第5話 ボルス城司の憂鬱

「ふぅ〜〜。こんなに旨いイノシシは1000年ぶりだ! さすがに少々食いすぎたか」


「少々どころではありません! 20人前は食べすぎです」


「ならず者を退治してくれたお礼にいくらでもどうぞ、店の者がそう言っておったではないか?」


「それでも限度というものがございます。せっかく感謝されておりますのに、度が過ぎるほど食べてしまっては迷惑に思われる方が勝ってしまいます。ズレているのは時間の感覚だけにして欲しいですわ」


「ん? 何か申したか? 最後の方にため息まじりで小声で言った事が聞こえたぞ。音も戦況をつかむ判断材料になる、俺が耳を鍛え忘れているとでも思ったか?」


「いえ……」


 微妙な沈黙の瞬間を待っていたかのタイミングで店の主が姿を現した。


「お客様、お食事はお済みの頃でしょうか? ボルス城司様からのお使いと申す者が訪ねて来ておりまして、暫くお待ち頂いているところにございます」


「城司からの使いだと?」


 国王から城塞都市ボルスを預かる最高責任者、そんな仰々しい者から使いが来るなど全く身に覚えがない事だ。王家のタコ紋章をどこでも出していないのだから王族だと誰にも知られるはずがなかった。とすれば……。眼鏡女を手招きして近くに呼び寄せては耳元で問うてみた。


「お主は賢者パルティスの末裔として王の側に使える身であろう。役人達に知れた顔なのではないか?」


「側近として人前に出る際は白の法衣姿にございます。今はどこにでもいるただの町娘スタイルに変装しておりますのでその可能性はないかと思いますが」


「王家に近い者と知られると何かと面倒だ。俺はいちいち社交会とかいう退屈なものに付き合うつもりなぞないからな」


「私も正体がバレると厄介にございます。せっかくの旅の機会ですから密かに各地の政を色々と探るつもりでおりましたので」


「では、いざとなったら白を切り通すぞ。よいな?」



 店の主へ訪問者を通す様に伝えてからほどなくして城司の使いとやらが現れた。


「イノシシの狩場を占拠していた賊を捕らえて下さいましたのはあなた達でございますね? 城司様が是非ともお礼をしたいと申しておりましてお迎えにあがりました」


「賊退治の礼だと? 城司には関係あるまい。それに礼ならば既に店の主から充分に受けているのだが」


「本来であれば城から兵を出して捕縛すべきとろでしたが、故あってそれがままならず……。そこを旅のお方に救って頂いたので感謝しているという事にございます」


 とりあえず、王家に近い者達と察知されて面倒な催し物に引っ張り出す為の迎えではなさそうだ。ならばもらえる物はもらっておくとしようか。



 城司の役宅に到着するとその脇に見覚えのあるものが立っていた。イチイの木は長いもので樹齢2000年に届くと言われるが、それは本当なのだろう。幹は随分と太くなってはいるが、1000年前に見たのとさほど変わらない姿に思わず目が留まりしばらく眺めていると眼鏡女ルディナスが尋ねてきた。


「何か懐かしい思い出でも?」


「そうだな、ここは俺の便所だ。そこに城司の役宅が建っているとは面白い! イノシシ狩りに赴いた際、この木の根本に向かって小便をかけていたものだ。その養分でここまで立派に育つとはな」


「確か王子という御身分だったはずですが、その様な事を……」


「せっかくだ、1000年ぶりにするか!」


「ギャーーーー! 絶対にまずい展開にしかならないのでお止め下さい」


「そうだな、目立つ行動は控えるか」


「問題はそこじゃないと思うのですけど……」



 役宅へ入ってから通された応接の間はなかなかに豪勢な一室だった。壁には鹿の首の剥製レリーフがかけられ、時代もののよくしつらえられた甲冑が2体飾られていた。ただ、1つだけ奇妙なものが。


「眼鏡女、あの下手くそな絵を客の真正面にくる様に御大層に飾ってあるのはなんの冗談だ?」


「ひーーーーっ! 画聖ペカノの絵を下手くそ呼ばわりとは……」


「あんな落書きで画聖などと称されるとは……。1000年で芸術は随分と退化した様だな」


 部屋に通されてすぐメイドの淹れてくれた紅茶がそろそろぬるくなりかけている。一息に飲み終えた時、役宅の主が姿を表した。


「大変お待たせして失礼致しました。城塞都市ボルスを預かるトレジットにございます。此度は賊の討伐をして頂きまして感謝しております」


「いや、礼には及ばん。1000年ぶりにイノシシ料理を味わいに来たらその妨げとなっている者がいたから排除しただけだ」


「はて、1000年ぶり……にございますか?」


「城司様! 我が主は時間の流れを大袈裟に言う癖がございまして、1年を1000年などと盛っておるのです。あまり気になさらないで下さいませ」


「なるほど! それだけ当地の名物料理を心待ちにしていたとの気持ちが込められているのですね。ありがたい事にございます。ところでお2人ともかなりの腕前と聞きましたが、実は高名な冒険者様という事はありませんか? 私めがお顔を存じ上げていないだけで失礼していたら申し訳ありませぬ」


 俺が名乗ろうとしたところで眼鏡女が割って入って先に答え始めた。


「ただの旅する行商人でございます。仕入れで物騒な地帯に足を運ぶ機会もございますので身を守る最低限の備えを身につけているだけです。こちらが主のミンク、お仕えする私はナスルデと申します。以後、お見知りおきを」


「そうでしたか。このボルスにもよき品があります故、市場の方へも是非とも足を運んで下さいませ」


「ところでトレジット城司にお尋ねしたい事があります。わざわざ役宅にお招き頂いたのは賊討伐の礼以外にも何か用件があるのではありませんか?」


 姿を表してから穏やかな様子で話し続けていた城司だが、眼鏡女の問いに反応して明らかに表情が曇った様子だ。


「あれだけの賊をたった2人で撃退しただけあって、さすがにございますな」


「使いの方が申しておりました。本来ならば兵を出して賊を捕らえるべきところだがそれが出来ない、と。つまり、それ以上に必要な事が起きていて手が足りないのではありませんか?」


「まさしく、そうなのでございます……。これは他言無用でお願いしたき儀にございますが、領内に魔物が現れたのです」


「なっ、なんと!? 魔物ですって?」


「出るはずのないものが出てしまった……、のです」


 城司トレジットの眉間に刻まれた深いシワ。そして、表情の変化が大きすぎて完全に眼鏡がずり落ちてしまった眼鏡女の顔を見れば事態の深刻さに察しがついた。俺の知る1000年前の世界は魔王討伐が成ってから日が浅く、国の隅々には魔物の残党の様なのが巣食っていた。それを勇者アレグストと呼ばれた男や王国の騎士団が討伐に出て処理していた。俺もその一行に加わった事がある。

 あの頃、魔物はそれほど珍しい存在ではなかったのだ。


 それから1000年が経過する中で次第に姿を消していき、ついには話の中にだけ登場する存在となったのだろう。それが再び姿を現したとは……。

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