、さすがにこれはまずいのではありませんか!?」


「あぁ、きっと不味いだろうな」


 エルフの姿が魔物の虫の口の奥へと消えてからほどなくしてバギバギと音がし始める。そして、虫の巨躯が完全に弾けるとそこには青白く輝くエルフが立っていた。


「待たせたの、クミン!」


「その前にだ。他に止めの刺し方はなかったのか? もしや最初からこの状況を狙ったのではあるまいな?」


 虫の魔物が弾けた時。その肉片やら緑色の体液やらがまき散らされ横殴りのシャワーを浴びせられる羽目になった。エルフが住む巨木を登る際には大量の柘榴の実を浴びせられて赤く染められた、そこに緑色まで加わりえもいわれぬ姿になってしまったであろう事は同じ目に遭った眼鏡女を見ればわかった。しかも、衣服の内側はベタベタ感とドロドロ感が混じり合って更に気持ち悪さ倍増といったところだ。


「偶然じゃ。しかし、1010年と2ヶ月と3日前の行いが悪いとちゃんとバチは当たるものじゃの」


「殿下、随分と具体的過ぎる過去を示して来ましたよ! 相当に恨みが深いのだと思われます……。いい加減に何をしでかしたか思い出して下さい」


「6歳9ヶ月362日の時の事か……。えぇい! それがわかったところでどうにかなるものでもあるまい!!」


「クミン・バルディア! その罪を購うがよい、砕けてしまえ!」


 おそらくあいつ?と思えるエルフは虫の魔物との戦いで乱れた髪を右手で軽く撫でで整えると猛然と突っ込んできた。同時に青白い光が輝きを増している。そして、エルフの通った後には草が芽吹く。それは、さながら緑色の絨毯が流れる様に敷かれていく様な光景だった。どれだけ効果があるかわからないが、ものは試しと土属性の魔法を発動させた。瞬時に大地の一部が下から押し出された様に地上に突き出て土の壁となる。その直後には頭突きで壁をぶち破る様にして巫女が姿を現す。


「そんなもので妾を止められるものか!」


(ん? 今のは)


 全身を包んでいる青白い光が一瞬だけ消えた。しかし、巫女が突進を続けるとすぐさま元の輝きを取り戻す。これで脚を止めようなどとは微塵も思っていないが再び土の壁を現す、今度は立て続けに2枚、3枚、4枚ーーーー10枚。これだけ並べれば目先の奥の方で起こる音も小さく聞こえる。バキンと砕ける音が何回か聞こえ、次第にバゴンと大きな音へと変わっていく。


「そろそろか」


 一際大きな破砕音がしたすぐ後、目の前に巫女が姿を現した。ただし、俺は土の壁の後ろに立ち続けて到着を待っていたわけではない。土壁をぶち破る音がある程度大きくなったところで跳び上がり、今は巫女の姿を頭上から捉えている。当の巫女は突進が空振りに終わった事に気付きキョロキョロと辺りを伺っている。


「どこに隠れた? 卑怯者のクミン!」


(やはりな)


 青白い光をまとっていない巫女に向かって落下する。


「隠れたのではない、間抜けにもお前が見失っただけだ!」


 手に持つのは魔法力で形作った風の剣。轟剣ヴァジュラであれば巫女の青白い光に当たっても砕ける事はないだろうとは思ったが、今度は巫女を傷つけてしまうかもしれない。実体のない剣、しかも刃に当たる部分を発生させていないので実際には棒の様なものだ。それを巫女の頭に向かって打ち付ける。バシュューーと空気の抜ける様な音がして青白い光に阻まれる。


「そんな子供のおもちゃの様なもので、この聖繭せいけんの衣を破れるとでも思うたか?」


「破れるとは思っていないさ。それより、そのチカラは聖繭せいけんの衣と言うのだな」


 短く他愛もない言葉を交したところで2擊3撃と打ち込む。相も変わらず空気の抜ける様な音がして青白い光に弾かれるだけだったが、それでよかった。


「そう言えば、1010年前にこうやって木の棒で打ち合って遊んだな? ファリスよ」


「ようやく妾の事を思い出したのか!? 昔はもっとマシな男だったが1010年も経って随分と薄情な男に成り下がったものじゃの!!」


「その頃俺は6歳だぞ。男などど呼べるものではない、ただのガキだ」


「男は男じゃ! 結婚を誓っておったのに他の女生と結ばれるとは……。私の涙分の償いをこの場でさせてやるのじゃ!」


「ファリスよ。あの頃5歳だった俺は何歳になったと思う?」


「これから決着をつけようという時に何をおかしな事を言っておる。1010年と3カ月と2日経ったのだから1016歳に決まっておるじゃろ!」


「おかしな事を言っているのはお前だ、エルフならその歳もあり得るだろうが俺は人間だぞ」


「あっ!……」


 本来なら体当たりをするつもり突っ込んできたファルスの勢いは止まらない。そして、展開されているはずだった青白い光も存在しないまま俺達の距離はグッと近づいた。取り敢えず、向こうの気が急に変わって再び青白い光を出されるのを防ぐ為、ファリスの唇に俺のそれを重ねる。それは1010年ぶりの感触だった。

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