第4話 ボルスの地

 時の流れがとまる時空の狭宮。賢者パルティスが独自に編み出した呪法で創られた空間は何とも不思議な場所だった。修行の相手として魔物を狩り、死なない程度にヘトヘトになって動けなくなる。暫くするとまた別の魔物が沸いて出る。俺が少々無理をすれば何とか倒せる程度の絶妙な強さを持つ魔物が現れ続けた。


 時がとまっているとは言え身体を動かせば腹は減る。その日の気分で適当に獣や魚を狩っては火属性の魔法で炙り、まるでエサでも頬張る様に食らった。料理の類が一切出来ないのだから仕方がなかった。つまり、俺は人間の食べる料理らしい料理というものを1000年も口にしていなかった。それだけに、王城を後にした俺はかつてボルス村と呼ばれた地へ一直線に向かった。死ぬ前に食べる最後の晩餐というものがあるが、死ぬ様な思いを経ての最初の晩餐に選んだのはあのイノシシ肉料理だった。


 王都レイダートから東。馬を走らせれば半日程度の距離にあるボルスの地へ向かった。ただ、実際に使ったのは馬ではなく魔動車だ。馬に乗って移動すれば徒歩より遥かに楽ではあるがそれなりに体力を使う。その疲労感で移動した長さを体感出来るものだが魔動車にはそれがなかった。乗った直後は便利だと感じたものだがすぐに退屈を覚えた。



「な、なにっ!? イノシシ肉と高原野菜のシチューが出来ないだと? 俺は1000年も待ちわびたのだぞ!」


「はい? 1000年も待った?」


 首を傾げた店主の様子に慌てて眼鏡女ルディナスが答え始める。


「我が主の誇大表現癖でございまして、1000年待ったと言ってもいい程に待ち遠しかった、と言う意味です」


「ああ、なるほど。ですが大変申し訳ございません……。猟師たちから急に肉の入荷がなくなってしまい手前どもも大変困っているところでございます」


「どうしても狩りに出られない理由でも出来てしまったのでしょうか?」


「まだ詳しくはわかっておりませぬが何か不足の事態が起きてしまったのではないかと……。猟が出来なければ彼らも生活に困るでしょうからそれ以外は考えられません」


「クミン殿下、いかがなされますか? お食事がしたいのであれば他をあたるしかなさそうです。幸いにも城塞都市ボルスには様々な食材を使った料理の名店と呼ばれる処が沢山ございますので」


「店主、イノシシ肉さえ手に入ればシチューは作れるのだな?」


「はい、そうにございます」


「よし! いつもやっていた事だ、俺が獲って来てやる」



 1000年前にイノシシの主な狩場になっていたのはボルス山の麓の辺りにある草原だった。周囲の森には餌となる木々の実が豊富で程よく肥えたイノシシが草原のあちらこちらを駆け回っていたものだ。深い緑色の草木に包まれたその一帯に足を踏み入れた時、ここは1000年前と何も変わっていないのだと思えた。1000年間の時が止まった草原に親近感を覚え始めた時、前方から2人の男が現れた。


「今日もダメだ……」


「参ったな〜〜。あいつら、一体いつまで居座る気だ……」


 姿格好からして猟師だろうと思われる2人はがっくりと肩を落としため息混じりの会話をかわしていた。目ざとく眼鏡女ルディナスが2人に近づいて尋ねる。


「イノシシ猟の方ですよね。どうされました?」


「ん? 最近になってならず者たちが狩場を独占してしまって猟が出来ないのさ……。イノシシを獲ったら殺す、と脅されてはな〜〜」


 とぼとぼと手ぶらで帰路につく2人の背中を丁度見送ったところで辺りが騒がしくなり始める。ズダダダダダダッ!けたたましい重音が辺りに響くと小さな獣の悲鳴の様なものがいくつも上がった。すぐ様、眼鏡女に目配せをすると音のした方へ駆け出した。



「ぐはははっ! 今日もたんまり獲れたぜ。後はいつも通り塩漬けにして寝かせておくだけだ」


「お頭! これでボロ儲けですね。独占して不足気味にして値段が思いっきり吊り上がったところで一気に売り捌く」


 草原の中から姿を現したのは実にガラの悪い男達だった。ざっと見て15人はいるだろうか。1つ気になったのは全員が肩に妙な棒状のものを背負っている事だった。きっと俺の知らない1000年後ならではの道具なのだろう。こういう時の為に眼鏡女ルディナスを連れてきた。


「あの棒は何だ? もしや先程の妙に重い音と関係があるのか?」


「魔動銃にございます。あの棒は筒状になっていて風属性の魔法力が注入されております。筒の中で突風を連続発生させて鉄の球を撃ち出す道具でして、基本的には王国軍にしか装備が認められておりません」


「ほぉ。では、そんな物を違法に所持してイノシシ肉の値を不当に吊り上げようとしている者は成敗して良さそうだな?」


「ただ、あれほどの魔動銃の数では迂闊に手は出せないかと……」


「充分に見切った。あんなものを連射したところで大した事はない」


「そっ、そんな! クミン殿下、危のうございます」


「お主の先祖、賢者パルティスが連続で放つ風魔法に比べればそよ風程度の速度でしかない! まあ、1000年修行するというのがどういうものかお主は黙って見ておるがよい」


 俺はゆっくりと歩いてガラの悪い男達の集団へ近付く事にした。本気で駆けてしまっては瞬く間に着いてしまうだろう。相手は魔王でもなく魔物ですらない、ただの人間の悪党でしかないのだから随分と手加減をする事になる。それでも1000年後の世界で初めての戦いとなるのだけは間違いがない。それに相応しい演出くらいなければ味気ないものになってしまうだろう。


「ん!? なんだ若造、俺達に用でもあるのか?」


「イノシシを返してもらおうか」


「イノシシを獲られて困っている猟師のガキか? こんなのは獲ったもの勝ちだ。ガハハハハッ!」


「俺は1000年振りの飯を貴様らの様なクズに邪魔されて実に腹が立っている。大人しく返せば無傷で返してやるぞ」


 背負った剣の柄に右手を伸ばして掴むといつでも抜ける体勢を取って見せた。あえてゆっくりと。


「バカか! 俺達は全員が魔動銃持ちだぜ? 今時、そんなカビが生えた様な剣で何が出来る」


 賊をまとめる頭目らしき男がガサツな笑い声を上げると周りの者達もそれに合わせて下卑た笑い声を放ち始めた。武器を手に持ち間近で斬り合う事がなくなった時代の人間は、どうやら相手の力量を空気で感じ取るという事も出来なくなっている様だ。この者達は今いかに危険な状態に置かれているか微塵も感じている様子がなかった。俺は、それを感じる機会を作ってやる為にゆっくりと徐々にやつらとの距離を詰めていった。


「おっおい! 本物のバカか!? これ以上近づくと撃つぞ!」


「例え貴様の様な雑魚でも俺は1000年ぶりに戦える事を喜んでいるんだ。さあ。貴様は俺の何年分を引き出してくれる?」


「1000年ぶり? 何を頭のイカれた事を言ってやがる」


 頭目は魔動銃の先端を俺に向けた。それでも俺は止まらない、撃たせる為にそうしているのだから。そして頭目が魔動銃を握る手に力を込めたのが見て取れた。


「本当にイカれてるぜ! ちっ、近寄るんじゃねーーーー!」


 ズダダダダダダッ!魔動銃から連射された鉄の球が正面から俺に迫って来る様子が見えた。それは実にゆっくりと。背負った剣を抜き放ち平の部分でそれらを次から次へと弾き飛ばしてやる。ガチン、ガチン、と金属同士が激しくぶつかる音がいくつか鳴り響く。


「剣で球を弾いただと!? このガキ、化け物か…………」


 呆然とする頭の面前に剣を突き出す。そして、剣先を東側に立つ1本の木に向けた。頭目はそちらを見る様に促した事に気付いた様子だ。


「あれを何と読む?」


「バカ、だと……。球をただ弾いただけでなく、それを全て木にぶつけて字を書いたのか!? こ、こいつは只者じゃねぇぞ!」


 そう言うと頭目は一目散に逃げ始めた。子分らしき者達はその後を追って散っていく。その様子を眺めていると眼鏡女ルディナスが一歩前へ進み出て右手と左手に持つ両方の杖を突き出した。土中から草木の芽が一気に吹き出て逃げる者たちの足にからまり始めた。


「イノシシ肉の流通を元に戻す為、隠している場所を聞き出す必要があります。身柄は城塞都市ボルスの守備隊に引き渡して法の裁きを受けさせましょう」


「なるほど、魔法の威力は大したものではないが扱う者の感覚次第で充分に使えるか。眼鏡女、なかなかやるではないか」


 漂う魔法力から感じ取れたのは2つの属性。恐らく樹属性の杖と光属性の杖を同時に使って、一気に成長する草木を出現させたのだろう。


「いえ。私のつたない魔法などより殿下の剣の腕前でございます! あれが1000年も修行を積んだ成果なのですね?」


「まあな。それにしても、今更言うのもあれだがお主は本当にその格好で旅を続けるつもりか?」


「はい! これなら私でも殿下のお役に立てるかもしれません!」


 王城を出る時、小柄な少女と言った体格の眼鏡女は自身の背丈と同じくらいの籠を背負って出立した。そこには大きさも長さも色も違う様々な杖が何本も突き立っていた。局面毎に用途に合わせて使い分けようという事なのだろうが、その姿で歩いては行商の杖売りの少女と見間違われてもおかしくないだろう。


「まあ、よい」


 俺の戦いぶりを見て眼鏡女ルディナスが評した1000年分の成果。その様な言い方をするなら今さっきやった事は3年分程度のものだろうか。俺は上空を見上げてそこに放っていた魔法力を解く事にした。賊にぶつけて痺れて動けなくする為に雷魔法のシャワーを降らせるつもりだったが、足止めは眼鏡女ルディナスがやってくれたのである。その結果、空を覆うはずだった黒々とした積乱雲はついぞ現れる事なく、青々した大空が広がり続けていた。

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