第7話 屋烏之愛
「ふぁぁ……昨日はよく歩いたから寝すぎちゃった………………咲耶?」
◇ ◇ ◇ ◇
早朝、桜木のアパートから徒歩十五分。住宅街の中、追いやられたかのようにひっそりと存在する神社へとやってきた一人と一匹。
朽ちかけた鳥居、雑草と呼ぶには可愛げが無い程に伸び切った境内。
奥の小堂に納められたカップ酒は、三年前に浮浪者が飲み干していった。
「うわぁ……来なきゃ良かったよ……」
ドン引きし、後悔しているヤマイタチ。
それもそのはず。
神とは信仰によって生まれるもの。
信仰心が無くなった神はただひたすらに、堕ちていく。
オマケに、ここに住む神はよからぬ信仰心から生まれたモノらしい。
【随分とまぁノンビリ来やがったなテメェ……】
殺気以上の何かを纏った禍々しいモノが目の前に現れると、ヤマイタチは咲耶の胸ポケットに隠れた。
わけも分からずにドス黒い塊に睨まれる咲耶。どうやら怒っているようなので、人間らしく頭を下げた。
【……まぁいい、これを見ておけ。無言で三秒経ったなら内容に同意ということになる。一……二……】
「ちょ、ちょっと待ってよ!! 何この紙は……なんて書いてあるの!? 大体この子喋れないんだから……」
【はい三秒。これはワタシとコイツの契約だ。オマエには関係ない、今すぐ山に帰れ】
宙に浮かぶ紙に書かれた人間の言葉。
それはヤマイタチが見慣れたものと少し違い、複雑で何が書いてあるのか見当もつかない。
おまけに一番下には複数の人間の指の跡が赤く印されていた。
匂いからするに、人間の血が混じっているようだ。
「か、関係なくない! と、友達だからな。ほっとけないよ」
その言葉に、咲耶は目を丸くした。
と同時に、胸の奥がじんわり温かくなっていく。
それは桜木といる時とも違う感覚で、だが決して嫌な感覚ではなかった。
自然と身体が動き、咲耶はヤマイタチを優しく抱きしめていた。
そして強く目の前の邪神を睨みつけた。
【……まぁ同じ轍を踏むこともないか。馬鹿にも理解るように教えてやろう。この神社、延いてはワタシに死ぬまでその身を捧げ貢献する代償として、なにか一つ願いを叶えてやる。そういう契約だ】
「怪しさしかないね。うちらがいた山の神様はそんな条件無しにこの子の願いを叶えたよ」
【本当にそうだと思ってるのか?】
「どういう意味よ……?」
なにか引っ掛かるヤマイタチを胸ポケットにしまい、咲耶は自分の指を噛み、契約書に拇印を押した。
その突然の行動に、流石の邪神も戸惑っている。
【おいおい、あまりに馬鹿だとワタシが困るんだが……ヤマガミのやつ、もっと利口な者を寄越せばいいものを】
「さ、咲耶……いいの? こんな糞みたいな神に仕えるなんてさ……それに、あの人間の女は?」
【テメェ、口が悪いなぁ……】
睨み合う二人を余所に、咲耶は期待と幸せに満ちた顔で微笑んでいた。
その瞳はどこまでも真っ直ぐに、ただ一つだけを見据えていた。
【まぁ……駄目なら次があるか。よし、オマエの願いはなんだ?】
邪神を見つめる咲耶。
その決意を見たヤマイタチは、もう引き止めようとはしなかった。
ヤマイタチは知っている。
鴉がどんな生き物なのか。そして、咲耶がどれだけ素敵な生き物なのかを。
【ふぅん、言葉ね。呪いが強過ぎて一文字しか喋れないと思うけどそれでいい?】
「ケチくさい神だね。イキってる割に大した事ないんじゃない?」
【何だと!?】
「ま、こんな信仰もされていない場所に巣食う神なんて所詮そんなものだって事だね。可哀想に……優しい私が哀れんであげる。アーメン」
【テメェ、喧嘩売りやがって……おいカラス!! オマエがその身を尽くしこの地を再び豊かにしろ。ワタシの力が元に戻る度、言葉を増やしてやる。いいな!?】
胸ポケットの中でほくそ笑むヤマイタチ。そんなヤマイタチが、咲耶は頼もしかった。そんな友が、誇らしかった。
どう足掻いても得ることの出来なかった大切なものが、目の前にある。
見据える未来に、花が咲く。
【
感じたことのない感覚に襲われる咲耶。
使ったことのない喉の奥底が疼いている。
「で、その一文字ってどうやって決まるの?」
【初めに発した言葉で決まる。その小さな頭でせいぜい悩むがいい】
その言葉に、ヤマイタチは首を横に振った。
数えきれない程の動物を見てきたヤマイタチ。唖の鴉ほど賢く一途で……優しい動物はいなかった。
胸ポケットの奥で呟くヤマイタチ。
“私の友達をバカにするなよ”
遠くから近づく一つの一人の足音。
息せき切らしたその姿に、誰よりも早く反応したのは御子神咲耶。
「はぁはぁ……咲耶……心配したよ…………もう……勝手に離れないで」
強く優しく抱きしめられる咲耶。
桜木の胸の鼓動が痛いほど伝わってくる。
ただそれが、只々それが、嬉しかった。
真似するように優しく抱き返し、憧れていた一歩を咲耶は踏み出す。
「りり……」
一文字だけで、充分だった。
「咲耶……声が……」
伝えたいことは沢山あるけれど、呼びたい名前は一つだけ。
「りり、りり、りり。りりっ!! りりっ!!」
何回も、何十回も、その声が届いているかを確認するように名前を呼ぶ。
それまでの数えきれない苦悩も悲しみも、これからの溢れ止まない幸せと喜びが込められた、愛の呼名。
応えるように
「うん、うん……嬉しいね……私も……ふふっ、泣いちゃうくらい嬉しいから── 」
温かな二人に挟まれたヤマイタチ。
人間らしく口づけをする咲耶を見て、彼女もまた、柔らかな温かさに包まれていた。
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