第3話全てを捨て去る覚悟

 オレは始まりの洞窟を訪れ、過去の自分に後悔していた。


「……くそっ!」


 何かを吐き出すように、短剣を振り抜く。

 洞窟の中の空気を、鋭い斬撃が切り裂く。普通の冒険者では見切れる者もいないであろう。


 これは普段は隠している、オレの本当の力だ。

 異世界に来てからの五年間、必死に鍛錬をしてきた技。

 六英雄たちに追いつくために、一日も休まずに研いできた想いであった。


「だが、これも所詮は凡人の力。英雄職には決して届かない」


 六英雄の力はこんなものではなかった。

 彼らがひとたび剣を振るえば、大気が震え巨岩が切り裂かれる。魔法を放てば大地が爆ぜ、天候すらも操った。


 まさに人を超えた力。そうでなければ魔王は倒せないのである。


「英雄職と冒険職か……」


 この世界には職業システムというものがある。

 一般の者は“冒険職”しか選択できない。

 冒険者になる時は、戦士や僧侶など限られた物の中から適性を選択する。これが普通であり、絶対的な法則であった。


 一方の“英雄職”は、この大陸に危機が訪れた時。英雄を召喚した女神だけが、その任命権があるとされていた。

 昨夜、耳にした“聖騎士”も英雄職の一つである。

 

 英雄職を得た者は、とんでもない力を授かる。

 若者風に言えばチート職とでもいうのであろうか。まさに神に選ばれた職業なのである。


「それに比べてオレは影職の盗賊系か……」


 思わず拳を握りしめる。

 オレは盗賊系の最終進化形である“怪盗”。冒険職の最大レベルである60まで到達している。

 普通の者でオレに敵う者は数少ないであろう。

 だが、かつての仲間の六英雄には、決して届かないのであった。


「あの日のオレの選択は、間違っていなかったはずだ……」


 巻き込まれて召喚されたオレは、普通の冒険職しか選択できなかった。そこで選んだのがこの影職である。


 なにしろ他の六英雄は全員が戦闘職であった。盗賊や狩人などの探索系が、誰もいなかったのである。


 迷宮や遺跡では地図作製や罠発見、それらのサブの技術が必要となる。だから仲間のために、オレは盗賊を選択したのであった。


「あの時は、仲間のために必死だったな……」


 当時の日々を思いだす。


 ◇


 魔王討伐のためには、六英雄といえどもレベルアップが必須であった。

 そのため七人で数々の迷宮や遺跡に挑んだ。


 冒険職であるオレは、必死で戦っていた。試行錯誤を繰り返し、レベルとスキルを上げていった。

 たしかに直接的な戦闘では、他の六人に引けをとっていた。


 だからオレは寝る間を惜しんで、その他の鍛錬を積んだ。隠密術や格闘術に、交渉術や変装術。

 禁忌の暗黒種族に弟子入りをして、暗殺術や裏技術すらも磨いた。


 これも全て仲間たちに後れを取らないために。彼らと肩を並べて、最後まで旅をしていたかったのである。

 その努力のお蔭もあり、オレは仲間たちと旅を続けられた。顔をフードで隠し、影職としてサポートしていたのだ。


「だが……」


 最終決戦を前にして事件が起きた。

 六英雄が覚醒したのだ。


“神化(しんか)”


 それは六柱神を人の身に宿す奇跡の力。一時的ではあるが彼らは英雄を超えた、新たなる存在になったのだ。


 覚醒した彼らに罠や奇襲は無意味となった。そのため怪盗の存在意義が、まったく消えてしまったのだ。

 そこでオレの心は折れかけていたのかもしれない。


「そして浮遊城へ挑む最終決戦の日……」


 あの日、浮遊城に挑む六人の背中を思い出す。

 オレには浮遊城に行く資格がなかった。それが心の折れる決定的な瞬間だった。

 若かったオレは、その現実を受け入れることができなかったのだ。


『なぜ自分にだけ英雄職が与えられなかったのか?』


『なぜオレは六英雄の召喚に巻き込まれたのか?』


 二つのドス暗い感情が、螺旋のように脳味噌をかき回した。

 そして気が付けば浮遊城から遠く離れた場所にいた。


 オレは逃げ出したのだ。

 必死で魔王と戦う仲間の帰りを、待てなかったのだ。


 正気に戻った時、オレは全身に大けがを負っていた。

 もしかしたら、どこかでモンスターと戦っていたのかもしれない。あまりにも悔しすぎて、その時の記憶すらも曖昧になっていた。


 そして浮遊城から逃げ出してから、数日後。

 魔王が倒されたことを耳にする。

 彼らが……六英雄が魔王を討伐したのだ。


 大陸中がお祭り騒ぎとなった。

 その後、魔王軍により傷ついた各国は、一気に復興していく。復興景気で大陸中が湧いていた。


 また魔王の残した財宝は、各地の迷宮や遺跡に残っていた。冒険者ブームが起こり、五年経った今でも続いている。


 六人の若者たちは本当の英雄として迎えられていた。

 ある者は王国の要人として。また、ある者は大組織の幹部として迎えられていた。


 “神化(しんか)”の力は失っていたが、彼らは大陸でも最高峰の英雄職。どの国でも最高の地位と名誉を与えていた。


 ◇


「それに比べてオレは……」


 思い出から、現実の世界に戻る。

 仲間から逃げ出したオレは、冒険者として静かに生きていた。

 当時、フードを深く被った影職な自分のことを、知る者はほとんどいない。

 この五年間、適当に出会った者たちとパーティーを組んだこともある。人助けをして自分の本心から逃げていた時もあった。

 そんな感じで大陸各地の街を転々としていた。


 そして今に至る。このまま静かに朽ち果てようと過ごしていたのだ。


「だが、なぜだ? オレはこの場所にきたのだ?」

 

 今、自分している行動が理解できなかった。

 昨夜、久しぶりに六英雄の話を耳にしたからか?

 今日が異世界に転移してきた記念日だったからか?


 ここに来た理由が自分でもよく分からない。


「そして、なぜ、こうも胸が高ぶるのだ……」


 いつの間にか武者震いしていた、自分の両手を見つめる。本当に汚い手のひらだ。

 逃げ出した五年前から、鍛錬を欠かした日は無い。

 両手のマメは何十回も潰れて、それでも短剣を振るってきた。秘境の岩場を昇り、怪盗としての力を維持していた。


 これは普通の冒険者には不必要なオーバースキル。だがオレは必至で技と肉体を磨いてきたのだ。



「もしかしたらオレは……?」


 逃げ出した日から、よく見ていた夢がある。

 浮遊城に向かう仲間たちを、見送った時の夢を。

 彼に向かって伸ばしても、届かなかった自分の手の夢を。


「そうか……オレはあいつらと、最後まで一緒にいたかったんだな」


 自分の本当の気持ちに気がつく。

 目をそらしていた本当の想いが込み上げてきた。


 それを肯定するように、両目から涙が溢れてきた。

 ここまで涙を流したのは、五年ぶりかもしれない。

 あの時、浮遊城から逃げ出した時に流した、その時以来の涙である。


 嗚咽と共に、熱い涙がこぼれ落ちていく。


「オレはまだやれる……いや、やりたい!」


 涙が全てを洗い流してくれた。

 オレは覚悟を決める。自分の本当の想いを言葉に吐き出す。


 自分の中で止まっていた時計の針が動き出す。

 心臓がバクバクと激しく鼓動する。全身の血液が沸騰しそうなくらいに、熱い想いが込み上げてくる。


「やり直そう……まだ間に合う。いや、必ず間に合わせる! また一から始めよう……六年前に、ここに来た時のように!」


 身につけていた装備の全てを解除する。

 一見すると普通の盗賊の革鎧や短剣。

 だが自分は仮にも魔王討伐の直前まで同行した怪盗。普通ではあり得ない業物そろいばかり。

 それらの高ランクの装備の全てを、魔道袋の中に収納する。


「そうだな。六年前はこんな凄いものは持ってなかった」


 そのまま魔道袋を、泉の中に放り投げる。六年間、顔を隠していたフードの付いたコートも脱ぎ捨てる。

 噂によれば、この泉は地底湖に繋がっているという。

 一度沈んでしまえば、もう引き上がることは不可能。レアアイテムが一瞬で失われたのだ。


 だが後悔はない。

 むしろ新たなる挑戦に、胸は高鳴っていた。あの時のような興奮が、込み上がってくる。


「あとは怪盗の職業は……コレだな」


 魔道袋から取り出しておいた秘石を、右手に握りしめる。

 これは“消却の秘石”。

 大陸にも数個しかない呪いのアイテムである。今から一ヶ月前に、とある占い師から偶然貰った物だ。


「これを使ったら、オレは無職に……か」


 “消却の秘石”は冒険職をリセットする力を持っていた。

 つまり無職のレベル0となる。普通の冒険者は使うこともしない呪いのアイテム。

 魔術師ギルドの鑑定により、呪いの強さは保証付きである。


「さて、無職になるのか……」


 これを使ったら、もう後戻りはできない。

 六年かけて必死で上げた“怪盗レベル60”。

 その全てが失われ、無職に戻ってしまうのだ。


「だが、不思議だ。怖さはない」


 逃げ出した日からの五年間、オレは生きる屍だった。

 死に場所のない、後悔だらけの生き物。本当に辛い日々であった。

 その悔しさに比べたら、レベル0に戻ることなど怖くはない。


「さあ、新しい出発だ……“リセット”!」


 “消却の秘石”の起動の呪文を口にする。

 同時に眩しいほどの光が溢れ出していく。


 全身から何かの力が消えていく。

 それは最高位まで上げた怪盗としての力。

 五年間の、負の想いであった。


「さて……終わったのか?」


 時間にして数秒。

 終わってみれば、ほんの一瞬であった。


 “消却の秘石”によるリセットは終わった。秘石は輝きを失い普通の石なっていた。

 オレは本当にレベル0の無職に戻ってしまったのである。


「レベル0か」


 全身を軽く動かしてみる。

 冒険者職の補正が無くなり、明らかに重く感じる。


 試しに怪盗のスキルを発動してみるが、予想通り無反応である。

 オレは本当に全ての力を失った。

 異世界で積み上げてきた物が、全て消え去ってしまったのだ。最底辺の中年の無職の誕生である。


「だが不思議と落ち着くな。むしろ最高に胸が高鳴る」


 ふと自分の両手に目を向ける。

 先ほどと同じように、マメだらけの汚い手が残っていた。

 この六年間、一日たりとも鍛錬を欠かせなかった愛すべき両手である。


 たしかに全てのスキルは失われてしまった。

 だがこの手と身体に叩き込んだ経験は、ここに確かに存在していた。何度も死ぬ思いを乗り越えてきた覚悟が、この胸に確かにあった。

 だから怖くはない。


 オレは何も無い0ではない。

 新たなる再スタートの場所に、ようやく立てたのだ。六年間、遠回りして、ようやく辿り着いた場所であった。


「さて、これからどうするか? いや、決まっているな」


 オレにはすでに新たなる目標が出来ていた。

 それは止まっていた時計の針を動かすこと。五年前の後悔の場所に挑むことである。


「浮遊城に行こう……だな」


 それが新たなる目標。

 新しい人生の目指すべき場所である。


 浮遊城は魔王の城として機能を失っていたが、今も大陸のどこかに浮かんでいる。

 この五年間で浮遊城まで到達した冒険者は、誰もいない。

 “神化”の力を失った六英雄ですら、再到達は不可能とされていた。


「だからこそ挑む。今度こそは、必ず到達する!」


 今度は頼もしいあの六人の英雄はいない。

 また一から仲間を探す必要がある。


 前回は浮遊城に到達するまで一年もかかった。

 今回は何年かかるか予想もできない。もしかしたら何十年もかかるか可能性もあった。


「だが絶対に諦めない。“異世界ファンタジーの世界、バンザイだな”」


 六年前、ここで口にした同じ台詞を吐き出す。

 オレがまだ二十九歳の青年だったときの想い。何事にも果敢にチャレンジしていた、一人の冒険者の想いである。


 あの頃は無知で怖いもの知らずであった。だが同時に誰よりも熱い情熱を持っていた。


『英雄職のアイツ等を絶対に越えてやる!』


 そんな熱い野望に日々、燃えていた。

 今はもう三十五歳のオッサンになっても、また同じ想いが込み上げてくるとは。オレもまだまだ捨てたものではない。


「さて、まずはサザンの街の聖教会に行くか」


 今後の方針を決める。

 無職のレベル0のままでは冒険にはいけない。何かしらの職業を選択する必要がある。


 今度の職業は何にするか決めていない。

 もしかしたらまた同じ盗賊職になるかもしれない。


 だが、それもまた一興。

 盗賊レベル1から前回以上に、成り上がっていってやる。今度こそは後悔のないように、最後まで突き進んでやる。


「さて、行くか……ん?」


 立ち去ろうとした時である。

 泉の底が光り出す。


 例えようのない神々しい光であり、その光に見覚えがあった。

 六人の仲間に英雄職を与えた女神が、降臨した時の光だ。


 あの時、凡人なオレは女神の姿は見えた。

 だが声が聞くことができなかった。凡人は女神の声を、絶対に聞くことが出来ないのだ。


『我(われ)は“時空の女神”……英雄を見つけ出し、任を与える者なり』


 巨大な女神が目の前に降臨する。

 そしてオレに向かって啓示を伝えてきた。


 前回は聞けなかった神の声。

 英雄職を与える女神の声を、今度はオレも聞くことが出来たのだ!

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