それもまた、一つの恋のカタチ

田舎の鳩

それもまた、一つの恋のカタチ


                         


「ごめん。」と、彼女は僕に言った。




 なんでもない放課後の教室は、オレンジ色を背にしていくつものくっきりとした影を浮かび上がらせている。

 彼女は、僕の影の中にいた。黒目がちの大きな瞳が、不安げに僕を見上げていた。

 その視線を愛おしいと思うことはあっても、僕はときめきを感じることができない。

 僕はゆっくりと笑ってみせた。

 彼女はつられて、曖昧な笑みを浮かべた。まるで、母親に怒られている小さな子供みたいだ。僕は思った。


「ごめん。」もう一度、彼女は僕に言った。


 なにに対して謝っているんだろう。

 きっとそれは、彼女が一番わかっていない。

 校庭から聞こえる笛の音に身じろぎした彼女の、少し癖のある毛先が、小さな肩の上で揺れている。


 ―――彼女は、他人への好意の持ち方を知らない。


 あざとい、とも言える彼女の性質。

 弱い彼女。幼い彼女。

 可愛い、彼女。

 誰からも好かれたがるくせに、なにも知らない振りをして。

 人を怖がって、人に近づいて。

 傷ついて、また笑って。

 貪欲な彼女は、不思議な魔法を持っているようだった。

 僕はそんな彼女を初め、とても可哀想な子だと思った。

 どんなに他人に好かれても、彼女は決して満たされることがないのだから。


 ―――そんな彼女を、僕は好きになってしまったんだけど。


「別に、気にしなくていいよ。僕が言いたかっただけだから。」


 高校生にとっての一大イベントだというのに、酷く冷静だな、と自分で他人事のように思う。僕は今フラれてる。


 別にいいんだ、『今』は。彼女にはきっと伝わっていない。

 這うようなこの気持ちも、むせ返るようなこの感情も。




「うん、ありがとう…」



 彼女はやっと安心したのか、両手を胸に当てて小さく息をついた。


 本当、ばかだなぁ。


 どうしてそこまでして、彼女は人に好かれたいのか。


 なんとなく、解ってはいるけれど。僕はそれをあまり必要としていない人種だから理解ができない。


 可哀想な、女の子。

 こんな僕なんかに見つかって。


「じゃあ、これからも宜しくね」僕は言った。


 なにも知らない彼女は、ただ「うん」と大きく頷いた。


 僕は数歩下がって、夕陽に照らされる彼女を見た。

 僕の影は、物足りなげに足元で小さくなっている。


 人懐こい笑みを浮かべた彼女は今、僕の好意を身体の中に取り込んで、エネルギーに変換しているんだろう。


 そうやって、明日も他人の中で彼女は生きていく。


 茜色を映した彼女の白い肌。


「本当、嬉しかった。ありがとうね」


 底の浅い彼女は人並みな言葉しか出すことができないみたいだ。

 けれど少し、満足気な彼女の表情一つでどうでもよくなってしまう僕も、十分残念な奴なのかもしれない。


「ちょっと待って。」


 僕は乱暴に鞄を肩にかけた。

 今頃になって高鳴る心臓の音。


 ……少し、楽しいかもしれない。


 彼女の心に入り込める言葉がまだ見つからなくて、彼女の心から取り出せる言葉がまだ見つからない。

 ―――彼女は、他人への好意の持ち方を知らない。


 不可解な彼女の謎を解き明かすことができたなら、『ここ』まで連れて来られるだろうか。

                    

「……なに?」


 振り返った彼女の、大きな瞳が僕を映す。

 全てに優しくて、全てに優しくされたい小さな彼女が僕を見て、はにかんでいる。


 彼女の顔を照らす綺麗な茜色。

 だれが見ても綺麗な、彼女と茜色。


 だけど。

 そんなモノじゃない。

 僕が欲しいのは、そんなモノじゃない。

 彼女の影は彼女の身体に隠れたまま。

 僕にも見えなくなったまま。

 

 ―――きみが好きだ。


 それが彼女の知らない感情だとしても。


 だから早く、『ここ』までおいでよ。僕を満足させてみせて。

 それとも、僕がきみを引きり下ろしてみせようか。

 



「今日、一緒に帰れる?」一息ついて、僕は言った。





 取り敢えず、今日のところは。

 淋しがり屋な彼女に、帰りのお誘いとしようかな。




 それまで僕は何度でも、きみにフラれてあげるから。






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