第30話

 久しぶりに羽ある魔犬グラシャラボラスを見たが、相変わらず気持ちの悪い外見をしている。全身赤黒い色でフォルム的には犬なのだがその頭部は人面犬に近く、平べったい顔の正面にまん丸の大きな目玉が二つぎょろりとついている。開いた口からはぎざぎざで、嚙み合わせなんて無視した牙が乱雑に生えており真に凶悪な見た目だ。

 内外問わず全身の身体強化を行っているためこちらの嗅覚を殺しにかかる悪臭も酷い。腐敗臭に近く胸がむかむかして、ねばつくようなものがまとわりつく錯覚さえある。


 後方上空にフェリクが来ているのを確認し、呼吸を整え気持ちをたいらに落ち着ける。戦闘に入れば動揺も迷いも禁物。仕留めて帰るまで気を抜かない。それが父の戦い方だ。

 周りの木々の背丈を越える羽ある魔犬グラシャラボラスはこちらに気づいている。ぎょろぎょろとした目玉がこちらを補足しようと動き回っているのを視界に納め、真正面から接近。距離にして残り百歩ほど。

 ゴッと正面から風が唸ると共に黒い霧が吹き付けるが、毒混じりの咆哮はこいつの御挨拶みたいなもの。怯む理由もなくそのまま地面を蹴って近づき、でっかい前足の爪を片腕で受け止めて気色悪い横っ面を蹴り飛ばす。

 久々の重量級のある相手だ。渾身の力を込めるが大して飛ばない。だが体勢は崩せた。上から間髪入れずフェリクが羽の付け根を抉り壊してくれた。よし。これですぐには飛べない。

 フェリクに牙を剥いたその口を下から蹴り上げて顎をカチ上げるが、それでも脳震盪を起こさず器用にその巨体で後転して後ろ蹴りをかましてくるので左足と左腕で防ぐ。ただ、服の方はその爪に耐えられず切り裂かれてしまった。まぁこれを相手にした以上、制服がダメになるのは確定路線なので諦めている。

 蹴られた反動で後ろに飛ばされた身体を回転させて木の幹に着地し、片羽をもがれてフェリクを襲おうと高くジャンプしている姿を確認。完全にフェリクにヘイトが向かっており、こちらへの意識が剥がれている。そこまでフォローしてくれなくても追撃は予想していたので大丈夫なんだが……ま、ありがたいと言えばありがたい。

 こちらも役割を果たすべく、幹を蹴って片羽で飛び上がったグラシャラボラスの後ろ足の付け根、関節部分を狙う。私にはフェリクのように抉るまで出来ないので打撃で靭帯にダメージを与えるのが関の山だ。それでも一時的に動きが鈍るので、再び体制を崩したその背に登り後頭部の固い毛を引っ掴んで地面に叩きつける。

 がぎゃ! と、陶器が擦れるような可愛くない声で鳴いて腹を見せたところに、退避していたフェリクが上から初撃を上回る速度で片脚を突き刺した。ちなみにこれも私がやろうとしても皮膚を突き破れない。

 フェリクはドス黒い血が噴き出るそこに、さらに両手を突っ込む。私も暴れてフェリクをはたき落とそうとする前脚を蹴り飛ばし、続けて起き上がる前に顎に一撃二撃三撃と殴って動きを封じ、一心不乱にサンドバッグのごとく殴り蹴り続ける。


「壊した」


 フェリクの声で動きを止める。

 伸びている状態のグラシャラボラスはだらんと口を開けたまま動く気配が無かった。

 振り向けば、腹から手と脚を引き抜いたフェリクが下に降りるようジェスチャーしている。


「怪我は?」

「ない。そっちは」

「ないよ。大丈夫」


 互いに怪我が無いことを確認して息を吐く。


「早く終わって良かった。個体的にはまだ若かったんだろうね。後は供養だけだからフェリクは川でそれ落としてきて。そろそろ辛いでしょ」


 毒やら呪いやらに対抗する身体強化は結構大変なのだ。ずっと力を送り続けていないといけなくて、父曰く、私は馬鹿みたいに根本の力が強いからそれが可能だが、フェリクは私と比べるとそれが幾分細いらしい。なのでこれをやるとフェリクの方が先にばてるのだ。


「いや、まだ大丈夫だ」

「無理しなくていいから、っていうかその血塗れだと何もできないでしょ。ほらほら」

「……わかった。人に聞かせるなよ」

「いやだからもはやあれは歌じゃないでしょ。だいたいこんな場所のどこに人がいるの」

「あいつがいるだろ」

「ウィルフリートさんは離れてるでしょ。大丈夫だから早く行ってきて。供養が終わったらこの辺にも魔物が戻ってくるだろうから」

「……わかった」


 しぶしぶ飛び立つフェリクを確認してから、近くの背の低い常緑樹の枝を切ってグラシャラボラスの頭部近くの地面に突き刺す。

 本当は遺体を埋めてからやるのだが、今は早く戻りたいのでこれで失礼させてもらう。

 この供養の仕方もおばあちゃん達に教わった。


 枝の前で片膝をつき、両手を合わせて目を閉じ祈りの言葉を口にする。

 独特の韻を踏んだ祈りの言葉は魔除け同様異世界の祝詞に近い。大まかな意味は世界に呼びかけて凝った力を原初に返してもらうというものだ。

 魔除けよりも言い回しが古臭く習い初めの頃は難しい言い回しに苦戦していたが、おばあちゃん達は正しく発音するよりも心を込めて唄う事が大事だと教えてくれた。どんな経緯であれ潰えた命に敬意を払い、その上で世界に次は善きもの同士で出会えるようにと祈るのだと。


 唄い終えると、まとわりつくようなどろっとした何かはもう無い。鼻が曲がるような異臭も幾分マシになっていた。

 上手くいったなと一人で頷いていると、唖然とした様子のウィルフリートさんと何故かずぶ濡れのフェリクが近づいてきた。

 

「フェリクその恰好どうしたの?」


 血はだいぶ落ちていると思うが、それにしたってこの寒空の下、ずぶ濡れ状態は辛いのでは。何故絞りもせずにいるのか。


「そいつにぶっかけられた」


 そいつ。というと、羽ある魔犬グラシャラボラスをぼうっと眺めているウィルフリートさんしかいないわけで。

 ウィルフリートさんも水出せたのか。

 思い返せば午後の戦闘訓練は班員の戦い方しか見ていなかったので、何が出来るのかとか全く知らない。


「とりあえず絞ったら? 風邪ひくよ」

「この程度でひくか」


 とか言いつつ、フェリクは服を脱ぐと搾った。真っ白だった上着は見事に不吉そうな赤黒い色に染まっていて、それを再び着るのは嫌だと思ったのか広げたところで何も言わずにそのままその辺に放った。


「上着いる? 下も濡れてるんじゃきついでしょ」


 袖がだいぶボロボロだが、濡れたズボンと肌着一枚よりかはマシだろうと腰帯を外そうとしたら、手を掴まれた。


「お前な。脱ごうとするな」

「?」


 村では普通に脱いで動く事も多々あったし、夏場はむしろその恰好でうろついていた。肌着ではあるがその下にサラシを巻いているし見られて困るようなところは出ていない筈だ。ヘラン達だって寮ではわりと薄着だし、なんなら私よりも露出は多かったりする。


「……とにかく。俺は平気だから。それより戻るぞ」


 手を掴まれたまま抱えられて、慌てて未だ羽ある魔犬グラシャラボラスを眺めているウィルフリートさんに声を掛ける。


「ウィルフリートさん、戻りますよ!」


 返事を待たず飛び立つフェリクだが、後ろを見ればちゃんとついてきているのが見えてほっとする。


「ウィルフリートさんの事、かなり嫌ってるよね?」

「警戒って言うんだよ」


 しかめっ面をするフェリクに、そこまで警戒しなくてもいいと思うけどなと苦笑いしながら防衛拠点へと戻った。


 上空から黒々とした暗い森の中点々と光る赤い光の群れが列をなしている。


「どこまで続いてると思う?」


 聴覚を強化すれば防衛拠点で声を掛け合いながら魔物を仕留めているらしきメルシーさん達の声が聞こえるし、意気揚々まだまだ暴れたりないと吼えている誰かの声も聞こえる。

 保っていると思うが、あまりこういう防衛戦に慣れていないだろうから、終わりがどの程度なのかわかれば精神的にも楽だと思うのだがどうだろう。


「そう多くはない。この調子ならあと半日程度だろう。後方は後方で広範囲に逸れた魔物の始末で忙しいようだから、こちら側に人をやる余裕はないようだがな」

「半日か……」


 私もローテーションに参加するとして、余裕はだいぶん出るかな?


「心配せずともこの程度の数ならば私が始末する」


 近くを羽も無く飛んでいたウィルフリートさんが高度を下げると、白い球を身体の周りに次々と生み出し、夥しい数のそれを後らに伸びる魔物の群れに向けて放った。


キン


 耳の奥で軋むような音がした瞬間、赤い光がそのままに動きが止まった。止まったさらに後方に、続けて同じものを放つウィルフリートさん。


「自力で氷を破ってくるものも居るだろうが、大半はそのまま力尽きるだろう」

「……すご」


 一瞬で数百メートル分の魔物を戦闘不能にした光景に思わず声がもれた。


「多少疲れるが大した事ではない」

「何でやらなかったんです? これならみんなの負担もかなり減ったんじゃ……あ、いえ、責めているわけでは」


 不服そうなウィルフリートさんの視線に気付いて慌てて手を振る。


「お前たちがろくな説明もなく羽ある魔犬グラシャラボラスを討伐するなどと言うからだろうが」


 全力でやらなければ抑えるのも難しい相手だったのだから、と不機嫌そうに視線を外された。要は私達が羽ある魔犬グラシャラボラスを討伐できないと考えて力を温存していたという事か。

 互いの実力を知らなければそうなるのも仕方がないかと納得して、すみませんと謝っておく。

 反応は無かったが、若干気まずそうな顔をしていたので怒ってはないのだろう。

 防衛拠点へと戻るとシュプリさん達学問科の人が駆け寄ってきた。


「ウィルフリート様!」

羽ある魔犬グラシャラボラスはどうなりました!?」


 羊族のクウプさんや栗鼠族のチェルさんが心配するように尋ね、休憩中らしきディアルディさんが座ってスープらしきものを口にしながら視線だけこちらに向けていた。


「討伐した。やったのはこの二人で私は見ていただけだがな」


 ディアルディさんの横で同じくスープを啜っていたノブセンタクさんがむせた。


「まじか」

「この状況で嘘をつく必要が?

 魔物の氾濫も後方は氷に閉ざした。あと少し耐えれば落ち着いてくる」


 ウィルフリートさんの言葉に先が見えたからか、学問科の間に歓声が上がった。


「ディアルディさん、私も前に出れるので誰と交代したらいいですか? あ、それとも終わりが見えてますし単純な加勢の方がいいですか?」

「馬鹿な事言ってないで貴女は休んでなさい」


 フェリクにおろしてもらうと、メルシーさんが喜ぶ他の面々とは対照的に強張った顔であちこち触ってきた。


「それより怪我はないの? 毒は? 呪いは?」

「大丈夫です。私もフェリクも無傷なので。毒や呪いに対抗するために特殊な身体強化をしていたのでちょっと疲れはしましたが、まだまだ動けますよ」


 ふん。と力こぶを見せると「馬鹿!」と怒られた。


「もうっ……心配して損したわ! 先が見えてるならもう問題ないから座って休んでなさい。今の体制で十分やれるわ」


 つんと顎を上げて背を向け防壁に戻るメルシーさんの後を思わず追った。


「何よ、休んでなさいよ」

「大丈夫です。上で休みながら見てるので」


 えへへと馬鹿みたいに笑いそうになるのを堪えると、によによしてしまった。


「変な顔しないでよ!」

「すみません」

「何で笑ってるのよ!」

「え? そうです?」

「いいからもうそっちで休んでなさいよ!」

「はぁい」

「あぁもうっ!」


 ぷんぷん! と音が出そうな勢いで防壁をよじ登る姿が可愛くて笑いが止められない。

 メルシーさん可愛いし、いい人だ。

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