恋の証明書

赤馬タク

恋のQ.E.D.

「ねえ先輩」

「どうした? どこか分からない所でもあるのか?」

「それは大丈夫です。もう全部終わったので」

「嘘だろ……。俺なんてまだ半分も終わってないんだぞ」


 二学期最後の授業である終業式を無事に終えてから数日。

 自称進学校である俺の通う高校は普段から課題が多く、長期休みに入ったからといってだらけた生活が出来るわけでもない。

 故に俺は冬休み初日から、山のように積み重なった課題を淡々とこなしていた。しかし俺の家で一緒に課題を進めていたはずの、後輩でもあり幼馴染でもある荻野楓は、何故かすでに終わらしていた。


「どうしてお前はもう終わっているんだよ。おかしいだろ。どんな手を使ったんだ? 先生に媚びでも売って課題を減らしてもらったか?」

「別にずるなんてしてませんよ。先生が授業中に課題の範囲を言っていたので、冬休み前から毎日進めていたんですよ」

「お前って、意外と優等生だったんだな」

「以外って何ですか。まあ、今回の期末テストは学年三位でしたので」


 そう言って楓は炬燵の上にあるみかんを一つ手に取ると、皮をむいて一粒口に放り込んだ。


「去年先輩が課題に苦しんでいるのを見ていたので、そうならないように事前に対策をしていたんですよ。ていうか、先輩は何度同じ目にあえば気が済むんですか?」

「くそッ! この優等生が!」

「八つ当たりはんたーい」


 ニコニコしながら挑発的な声音でそう言った楓は、炬燵の下から俺の足を突き、課題の邪魔をしてきた。このやろう……。

 いくら幼馴染だからといっても、女性である楓には気軽にやり返すことが出来ない。もし俺が同じことをすれば、楓はきっとセクハラと言って、今度は別方向から嫌がらせをしてくる可能性がある。否、不敵な笑みを浮かべている今の彼女なら、確実にそこまで計画しているだろう。これで全てにおいて俺よりも優秀なんだから、余計に質が悪い。

 大量の課題と、すでにそれを終わらして余裕綽々の生意気な後輩のせいでストレスが溜まっていた俺は、開いていた数学の課題を勢いよく閉じた。


「あれ、先輩怒っちゃいました?」

「別に……。空よりも広く海よりも深い心を持つ俺は、生意気な後輩の事なんて眼中にない」

「怒ってるじゃないですか~。まったく、世話のかかる先輩ですね。ほら、先輩。あ~ん」


 そう言って楓はみかんを一粒手に取ると、俺の顔の前まで持って来た。


「お前、俺を子供か何かだと思ってないか? 一応俺の方が先輩なんだぞ?」

「まあまあ、今はそういう細かいことはいいですから。ほら、いらないんですか? 先輩の大好きなみかんですよ~」


 俺の顔の前でみかんを上下左右に揺らす楓。まあ、せっかくくれるのなら大人しく貰っておこう。もともと俺の家のみかんだけど。

 俺は不本意ながらも眼前で揺れ動く好物にパクついた。


「…………上手い」

「女の子に食べさせてもらった特性みかんですからね。世界で一番おいしいに決まってるじゃないですか」


 そんな風に一粒、また一粒と俺は楓からみかんを食べさせてもらった。何だろう。なんだか餌付けされている気分だ。

 ひとしきりみかんを食べ終えた俺は、課題以外何もすることが無くなった為テレビをつけた。そこには再放送だろうか。いつかに放送されていた恋愛ドラマがやっていた。


「私、このドラマ見てました」

「へえ、俺は途中で見るのを辞めたな」

「どうしてですか? 内容的には昨今あまり見ないぐらい、面白い出来だったじゃないですか」

「ちょうどその時、受験勉強が一番忙しい時だったんだよ」

「そう言えばそうでしたね」


 そう。俺もこのドラマは大好きだった。楓の言う通り、途中までしか見なかった俺ですらここ近年で一番面白いドラマだったと言い切れる。

 それは俺たちだけの感想ではなく、ドラマの放送が終わった後もニュースで取り上げられるほど、日本全国で人気となった作品だったのだ。


「まあ、今更これを見ようとは思わないけどな」

「どうしてですか? これからが面白い所なのに」

「ブームが去った後に作品を見ると、何だが時代に取り残された感じがするから」

「何ですかそれ」

「さあな。俺にもよくわからん」


 テレビの中では主人公とヒロインが喧嘩をし、それぞれの友人にこれからどうすればいいのか相談しているシーンだった。今の時期と同じ季節のドラマの中では、雪が降っている。それに合わせるかのように、静かで物悲しい音楽が流れていた。

 その時。


「ねえ先輩。恋って、どうやって証明すると思いますか?」

「…………は?」


 あまりにも唐突過ぎるタイミング、そして予想すらしたことが無かった質問に、俺は思わず素っ頓狂な声が出た。


「何ですか、まるで未知の生命体に遭遇したみたいなその反応は」

「いやいや、それはこっちの台詞だ。どうしたんだよ。何か変な物でも食べたか?」

「はあ~~……。相変わらず先輩ってデリカシーないですよね」

「ちょっと待て。これは不可抗力だろ。いきなり、それもお前からそんな事聞かれたら誰だっておんなじ反応するぞ」

「先輩、私だって年頃の女の子ですよ?」


 楓はテレビから俺の方へ視線を移すと、どこまでも透き通った黒真珠の様な双眸で、じっと見つめてきた。その頬は心成しか、赤くなっている気がした。


「ま、まあお前がこういうものに興味があることは分かった」


 俺は視線を明後日の方へと逸らし、楓からの直視を免れる。何故か心音が大きくなった気がするが、きっと気のせいだろう。楓は昔からの幼馴染だ。今更カワイイだなんて思うはずがない。

 頭の隅に一瞬浮かんだ思考を否定していると、楓は突然その場に立ち上がった。


「というわけで先輩。今からどうやって恋を証明するのか、探しに行きましょう」

「探しにって……、え? 今から?」

「はい。思い立ったらすぐ行動。これが人生において一番大事な事ですよ。ほら先輩。早く炬燵から出てください」

「ちょ、ちょっと待てって。探すにしてもそんなあやふやな物どこにあるんだよ」

「まあそれについては私に任せてください。大体見当はついています」


 楓は自信満々な顔でそう言うと腕を引っ張り、炬燵に張り付いていた俺の身体を引きずり出した。

 そして流されるまま冬の寒空の下、俺は鼻歌交じりの後輩に、ある場所へと連れていかれた。



 *******



「で、どうして遊園地なんかにやって来たんだ」

「いいじゃないですか。せっかくの冬休み。ずっと炬燵に引きこもっていては勿体ないです」

「確かに正論かもしれんが、どうしてこんな人が多い時に……」


 俺が楓に連れられる形でやって来たのは、地元民ならだれもが一度は訪れた事のある遊園地だった。

 大きさもそこそこで、他府県からも多くの人が遊びにやって来る人気な場所だ。

 本来この時期になると人で混雑するため簡単には入場できないのだが、俺と楓は年間パスを持っているので、三十分もしないうちに入場ゲートを通ることが出来た。


「それで、どうしてここなんだ? まさか本当にただ遊びに来たわけじゃないだろ?」

「もちのろんです」


 そう言うと楓は「あちらを見てください」と買い物客であふれるグッズ売り場の方を指さした。


「人がたくさんいるな」

「確かにそうですけど、そうじゃないです」

「どういうことだ?」

「ちゃんと見てください。どのような人が一番多いですか?」

「どのような人って。家族連れとか、友達と来ている人たちとか。あとは――恋人と来ている人たちか?」

「正解です」


 楓はそう言うと、わざとらしく人差し指を立てて続けた。


「つまりですね、ここには恋人同士の人がたくさんいるんですよ。恋が実った人たちが。先輩がよく憎悪を込めて口にしているリア充っていうやつです」

「ちょっと待て! その言い方には語弊がある」

「まあまあ。今はそんなことは隅に置いといて」

「よくねえよ!」


 しかし楓は俺の意見反論をすべて無視して話を進める。この後輩め……。あとでお仕置きが必要だな。


「これだけの数のカップルが集まるという事は、つまりここにはそれだけの秘密が、恋の証明となる何かがあると思うのです」

「なるほどな。確かに一理ある」


 これだけ多くのカップルが集まるとなると、必ずそこに何か理由がある。つまり楓はその部分に目を付けたわけか。むやみやたらと調べるより、効率的にもこちらの方が確実だ。流石は才女なだけはある。性格はあれだけどな……。


「さあ先輩。早速私と恋人になって遊びましょ!」

「はあ!? どうしてそうなるんだよ」

「カップルの気持ちは、体験しないと分からないものですよ。大丈夫です。ただの仮カップルなので」

「一体何が大丈夫なのかさっぱり分からんのだが……」

「ほら、行きましょ!」

「お、おい……!」


 まだ頭が楓の考えについていけていない俺は、やけに楽しそうな彼女に手を繋がれ、恋人としてそのまま園内を散策することになった。



 *******



「どうしてこうなった……」

「さっきのアトラクション、楽しかったですね! 落ちる瞬間の身体が浮く感覚は、何度味わっても新鮮です。――それにしても先輩。少し寒いですね」

「当たり前だろ。真冬なのに全身びしょ濡れなんだから」


 俺は凍える身体を両腕で包みながら、楓の隣を歩いていた。


「この時期にあのアトラクションに乗るのは、流石に無理がありましたね」

「乗る前に気付けよ。俺たち以外誰も乗ってなかったぞ」

「でも先輩、私より楽しそうにしていたじゃないですか」

「……ま、まあ。高校に入ってから一度も来てなかったからな。つい昔の熱が湧き出たと言いますか、何というか……」


 仕方がないだろう。楓の言っていた通り、身体の浮く感覚なんてそうそう味わえるのもではない。それに加えてこのアトラクションは、昔から一番多く乗っているほど大好きだっのだから。

 しかし、だ……。


「このまま歩き回っていたら、俺たち凍死するぞ」

「た、確かにそうですね。一旦どこかで服でも買いましょうか」

「あ、ああ。それが賢明な判断だな」


 俺は震える身体を何とか抑えながら、楓の隣を歩く。俺と同じ状況で、俺以上の寒がりだったはずの楓は、しかし何故かその表情からは喜びの感情が見て取れた。



 *******



「なあ、一つ聞いてもいいか?」

「どうしました先輩」

「どうして俺とお前は同じ服を着ているんだ?」

「それはあれですよ。先輩がどんな服でもいいっていうから、私が選んであげたんじゃないですか」

「いや、それはわかるよ? だからって同じのにする必要なんてあったか? しかもこの服のフードになんて、変な耳が付いてるし」

「そういう物なんですよ。それと先輩。忘れているかもしれませんが、今私たちはカップルという設定ですよ。同じ服を着ていてもおかしくないでしょ?」

「そ、そうだった。寒さのあまり、忘れていた。そもそもここへは恋の証明を探しに来ているんだった」

「え?」

「え?」


 その瞬間、楓はハッとすると「そうですよ!」と大げさに頷いた。

 楓のやつ、本来の目的を完全に忘れていたぞ。今だって視線を逸らしながらぎこちなく笑っているし。


「さ、さてと。それじゃあ次は何に乗りますか?」

「自分の事は棚に上げてスルーかよ」


 それからも楓とカップルとして園内を周り、俺は不思議と、彼女といるこの時間が特別なもののように思えてきていた。



 *******



 夜の帳が降りたころ、俺たちは最後のアトラクションに乗っていた。アトラクションと言ってもそれは最初に乗ったような激しいものではなく、ただ高く、ゆっくりと時間を堪能する乗り物。観覧車だった。

 静まり返った観覧車内で、俺と楓は今日あったことを思い出しながら光り輝く夜景を見下ろしていた。


「先輩。今日はありがとうございました。おかげでとても楽しかったです」

「それは俺の台詞だ。この冬休みはどこにも出かける予定なんて無かったからな。ちょうどいい機会になった」

「それは良かったです……」


 再びの沈黙。静寂が漂い、今までなら何とも思わなかった二人だけの空間が、今は何故か妙にむずがゆい。


「なあ」

「先輩」


 声が重なった。二人して目を合わせ、先にどちらが話そうかと視線だけで会話をする。そして俺が先に話すことになった。


「ここへ来た目的は、ちゃんと覚えているか?」

「はい。恋の証明を見つける為です」

「お、今度はちゃんと覚えていたな」

「最初から覚えていましたよ?」

「冗談を」


 そして微かな笑い声。どうしてだろう。普段と感覚が違う。いつもはもっと激しく笑っていたのに、今はなぜか、遠慮してしまう。


「それでその、恋の証明って奴は見つかったのか?」

「残念ですが、まだ見つかってません」

「そうか。まあ、見つからなかったとしても今日を楽しめたんだし、それでいいんじゃないか? それに簡単に見つかりそうなものでもないだろうし」

「はい……」


 観覧車がゆっくりと上がっていく。どこまでも続いていると錯覚させるほど高く、昇っていく。光の球体が遠く小さくなり、空と地上に夜空が広がる。


「ねえ、先輩」


 楓の声で振り向くと、彼女はこちらを見ていた。

 動く影と光で時折見える彼女の表情は、ひどく魅力的に見えた。


「ど、どうした?」


 今まで異性として見てこなかった楓が、今朝否定したばかりの彼女の魅力が、今はすべてを否定することが出来ない。

 何とか声を出して反応した俺に、楓は続ける。


「私、本当は恋が何なのか知っていたんです」

「そうなのか?」

「はい。ずっと前から知っていました。けれど、心では理解していても、頭ではそれを否定していました」

「どうして」

「怖かったから……」


 そう語る楓の表情は暗く、重い。一体どれだけ長い時間、悩んできたのか想像すらできないほどに。


「だから私は、恋に証明を求めました。目に見える形に、記憶に残る形で表すことが出来れば、それは立派で、本物の恋だと思ったからです」

「そうか」


 始めて見る楓の表情。初めて聞く楓の声音。そのどれもが新鮮で、けれど、だからこそ俺は、彼女の事をまだ全然知らないんだと初めて気づいた。

 俺は彼女をただの幼馴染だと、ただの後輩だと決めつけて、それ以外の見方を否定していた。どうしてなんだ?

 俺自身の中で生まれた疑問。それは環状に続いているかのように回り続ける。

けれど、回り続けた答えの出ない思考は、目の前の彼女によって現実に引き戻された。


「先輩。私はずっと怖かったんです。今の関係が壊れるのが。だから確認したかった。この恋が、本当に相手に届くほどの本物なのかを」

「……」


 俺は言葉を紡げない。紡いではいけない。ここは今彼女の世界で、俺はただ彼女の勇気を、覚悟を、決意を、強く心に願った彼女の想いを、見届けなければならないのだから。


「だから先輩」


 楓はその場に立つと、俺の方へとゆっくり近づいて来た。


「これが、私の見つけた恋の証明です」


 観覧車の頂上。誰にも見えない、二人だけの世界で。

 二つのシルエットが重なった。



 *******



 それは短かったのか、長かったのか。俺には分からない。

 ただ、唇に触れた熱が、想いだけが心に流れ込んできた。


「先輩。これが、私が見つけた恋の証明。あなたへの気持ち」

「ああ。全部伝わって来た」


 天と地の夜空の狭間で、俺は立ち上がると彼女を抱きしめた。


「気づかなくてごめん。ちゃんと見ようとしなくてごめん。今まで苦しめてしまって、本当にごめん」

「先輩?」


 楓は不思議そうに俺を見上げる。

 どうして俺は、いつも彼女の前ではカッコつけることが出来ないのだろうか。

 頬を流れる一筋の雫が、彼女の瞳を反射した。


「俺はずっと、否定していたんだ。お前の事を」


 自分で犯した過ちを、彼女を苦しめた時間を考えると、そんなものは無いにも等しいのかもしれない。

けれど……。


「認めたくなかった。認めるのが怖かった。認めてしまえば、我慢することが出来なかったから。言葉にして否定されれば、すべてを失うと思ったから」


 腕の中から顔を見上げる楓は、黙って俺の続きを待っている。


「けれど、もういいんだな。認めてしまって」

「うん」


 楓は頷いた。朱に染まった頬を濡らしながら。瞳の中に夜空を飼いながら。


「楓、俺はお前の事が好きだ」

「先輩……。――やっと聞けた」


 その時の彼女の笑顔は、きっと一生、俺の記憶から消えることは無い。

 彼女が見つけた恋の証明は、世界で一番、暖かかった。

                          

Q.E.D.恋の証明終了

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