第3話 烏鳥私情
人間について行くという行為が危険な事は百も承知なヤマイタチだったが、唖の鴉に分け与えられたフランスパンに夢中になってしまい、周りが見えていなかった。
胸ポケットから顔を出し、おねだりをするヤマイタチ。
意図せずとも、桜木と目が合ってしまう。
固まる両者。
先に動いたのはヤマイタチ。
フランスパンの礼にとお辞儀をし、するりと胸ポケットへ潜り込んだ。
冷静を装ったが……胸ポケットの中では、口から心臓が飛び出てしまいそうな程混乱中。
対する桜木は、興味津々である。
「アンタ面白いね。今のってオコジョ?」
なんの躊躇もなく胸ポケットに近づく桜木に対し、唖の鴉は咄嗟に後退りし、胸ポケットを守る動作をした。
この世界では儚い、小さな存在だと理解していたから。
その姿に、ヤマイタチは得体のしれない感情が湧いた。
「ごめん、悪意とかないんだけど……怖かった?」
唖の鴉は胸ポケットを不器用に優しく撫で、首を横に振る。
そんなことをしている間に、桜木は足を止めた。
住宅街、とあるアパートへ辿り着く。
「ここ、私んちなの。おいで」
相当な築年数であろう寂れたアパート。
鉄の階段はキシキシと音を立て、金具が外れかけている。
唖の鴉、初めての階段。
何回も登り降りを繰り返し、楽しそうにはしゃぐ。
桜木は、その景色を優しく微笑みながら見つめていた。
「私さ、捨て犬とか捨て猫とか放っておけないタイプなの。こんな顔で似合わないしょ? この前なんかさ、パンが口に刺さって身動き取れないカラスを助けたんだけど……あの子、元気かなぁ」
その言葉で、ヤマイタチは理解した。
話のカラスは唖の鴉であり、恐らくはこの人間に会う為に唖の鴉は神に願った。
とりあえずこの人間についていれば、食事に困ることはなさそうだと安堵し、ヤマイタチは眠りについた。
「こっちにおいで」
202と書かれたドアを開けると、桜木には似気無い質素な部屋が一つ。
必要最低限な物しか置いていないその部屋を、桜木は鼻で笑う。
「つまんない部屋しょ?」
ゆっくりと首を横に振る唖の鴉。
様々な匂いや気配がする人間界、知らぬ間にストレスが溜まっていた。
しかしここには、桜木と自分達しかいない。
そしてここには、桜木の匂いが満ちている。
誰に教わった訳でもなくベッドに倒れ込み、唖の鴉就寝。
「……ふふっ。不思議なヤツだな、ホント」
◇ ◇ ◇ ◇
久々の安心感から、随分と眠りこけてしまった一人と一匹。
先に起きたのはヤマイタチ。
呑気に眠る唖の鴉を叩き起す。
「起きなさい! まぁ私も寝ちゃってたけど……ってそれどころじゃないんだよ!!」
外は暮天、音のしない欠伸をしながら唖の鴉は気がついた。
室内に立ち込める匂い。そう、これは──
「これ、カレーってやつだろ!? 私、一度でいいから食べたかったの!!」
誰が言ったか、どう伝わったか……
人間界最大のご馳走、カレーライス。
長く人間界にいた訳あって、ヤマイタチも唖の鴉も、その存在と香りは知っていた。
堪らず身を乗り出し、警戒心ゼロで尻尾を揺らすヤマイタチ。
その姿に、台所に立ってた桜木が微笑んだ。
「ふふっ、カレーの匂いが分かるの? アンタ達はホント、面白いね」
小さな小皿に乗せられたカレーライスをガツガツと食べるヤマイタチ。
成程、人間界最大のご馳走とは真実であった。
対する唖の鴉、スプーンの使い方が分からず困惑中。
「こうやって持つんだよ。分かる?」
見様見真似で不器用に握りしめたは良いが、掬う動作など即座に出来るわけもなく……
しまいにはポロポロと涙を流す始末。
「……いいよ、口開けて。はい、あーん」
桜木から食べさせてもらった唖の鴉は、思い出す。
かつて雛だった頃……
親鳥から食べさせてもらう行為を、唖の鴉は経験出来なかった。
鳴き声が出せず、巣の下へ弾き出された。
嬉しそうに懸命に鳴く兄弟達。
せっせと餌を運ぶ親鳥。
辛かった。
悲しかった。
止めどなく涙が流れ、声にならない大泣きをする唖の鴉。
そんな背中を、桜木は優しく撫でて抱きしめた。
自然と頬擦りをし、真似するように抱き返す唖の鴉。
口元についたカレーを指で拭き優しく微笑む桜木を見ると、身体中が熱くなり……訳の分からない気持ちに、唖の鴉は包まれた。
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