一章 想定外の出立

第1話

「っ……と」


 がくっと頭が落ちた感覚にハッと目が覚めた。午後の日差しが暖かくてちょっとの休憩のつもりがうたた寝してしまったようだ。

 よだれを垂らしてないか口元をごしごしと拭い、うーんと伸びをする。


「随分昔の夢を見たな……」


 肩を回しながら立ち上がり、補修した害獣対策用の柵を再度チェックする。私の身長程ある木の杭を軽く押してみてぐらつきもないので大丈夫だろう。

 作業するので暑くなると脱いでいた上着を羽織り直し、腰帯で締る。夢のせいか羽の邪魔にならないよう背中側が三つに切れているそれに、少し違和感を感じてしまったがもう十年もやってれば違和感があっても手は作業に馴染んでいた。

 

「あれから十年か……」


 あれから、私が前世の記憶と思われるものを思い出してから十年。

 いきなり頭の中に溢れた記憶のせいで混乱して自分がだと勘違いして森に逃げて魔物に襲われて。随分な目にあった。あそこでフェリクに助けてもらわなければきれいに魔物の腹に収まっていただろう事まで思い出すと、今でもゾッとする。

 あの後も高熱が出て魘されて、看病の概念がない父に放置されて。いろいろ溢れる記憶に死ぬ瞬間のものとかもあって発狂しそうになって。あれもフェリクが居てくれなかったらどうなってたか……


「おーい、ニーナちゃーん」


 マジで危なかったよなぁと思い返していると、よく野菜を交換してくれるヌルじいちゃんが遠くから手を振っていた。


「ヌルじいちゃん、どうしたの?」


 最近膝が痛くて歩くのがしんどいと言うヌルじいちゃんに柵の修理に使った道具箱を持って近づけば、ぬふーと小鼻を膨らませ意味ありげな笑みを浮かべた。


「今さっきなぁ、旅人が来たんだってー。知っとったかー?」


 旅人?


「珍しいね、行商のコルックさんじゃないんだ?」


 春と夏、秋にそれぞれ二度ほど村にやってくるコルックさんは狐の獣人だ。細い目でいつも怪しげに笑っているが、火を操るのがとても上手でよく村の子達に炎の花を作って見せてくれる気のいいおじさんだ。私もコルックさんが来るたびにそれが見たくて通い、その芸に魅せられて自分も火が出せないかと前世の記憶まで総動員して奮闘した黒歴史がある。


「違う違う。なんとな、ニーナちゃん達と同じ鳥族だってさー」

「鳥族? 鳥族が来るなんて初めてじゃない?」

「そうさなぁ、鳥族の旅人がここに来るなんてじいちゃんが子供の頃にちらーと見たぐらいだからなぁ。ニーナちゃん達が暮らすようになってからは無かったんじゃあないか?」

「そんな昔に来たことがあるんだ」

「今村長のとこだから行けば会えるんじゃあないかなー。ほれ、ニーナちゃんもそろそろお年頃じゃろー? 若い男だってダンケルがゆうとったぞー」

「ヌルじいちゃん……」


 丸い目を細めてぬふぬふ笑い「はよーいってみー」と間延びした口調で急かすヌルじいちゃんに脱力する。

 最近、こういう揶揄いを受けることが増えた。まぁヌル爺ちゃん達カピバラ族は十七歳で大人の仲間入りをするので同じ年頃の私にもその手の話を振ってくるのだ。同年代の子が昨年の春に村を出たから揶揄う対象が少なくなったというのも理由に追加されるだろう。

 お爺ちゃんやお婆ちゃんには悪いが、私は色恋に一切興味がない。それこそ十年前、を知った時に誓ったのだ。天に中指おったてて、強く強く逞しく、図太く楽しくお一人様道を極めてやると。

 ただヌル爺ちゃんの意図はともかく、今まで父達やフェリク以外の他の鳥族に会ったことが無いから興味は無いかと言われれば、多いにある。

 はいはいと返事をしながらも、むくむくと湧いてくる好奇心を抑えながら道具を片付けにかかった。


 私が暮らしているこの村は獣人の国の隅っこにあるカピバラ族の村だ。

 カピバラ族というのはヌル爺ちゃんのように小さな耳と丸っこい体型の小柄な獣人で、おっとりしている性格の人達だ。ここでは畑を耕してほぼ自給自足の生活をしている。働き盛りの十代後半から四十代は家族総出で出稼ぎに出るため、この村に残っているのは基本的にお年寄りか小さな子供を持つ夫婦だけ。

 羽を持つ獣人である鳥族の私は、父と二人このカピバラ族の村に居させて貰っているようなものだ。同じ鳥族の幼馴染とその父親のバルダさんも同じ。他の種族の獣人はおらず、総勢三十人弱の辺境にありがちな小さな村だ。


「ちぃ姉ちゃん! ちぃ姉ちゃんと同じ羽の生えたのが来たんだって!」

「おっと」


 道具箱を小脇に抱えて歩いていると、ドンと走ってきたままの勢いでぶつかる小さな塊。咄嗟に転ばないように受け止める。小さくても力があるのが獣人の子だ。


「ねえねえ! 見に行かない!?」


 丸っこい小さな耳を頭に生やしてキラキラした焦茶の目で見上げてくるのは、村の子供のニック。今年で七歳になる。大人たちが仕事をしている間、時間があれば私が見ている事が多い子で、三人いる小さな子達の中でも一番好奇心が旺盛で危なっかしいところがある子だ。ヌルじいちゃんと同じで鳥族の話を聞いたらしい。


「これを片付けてきてからだね」


 これ、と道具箱を見せるとニックは嬉しそうに頷いて離れた。


「じゃあ俺先に行ってる!早くきてね!」

「あ、さっきみたいに突撃しちゃダメだよ!どんな人かわからないからね!」

「わかってるよ!」


 タッと駆けて行く姿はわかっているのか怪しい。村長さんのところだからきっと大丈夫だと思うが早く行った方がいいかもしれない。これはニックの他の二人、アルマとトトも行っている気がする。

 歩きだった足を駆け足にして家に戻り、道具を仕舞う納屋に箱を置いて急ぎ引き返す。

 行商のコルックさんは物腰が柔らかい落ち着いた人だけど、世の中気性が荒い人だっているのだ。この村の人は皆のほほんとしていて危機意識が薄いから少々心配でもある。

 村の中心に近いところにある村長さんの家の近くに小さな姿を見つけた時はほっとした。まだ突撃していないようだ。彼らの近くに背の高い人物を認め、止めてくれたのかと声をかける。


「フェリク」


 私と同じタイプの上着を着た眩いばかりの白金の羽を持つこの青年が、幼馴染のフェリク。

 昔も今もこんな辺境の村には綺麗すぎる顔の幼馴染だが、その性格はかなりの面倒くさがりだったりする。

 ちなみに私の外見は生成り色のぱっとしない白っぽい羽と髪で目も茶色。顔立ちはちょっときつめで百歩譲っても可愛いとは言われない見た目をしている。おそらく女装したフェリクの方が背丈と肩幅があっても綺麗だろう。自分で言うとだいぶ悲しい。

 

 フェリクはこちらに気づくと後は任せたというように子供達を押しやってきた。


「ちぃ姉ちゃん、兄ちゃんが帰れって」


 背中を押されたニックが頬を膨らませて不服そうに足にしがみついてきた。

 ちなみに私がちぃ姉ちゃんでフェリクが兄ちゃんまたはフェリ兄と呼ばれているが、私とフェリクの歳は変わらない。ただ私の身長が150ぐらいと小さいのに対してフェリクが180に迫る程高いので、見た目からそう呼ばれるようになったのだ。

 普通に姉ちゃんでもいいじゃ無いかと思うが、慕ってくれる子達のキラキラした顔を前にわざわざ訂正させるのも大人気ないかなと思っているうちに、いつの間にか定着してしまった。

 まぁいいのだ。可愛いから。


 ニックの後ろには、興味はあるけどフェリクが怖くてどうしようという顔のトトと、見たい見たいと目を大きくして小さな手を握りしめているアルマがいる。

 遠くから見るぐらいならいいんじゃないかなとフェリクに目で聞いてみるが、首を横に振られた。

 フェリクの身体能力は高く、狩りでも獲物を獲れない日は無い。父達の次にこの村では荒事に慣れていて危険察知の感覚も私なんかよりよほどあるのたが、そのフェリクがダメというのならダメなんだろう。

 ニックの肩に手を添えてしゃがみ、視線をそれぞれ三人と合わせる。


「すごく興味があるのはわかるんだけど、危ない人かもしれないから帰ろう?」

「ええ!? だってさっき!」

「うん、私も見てみたいなって思ったよ。だけどニックとアルマとトトに何かあったらそっちの方が嫌だから。ごめん」

「………」


 むぅぅと眉間に皺を寄せて精一杯抵抗するニックに「お願い」と重ねて言うと、ううと小さく唸ってぷいっと顔を横に向けてしまった。


「だめ? ちょっとだけ」

「アルマ、ごめんね」


 アルマのおねだりにもそう返すと、アルマはむむむと口元を尖らせたが押し込めるように小さく頷いてくれた。彼女は三人の中でもお姉さん気質で大人の言う事を素直に聞いてくれるから助かる。トトはもともとそこまでその気は無かったのか、視線を向けるだけで頷いてくれた。あとはニックだけだ。そう思って視線を戻すと、


「ククルのジュース、今度作って」


 そっぽを向いているのにちらちらとこちらの反応を伺って言うニック。丸っこい耳がそわそわと動いている様子が可愛くて、思わず表情が崩れそうになった。


「うん、わかった。三人とも今度作るね。ありがとうニック」


 頭を撫でると嬉しそうな顔をして、それからハッとしてふんっと鼻息を鳴らしてアルマとトトの手を掴んで走り出した。

 向かった方向はあの子達が遊び場にしている場所だ。村の中だしまだまだ明るいから大丈夫だろう。納得してくれて良かったと息を吐いて立ち上がればフェリクが近づいてきた。


「危ない感じの人なの?」

「いや」

「え?」


 だったら見るぐらいは良かったんじゃ。

 そう思って見上げるが、村長さんの家を見たままのフェリクと視線は合わない。羽と同じ白金の髪が風に吹かれて目元に掛かるのを、鈍色の目を細めて煩わしそうにしている。


「……無駄だとはわかってるけどな」

「無駄?」

「狩りに行くぞ」

「え?今から?」


 急に手を掴んできて歩き出すフェリクに慌てて足を動かす。ずんずん歩くフェリクの歩幅は大きいのでこちらは小走りで合わせる。


「父さん達が行ってるから今日じゃなくても」


 解体して処理をするのも時間が掛かるから、一度にあまり多く獲っても困る。その辺はフェリクも承知している筈なのに、何か焦っているような気もする。


「じゃあククルを採りにいくぞ」


 さっきニックに約束したからだろうか?


「ククルは昨日採ったからあるよ」

「親父さんが食う可能性がある」

「あぁ……」


 それはあるな、と思う。父には配慮というものがないので。基本的に家にあるものは父は気にせず使うし食べる。

 迷っているとそのまま村を出て森の中へと入ってしまった。その時点で袋も籠も準備していないので、結局はククルも口実だったのだなとは理解したけれど。私の手を掴んだまま先をいくフェリクは無言で空気が暗い。


「フェリク、もしかして村に来た鳥族の人と何かあった?」

「いや」


 即答する様子から、そこは本当なのかなと思う。


「じゃあ他に何かあった?」

「……いや」


 あったのか。

 わかりやすい間に、どうしたものかと思う。何があったのだと聞き出そうとしたところでこの幼馴染は言わないだろうし……素直そうな見た目に反して意地っ張りだったりするからなぁ……


「……じゃあ、何か出来る事ある?」


 しばらく先を急ぐ姿を見ながら考えてそう聞くと、フェリクは足を止めてこちらを見た。

 いつもは表情が薄く眠そうな目が、今は驚いたのか開かれていた。そうしていると光の具合で色を変える瞳が良く見えて、フェリクの動揺具合もよくわかる。思わず笑えばすぐに目が細められて不機嫌そうに睨まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る