第27話

 思わず救いを求めて視線を彷徨わせてしまったが、誰とも視線が合わない。バルトさんは肉の焼き加減に真剣な様子だし、そもそも他の三人にも迷惑はかけられない。

 セアノスさんとノエル様の両班員からも視線が突き刺さっている気がするし……しんどい。侍らしてんのかよ的な視線なのだと思うけど苦痛だ。漏れ聞こえるうまい、おいしいの声がせめてもの慰めか。

 左右から差し出されるものを思考から外して咀嚼に集中していると、それぞれ焚き火を囲っている戦闘科の人とノエル様が顔を上げた。

 ずっと聴覚を強化していると頭が痛くなるので切っていたのだが、確認するとどうやら魔物か獣か近づいてきているようだ。


「妙だな、数が多い」


 訝しむ声を上げたのはディアルディさんだ。そう言われて強化の度合いを強めると、確かに音の数が多い。


「山脈の方角が全体的に騒がしいです――」


 ――ね。と続けようとした時、大量のガラスを粉々に砕いたような音が響き渡った。

 聴覚を強化していたせいでもろに食らって頭がぐわんぐわんしたが、この音、聞き覚えがある。

 ちょっと厄介な魔物で私とフェリクはつい最近まで近づく事を許されなかった魔物だ。

 咆哮を聞いて腰を浮かせたシュプリさんとメルシーさんに、ディアルディさんが手で動くなと示している。


「ディアルディさん、この演習って大型の魔物も投入されるんですか?」

「敢えて魔物を放ってはないが、山から降りてくる事は稀にある。だがアレは……」

羽ある魔犬グラシャラボラスですよね」

「何?」


 ディアルディさんの顔がこちらを向いた。


羽ある魔犬グラシャラボラス。毒と呪いを持つちょっと面倒な魔物なんですけど」

「名前自体は知っている。それはわかるが、あの声だけでわかるのか?」

「故郷で何度か見たことがあります。特徴的な声なのでまずそうだろうと思うんですが……」

「が?」

羽ある魔犬グラシャラボラスが活発化するのは夏なので、この冬目前の時期に活動的になっているというのが不思議で。もしかして学校が高ポイントの魔物として準備したんでしょうか」


 羽ある魔犬グラシャラボラスは人の言う事を聞くような魔物では無いし、思い通りに動かすことも難しい相手だ。それをもってくるとなると随分な労力を使っていると思う。


羽ある魔犬グラシャラボラスを? だったらアレを狩った奴が文句なしの一番手になるだろうよ」


 皮肉げに笑うディアルディさんはどことなく緊張しているようで、やっぱりこれは想定外の状況なのだとわかる。

 シュプリさんもメルシーさんも顔が真っ青だし、バルトさんも強面の顔をますます固くして山脈の方を睨みつけている。


「演習は中止でしょうか?」

「この事態でまだ続ける奴がいたら本物の馬鹿だろうな」

「すぐに退避した方がいいと言う事ですね」

「ヒナちゃんは心配しなくても俺が守るよ?」

「指一本触れさせない。問題は無い」


 人の話を聞いてくれない鳥二人は置いといて。

 戦闘科はまだしも、ここには森を走るだけでバテてしまう学問科の人が半数いるのだ。雪崩のように差し迫っている魔物から逃げ切れるかどうか……足の速さでいけば学問科の人よりも魔物の方が早い。私たちが運べば追いつかれはしないだろうが、それでも学校方面に誘導してしまう可能性も……いや、山脈からこっちに来てるって事は、このあたりの町や村にもなだれ込む可能性があるって事ではないか?


「ディア、俺はここで迎え撃つ」

「大将?」

「後ろには力のない奴らが多い。ここで止めるのが今俺がやるべき事だ」

「大将……」


 尊敬の眼差しを向けているところ悪いが、この二人が残ると言ったら学問科の二人は私が逃さなければならない事になる。


「けっ、バルトだけにいいカッコさせるかよ!」

「ってなるよなぁ。知ってたけどよ。そしたら俺も残るしかねぇじゃねぇか」


 ガラナさんがバルトさんに対抗するように立ち上がり、同班のヴァチェスさんがため息をついて肩を落とした。

 彼らの様子に同班の学問科の人はどんどん顔色を悪くしていく。

 どうしよう。このままだと学問科の人が逃げ遅れる事に……いっそこの場に留まって信号打ち上げた方が安全かも? いやそれはそれで魔物の目を引きそうな………どうするかな。

 現状魔物は山脈側から水が流れ落ちるようにこちら側へとやってきている。大小合わせてざっと千は下らないだろう。その先の感知外にも続いている可能性はあるが、ここには戦闘科の人間が揃っている。バルトさんが言うようにここで防衛戦を行うなら、持久戦だという事を念頭に置かなければならない。

 非戦闘員扱いになってしまいそうな学問科の人間もいるが、この場合体力回復の時間を稼ぐために交代制で戦闘を継続させるのは定石だから非戦闘区域を作り出せればそこに退避させられる。

 となれば、どこか洞窟か隠れられるところがあればいいが……残念ながらこの近くに該当するところがない。次点として簡易の拠点を急ぎで作り守りの呪いをすれば多少なりとも安全は上がるか?

 ここから先に抜ける魔物の数も減らせるなら一石二鳥だし、異常を察知した先生方が気付けばより早く事を納められる。仮に気づかれなくても、二日三日やってれば凌ぎ切れるだろう。

 問題は羽ある魔犬グラシャラボラスがどう動くかだ。あれがこちら側にくるなら多少離れた位置で迎撃しないと耐性がない人は死んでしまう。まず学問科の人は無理だろう。偵察を出した方がいいか……


「ディアルディさん、ここで防衛戦をするとして、羽ある魔犬グラシャラボラスを監視するのは誰がいいと思いますか?」

「ああ?」


 ディアルディさんなら他の人の実力も知っているだろうと尋ねれば、ものすごく怖い顔をされてしまった。が、続く言葉に戸惑った。


「お前、それは死んでこいって事か?」

「え……え?? い、いえっ、そんなつもりはないですけど」


 詰め寄るディアルディさんから図らずもノエル様とセアノスさんが前に出て立ち塞がってくれたが……この反応はもしかして、ここにいる人、誰もグラシャラボラスに近づけない? 

 てっきり戦闘科のトップが固まっているこのクラスなら、誰かしらいけると踏んでいたのだが。


 じゃあ私が行くかと答えは直ぐに出たのだが、自惚れではないが私がここを離れると学問科の人を気にしてくれる戦闘科の人がいなくなるのではという不安がある。

 ディアルディさんなら気にしてくれるかもとは思うが……いや、迫ってきている魔物の存在に、迷っている暇はないかと頭を振る。


「ディアルディさん、ここで迎え撃つとして交代で戦えるように非戦闘区域を作りたいと思います」

「そんなもの作れるわけないだろ」

「万全なものは無理です。でも何もしないよりマシです」


 否定されるかもしれないが、とにかく考えを伝えよう。


「まず周辺の木を刈って視界を確保します。さらに周りに塹壕、溝を掘って軽い足止めを作ります。非戦闘区域はその中心に、地面を少し掘って視認しづらくしたいと思います。拠点としての防衛力は皆無なので、戦闘科の皆さんで周囲の溝から中に魔物を入れないようにしてもらう必要があります。数からして数時間で終わるとは到底思えませんから、この非戦闘区域で交代して休憩しないと継続戦闘は難しいと思います」


 難しいというか、これが出来ないなら先生方が気づいて対応してくれる事を信じて全員で撤退した方がいい。というか、普通はそっちを選択すべきだ。


「……だがすぐに魔物が来るぞ、準備している暇が――」

「その程度問題ない。木を刈るのも周りに溝を作るのも私がやろう」


 さらっと言って手を上に振ったノエル様。次の瞬間、周りの木々が闇の中ミシミシと枝を鳴らしていっせいに倒れ始めた。

 目で見る事は出来なかったが、これは風の魔法だろう。父やフェリクがよく魔物の討伐に使っているのでわかる。わかるが、これだけ人がいる中で全方位に向けてと言うのは初めて見た。父なんて小父さんを巻き込む前提でやってるからな……きっとコントロール力が違うのだろう。

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