第8話 春和景明


 何度、思い描いた事だろうか。

 喋れぬ鴉が夢見た景色。

 名を呼び、呼ばれ、己の声に応える姿。

 幾年も積み重なった口惜しさを洗い流すように、咲耶の瞳から涙が溢れる。

 優しく抱きしめる桜木の温かさに身を委ね、何度も何度も、彼女の名を呼んだ。


 そんな状況を見ていた一匹の雀。

 仲間の雀に事細かく伝えると、その雀が他の雀へ。雀同士の口承は、やがて他の動物へと伝わってゆく。

 それは驚くべき速さで流布され、咲耶やヤマイタチのいた山へ伝わったのはおよそ一時間半後であった。


「か、神様!! 大変だ大変だ!!」


 一匹の狸が叫びながら動物達が集う山の広場へとやってきた。


【なんだい狸、顔が真っ青だよ。どうしたの?】

「ド○えもんだ、ドラ○もん」

「俺大山のぶ○派!!」

「日テレ版の野沢○子派!!」


【静かに!!! さぁ狸、何を言おうとしたんだい?】


「えっとね、なんだっけ…………あっ!! ボクね、横山智○派!!!!」   


【黄色い時のヤツね。バーカ!!!!】



 ◇  ◇  ◇  ◇



 一方例の神社では、咲耶が桜木の手を引き小さな拝殿の前へ連れてきた。

 空になった酒の瓶を手にし訴える咲耶。


「りり、りり!」


「……お酒を供えろってこと? 私未成年だし……あ、ちょっと待って」


 桜木は鞄から紙パックの林檎ジュースを取り出し、拝殿横にそっと供え……手を合わせた。

 見様見真似、咲耶も続く。


「よく分かんないけど……きっとここにいる神様がこの子に言葉をくれたんでしょ? 代わって礼をします。本当にありがとう」


 その光景に、居合わせた神は懐かしい気持ちになった。

 かつて人々の想い願いから生まれ……崇められ、忘れられ。

 何かが変わりそうな予感がしつつ、悪態をつく。


【まぁ、どうせ人間なんて一瞬で忘れちまうさ。おい鴉!! せっかくだからこの人間から出来るだけ金を巻き上げ…………】


 心にある根底、それは神も鴉も同じものであった。

 誰かに想われ慕われ、優しくされ……己の存在を認知して欲しい。

 その“寂しさ”を理解していた咲耶は動く。

 境内にある朽ちかけた竹箒を手に、人間の真似をし掃除を始めた。

 否、自分はもう人間なのだから。


「咲耶…………私、家からごみ袋とか持ってくるね。ちょっと待っててね、大人しくしてるんだよ?」


 優しく頭を撫でられた咲耶は、言いつけどおり箒を片手に立休らう。

 時折、桜木に撫でられた頭に触れ……嬉しそうに微笑む。


【なんだこいつは……飯事ままごとでもしてるのか?】

「あら、もしかして神ちゃま羨まちいのかなぁ? 私が前足で撫でてあげようか?」

【祟り殺す!!! この糞いたちめ!!!】


 境内を追いかけっこする一匹と一柱。

 遠くから桜木の姿が見え、大きく手を振る彼女に応えるよう大きく振り返す咲耶。


 胸が高鳴り心が躍る。

 目の前の彼女と同じ名を持つ桜が、春を告げる。

 そう、それはまるで人間のようで……

 一つ微笑み、咲耶は両手を広げた。


「ん? どしたの咲耶……ふふっ、おかえりって言いたいの?」


 言葉無くとも伝わる彼女、でも今は……より深く、己の想いを伝えられる。

 大きく頷き、咲耶は目一杯微笑んだ。


「りーりっ!!」


「ふふっ。ただいま、咲耶」


 強く抱きしめられ、不慣れに抱き返し。

 優しくキスをされ……優しく目を閉じる。


 御子神咲耶、我が世の春が……満開の桜と共に訪れた。

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